夢幻∞大のドリーミングメディア

素人だから言えることもある

オープンとクローズ(ホームサーバの戦い・第115章)

独占と無料

[お題]日本の家電不振の単純な原理で、僕はこう書いた。
物が売れる理由は何か。そこでしか売ってないもの。同じような技術であれば、より安いもの。この2つしかない。
「そこでしか売ってないもの」とは、独占のことではないか。一方、「より安いもの」の究極は無料である。この関係は、インターネットにおけるマスメディアの関係に似ている。というのは、こんな記事を読んだからだ。
新聞記事などは著作物なので、本来それを複製する場合には権利者(この場合は新聞社)の許諾を得るとともに複製の対価を支払う必要がある。しかし、ネット上では、例えば検索結果に新聞記事の一部分を表示する場合、複製が行われているにも拘らず、検索エンジンを運営するネット企業は著作権を有する新聞社の許諾を得ないし、対価も支払わない。

その理由は、こうした複製は著作物の「フェアユース」に該当するからである。ブログなどが新聞記事を全部複製するのまでがフェアユースに該当するとは思えないが、そうした違法行為も野放しである。その結果、過去10年以上にわたり、ネットの普及と反比例する形で新聞社や出版社の収益はどんどん悪化している。

そうした状況の中で、ドイツの連立与党は、ドイツ国内の新聞社や出版社を救うべく、ネット上でのコンテンツ流通に関わる新たな著作権を創設しようとしている。検索エンジンやコンテンツ・アグリゲーターなどのネット企業が、新聞記事などの例え一部でも複製して表示する場合、権利者である新聞社や出版社などに対価を支払わなければならないようにしようとしているのである。 (ドイツで賛否両論――新聞・出版とネットの関係は変わるのか)

佐々木俊尚氏は、この記事に対して、こんなツィートをした。
記事の一部を表示しただけでもコンテンツ対価をネット企業に支払わせる法案がドイツで。Facebookのシェアとかも料金が発生するということか。キュレーション系は全滅するかも。:ドイツで賛否両論――新聞・出版とネットの関係は変わるのか http://r.sm3.jp/4atP...
(https://twitter.com/#!/tsasaki_1topi/statuses/185871593631793152)
僕は、朝日新聞は、今、何を考えているかなどで、各新聞の有料化の動きに触れてきた。「見るのはいいが、引用してはいけない」というのでは、情報が中途半端にならざるを得ない。各情報を比較して、検証するのもネットジャーナリズムの新たな形となるべきだからだ。僕は、この動きが、マス・メディアがユーザーに対して、情報を消耗するユーザーのみを想定し、情報を蓄積するユーザーを想定していなかったことに問題があると考えざるを得ない。これはまた、テレビは書き起こさなければ情報にならないで考えたことにも共通する。
100万人が見たとしても、100万人がおぼえている部分は、それぞれ違うものなのだ。これほど、情報を流すことにテレビが不向きなのは明らかである。
情報を取り出し、書き起こし、違いを検証することにタガをはめているのは、マス・メディアが今までの独占企業でいたいための無駄な抵抗に思えてならない。これを見事に言い当てたのは、ポイント主義では、ミドルメディアは存在できないで引用したなぜ誰もあなたのブログを読んでくれないかというブログである。
誰もが発言できるということは誰も発言する権利を独占していないことだ。市場に例えれば、旧来のジャーナリズムは独占市場で、ブログは競争市場だ。なぜ新聞社がネットに対応できないのか。それは独占企業にとっての最適戦略は競争的な市場では機能しないからだ。

(中略)

では独占企業にとっての戦略とは何か。それは値段を上げるために供給を減らすことだ。学生が授業にくるようにプリントには全ての授業内容を載せないことだ。他に聞きにいく場所のない学生はクラスにいくしかない。

しかし、競争がある市場で同じことをしたら自殺行為だ。競争相手が価格を下げてシェアを奪ってしまう。競争的な市場ではいかに必要とされている財を提示し、それに応じたプレミアムをチャージするかが重要だ。単に価格を上げたら客は逃げる。

(中略)

では企業ならどうするか。市場調査を行い人々が欲しているかを調べるだろう。ブログではそれは何に対応するか。

ブログはコミュニケーションのプラットフォームだという指摘がそれだろう。企業がアンケートを実施して新製品への反応を見るように、読者が何を言ってるのかに耳を傾ける必要がある。


旧来のジャーナリズムのように勝手にしゃべって、相手が聞くのを待っていてもだめだ。殿様商売は殿様が一人しかいないからうまくいくのだ。(なぜ誰もあなたのブログを読んでくれないか

独占した市場で成り立っていたのが新聞やテレビである。新聞は購読者のみで成り立ち、地方民放は、その地域のみで経営しているから成り立つ。地方民放が、抵抗する理由はネット配信をめぐるNHKと民放、それぞれの立場(ホームサーバの戦い・第114章) で書いた。一方新聞は、無料ネットニュースを制限することで、購読料を維持しようとする。インターネットが始まったばかりに、今までの殿様商売が成り立っていかないのである。

独占・有料化には理由が必要だ

もちろん、ネットにはネットの有利な点がある。たとえば、NHKで放送された「広がるスマートテレビ〜テレビはどこへ向かうのか〜」ではこんな発言があった。
猪子 通信は国境は関係ないので、そう考えると、極論、マーケットが60倍ぐらいになるとも考えられる。国内だけ見ると、すごい勢いでシェアが減るけれども、環境的には国境がなくなるので、違う視点だと60倍になる。考え方を相当シフトしていったほうが、いいんじゃないかなと思いますけどね。

佐々木 今までのテレビっていうのは、言葉ごとだったんですね。日本語とか英語とかフランス語、そうすると日本語のマーケットというのは、1億2000万しかないと思われてた。今、猪子さんがおっしゃったように、世界中が勝負にできる、別に、必ずしも、60億人、70億人と勝負するということだけではなくて、同じ趣味の人とか、たとえば、日本のオタク文化ですよね。萌え系のコンテンツが世界に売られている状態、あれがしかもYouTubeのような世界中のプラットフォームに流れていることを考えると、全地球のすべての人を対象にするんじゃなくて、同じ特定の分野の人だけを対象にする、今までだったら日本国内でそれが何万人かぐらいしかいなくて、大してお金もうけがありませんでした。でもこれが、日本には何万人かだけど、世界中にすると実は何百万人かいるかもしれません。そしてそれは十分ビジネスが成り立つよ、横展開することで、新しい市場、マーケットが出てくる。これってすごく期待できることですよね。(ようやくテレビはネットの重要性に気付いた(2)(ホームサーバの戦い・第111章) )

ここで語られたことは、新聞にもテレビにも言える。確かに、一見すると、利益は急速に縮小する。しかし、世界を相手にすれば、シェアは拡大する。だが、それには売れる理由が必要である。それは、冒頭に書いたように、「そこでしか売ってないもの」というものだ。同じような記事、同じような番組は無料でも売れない。そこでしか読めない記事、そこでしか放送されない番組ならば、金を払っても読みたくなるし、見たくもなる。今までのマス・メディアは独占企業なので、他と同じ内容であっても、それほど質は問われなかった。これからは、世界を相手にするのでよりユニークなもの、独自な発想の記事や番組を持たない新聞やテレビは消え去るだろう。
ブログパーツ