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素人だから言えることもある

「ネットもやる」から「ネットに開放する」発想を(ホームサーバの戦い・第113章)

3本にわたって、「ようやくテレビはネットの重要性に気付いた」というタイトルで、NHKスペシャルの書き起こしをしてきたわけだが、この3本を読み比べると、NHKの考え方と識者の考え方の違いが明らかになった。もちろん、ネットがいかに重要であるかは、NHK本体も十分わかっている。たとえば、

東日本大震災で、被災者のために十分必要な情報が届いてなかったんではないかというような教訓というか反省点を出発点にしてます。ここで取材から制作、放送まですべて行ってネットへの発信だとか、データ放送も含めてすべてこちらで完結させる。

(中略)

お年寄りの方もいらっしゃいますし、ネットを使い慣れた方もいらっしゃるでしょう。それぞれの方に応じた情報の提供の仕方をやっていきたい。多角的に情報を発信していかないと、情報を必要とされている方たちに情報がなかなか届いていないということで、あらゆるチャンネルを利用していこうと思っています。(ようやくテレビはネットの重要性に気付いた(1)(ホームサーバの戦い・第110章) )

という小形編成局副部長の発言は、テレビもネットもデータもすべてNHKで統合してやっていこうという発想の表れである。これはまた、朝日新聞秋山社長の、
秋山 紙からデジタルへと舵を切るのでなく、紙もデジタルも、つまり両者の最適な組み合わせを追求していくしかないと考えている。(週刊東洋経済7月3日特大号「激烈!メディア覇権戦争」)(朝日新聞は、今、何を考えているか・2(ホームサーバの戦い・第68章) )
この「紙もデジタルも」発言の形でNHKの小形副部長の発言に読み替えれば、「テレビもネットも」となる。一方、「広がるスマートテレビ〜テレビはどこへ向かうのか〜」の識者の発言は微妙に分かれていた。たとえば、中村伊知哉氏の発言は、
中村 あのこれまでテレビ局は、テレビの番組を作ってきました。ネットの企業は、パソコン向けのコンテンツを作ってきました。ケータイの会社は、ケータイ向けのコンテンツを作ってきました。それではだめだっていうことですね。一人の人がテレビを見たり、ケータイ見たり、パソコン見たり、同時に行うわけですから、放送局も電波だけじゃなくて、衛星もブロードバンドも、あるいはケータイのネットも全部使う、総合メディア産業になっていかなければならないですね。ですから、NHKは、名前を変えましょう。日本放送協会やめてですね、日本メディア協会。デジタル協会とかなってなければいけない時代です。(ようやくテレビはネットの重要性に気付いた(3)(ホームサーバの戦い・第112章) )
いわば、NHKの「テレビもネットも」を是認している。一方、佐々木俊尚氏は、
佐々木 今起きているのはね、結局、垂直統合されていた放送局というのがどんどん水平分離して、これは言論の立場から言うと、言論のポイントから言うと、ある意味、テレビ局はそのコンテンツですね。番組とかニュースみたいなものを提供する。さらにそれについてみんなが議論しましょう。みんなっていうのは、今までのように解説委員と記者が議論するだけじゃなくて、外側にいる普通の日本人も一緒に参加しましょう。そこである種の場が生まれるわけです。その場のようなものを放送局が作るっていう、そういう方向に多分僕は行くんじゃないですかね。(ようやくテレビはネットの重要性に気付いた(3)(ホームサーバの戦い・第112章) )
佐々木氏は、テレビ局がすべてを持つことに否定的だ。たとえば、
佐々木 あの、放送局、たとえばNHKが作っているNHKスペシャルとか、クローズアップ現代のような、非常に質が高いドキュメンタリーがあって、こういうのはいわゆるアマチュアでは作れないです。そういうようなプロが作って取材した番組もあり、本当に当事者ですね、被災者が自分でYouTubeにアップした番組もあり、そういうのを複合的にたくさん積み重ねて私たちの新しいメディア空間ができる。放送局の役割はちゃんと残るし、新しいメディアが新しい役割が出てくる。すみわけというか、補完関係ですね。そういう補完性というのが僕はすごく大事だと思うわけです。(ようやくテレビはネットの重要性に気付いた(3)(ホームサーバの戦い・第112章) )
というように、視聴者が参加するための場を持つことの重要性を語っている。つまり、今まで手のテレビのようなただ受け身で見るだけの機械ではなく、積極参加する場所にせよといっている。

日本のテレビがコモディティ化した原因は、人件費が高騰した日本では生産ができず、海外に工場を持ったために、技術が海外に流出したためであることは、[お題]日本の家電不振の単純な原理で書いたことだ。テレビ局そのものも、「テレビもネットも」式に拡大していくことで、沈没していくのではないか。むしろ、コンテンツはテレビ局がすべてを自力で作るよりも、視聴者が積極的にコンテンツを作れるように才能を発掘し、発表する場所になるべきなのではないだろうか。
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