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素人だから言えることもある

テレビは書き起こさなければ情報にならない

前項「ようやくテレビはネットの重要性に気付いた」で3本にわたって、テレビの書き起こしをした。これは、結構時間のかかる作業である。ワンフレーズごとに巻き戻して聞き直さなければいけないからである。スペシャル番組1本分を見ると相当な情報量だと思うだろう。しかし、聞いてる人間は、それを理解して頭に入れているだろうか。しかも、記憶に残った部分は、それぞれ違うだろう。つまり、100万人が見たとしても、100万人がおぼえている部分は、それぞれ違うものなのだ。これほど、情報を流すことにテレビが不向きなのは明らかである。僕が、対談を書き起こすのは、テレビが流している情報を、誰が見ても同じ情報として固定化できるからだ。固定化できれば、これは未来に残すことができる。YouTubeにアップすればいいという人がいる。また、NHKオンデマンドがあるという人もいる。それは、映像のインパクトは書き起こせないからであり、対談のような情報は書き起こさないと見えてこない。

情報は変わるという人がいる。また、情報は変わらないという人がいる。「情報は変わらない」といったのは、解剖学者の養老孟司氏だ。

私たちは一生の間に他人と同じものを見ることはありません。隣の人とはほんの少しだけど、異なる角度で見ています。ところが、テレビではカメラマンが見ているものをありのままに見ることができます。このような「同じものを見ている」という状態に慣れてしまうと「違いを見分ける感覚」が抜け落ちてしまいます。物事を同一化する情報化社会の中で、人間は「私は私」「変わらない私」だと思い込むようになってしまいました。「情報、言葉は日々刻々と変化していて、それを受け止める私たちは変わらない」という考え方です。しかし、変わらないのは情報であって、変わっているのは私たち自身です。そんなことはない、ニュースは日々変わっていると思うかもしれませんが、新しいニュースが日替わりで登場するだけで、古いニュースは保管してあります。(『かけがえのないひととき』)
この情報は変わらないという事を、たとえばテレビの震災情報とツィッターを比較して「放送記念日特集 NHKと東日本大震災〜より多くの命を守るために〜」に登場するNHK生活情報部の記者が言い当てている。
瞬間、瞬間じっとしていなければわからないということではないですね。後から確認することもできます。これは放送メディアにはない、大きな特徴ではないかと思います。(ようやくテレビはネットの重要性に気付いた(1)(ホームサーバの戦い・第110章) )
つまり、テレビがその瞬間にテレビの前で見なければ受け取れない情報を、ツィッターならあとから見ることもできる。ツィッター情報が、受け取るまでに内容が変化したら大変だ。それは情報でないことになる。ところが、テレビに見た情報ほど不確かなものはないのではないか。それは見た人の記憶を信じなければならないからだ。人間の記憶というものは、同じような情報が一斉に流されると、混乱してAの情報とBの情報をくっつけたりするのは、伝言ゲームで分かっている。つまり、記憶というフィルターは、書いたものより情報の精度が落ちるのである。したがって、1時間以上のスペシャル番組を見て、覚えている情報など、30%残っていればいいほうなのだ。つまり、養老氏が言う「変わらないのは情報であって、変わっているのは私たち自身です」というのは、私たちが瞬間、瞬間関心が変わる自分の脳を使って、テレビを見ているからである。そのため、同じ情報でも、人によって違った印象を与えるのである。

NHKスペシャルが、後で本になるのは、視聴した記憶を文字情報によって整理することができるからだ。また後から、見直すことができるというのも、ブログの書き起こし情報が必要なゆえんである。最近、クローズアップ現代でのホームページで、「放送丸ごとチェック」というテキストサービスを始めたのも、伝わるべき情報がテレビでは確認ができないからである。
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