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素人だから言えることもある

大野更紗氏の発言から当事者について考える

福島県人としての当事者

前項抜き書き週刊フジテレビ批評「日本人社会の言論とマスメディア」で感じたのは、当事者について本当に理解できるのかという問題だ。もちろん、完全に理解できるわけはないだろう。しかし、理解できないからと言って、ほったらかしにするわけにもいくまい。厳密に言えば、私たちだって、なにかしらの当事者であるに違いない。マスコミは、その当事者に失礼がないように報道しなければならないが、それが返って誤解を生むこともある。大変、当事者というのは面倒な存在である。前項で、佐々木氏はこう言う。
震災以降、図らずも明らかになったのが、同じその日本国民であっても、津波の被災地にいた人たち、あるいは福島の原発の近くにいた人たち、全然考え方が違う、受け止め方が違う。さらには、仙台みたいな津波被害に会わない内陸の人たちでも、全然違う。さらには、首都圏にいる人間と、被災地に会った人たちも違う。福島の原発の放射線問題がかなり気にかかっている首都圏にいる人たちと、全くそのことを気にしてない人たち、大阪・西日本の人たちと全然違う。そこには温度差がすごい勢いで広がっていく。(抜き書き週刊フジテレビ批評「日本人社会の言論とマスメディア」)
この当事者意識の差について、日経ビジネスオンラインの『困ってるひと』の著者、大野更紗の福島への思い大野更紗氏がこんなことを述べている。
「今、福島は『内なる途上国』と化してしまったのかもしれません。福島の人が自分たちなりの思考や言葉でいくら訴えても、東京の人たちにはうまく伝わらなかったり、自分たちが意図する文脈とは全く違う文脈で東京の人に受け止められてしまう。言葉が、通じない。『分断』そのものです。一方、東京の人は、何とかして福島の人たちを助けたい、役立ちたいとも思っています。福島を支援したいという思いは、東京だけでなく、世界中の人が感じていると思います。同時に、東京で生活する以上は、福島を含め地方が作った電気を消費しなくてはならない。大きなシステムを突然変えることはできませんから、脱原発というのは漸進的にしか進まない。『もやもやとした気持ち』、それを拭い去ることができない。電気を使わないで暮らすことは、誰にもできない。わたしだって、そうです」(『困ってるひと』の著者、大野更紗の福島への思い)
同じ日本語なのに伝わらない。それは、彼らがそれを体験しなかったから。ただ、それだけで立ち位置が違ってしまった。
「『なぜ避難しないのか』とか、『好き好んでそこにいるのだろう』とか、あるいは『避難すればいい。避難しないのは自己責任』といったあらゆる種類の言説が、外部から雨あられのように降り注ぐ。いかにも、冷淡です。フィールドワークをしていたとき、難民の方々の話は、膝を折って首を垂れて、延々と伺いました。わたしにとって『都合のいい話』だけしてくれるはずなんて、ない。とにかく、延々と伺う。『延々』と言っても、外部者にとっては、その場にいる一定期間だけです。そのようなことは、逃げられる『外部者』として、その土地に生きる住民の方々に対する、最低限の礼儀作法であると思いました」(『困ってるひと』の著者、大野更紗の福島への思い)
マスコミは、何度も同じことを延々と尋ねる。
「未曽有の『災害』に際して、被災者の方々にさらに複合的な責任論をかぶせていく傾向もいまだにあります。自己責任論というのは泥仕合のようなものですが、その渦中に引きずり込まれてしまった本人にとっての精神的負荷は非常に重い。『複合差別』と言えるような状況が、被災者や福島の人に降りかかっているように思います。かくも巨大な惨禍に際した被災者の方々に、あまりにも冷淡ですね。そして、被災地の『復興』とは、本来その地域の住民の方々によって成し遂げられるものです。住民の方々を圧迫し追いつめるという点においては、『復興』の阻害要因になるようにも思います」(『困ってるひと』の著者、大野更紗の福島への思い)

難病患者・障害者としての当事者

この大野更紗氏とはだれか。福島出身というのは想像がつく。だが、彼女は、震災当時は東京にいた。ツィッターのプロフィールには、
作家&大学院生 ●ビルマ(ミャンマー)のことをやってたものの、2008年から自己免疫疾患系の難病にかかり闘病中。皮膚筋炎、筋膜炎脂肪織炎症候群。絶賛生存中。(https://twitter.com/#!/wsary)
日経新聞の「見えない障害分かって 難病患者らが啓発バッジ」という記事に大野氏の「困ってるひと」の紹介があった。
大野さんは2008年、筋肉が原因不明の炎症を起こす皮膚筋炎など自己免疫疾患の難病を発症した。当初、病名も分からないまま病院をたらい回しにされたり、9カ月間入院したりした経験をつづった「困ってるひと」を昨年6月に出版。重い内容ながら軽妙な文章が話題を呼び、15万部を超えるベストセラーになった。
現在はペットボトルのふたを開けられないほど筋力が落ち、慢性的なだるさなどが続いているという。
闘病生活をつづったインターネット上の連載には、周囲に理解してもらえず苦しむ難病患者の訴えが相次いで届いた。「体調が悪くなって優先席に座ると『若いくせにだらしない』と吐き捨てられた。つらいです」「社内の評判が怖くて持病を打ち明けられません。ストレスがたまるばかり……」。大野さんは「難病患者は見た目が健常者と変わらない場合が多く、病人だと分かってもらえない」と指摘する。
ツィッターを見れば闘病の日常だ。大野氏は、それだからこそ、生き続けることに真剣なのだろう。石牟礼道子著『苦海浄土 わが水俣病』の書評「文学にみる障害者像」を読んだ大野氏は、こんなツィートをする。
こういうことはずっと後で、誰かが、考えてくれるように思う。1950年代からの〈水俣病〉をめぐる問いすら、熊本では解決からは程遠い。「赦す」と患者が石牟礼道子に語ることは語り口としてあっても、「赦せ」と外部が語る語り口は、それは複合的なパワーの行使としてしか作用しない気がする。(https://twitter.com/wsary/status/204962056846323712)
水俣病患者としての当事者を外部が語ることは結局、佐々木氏が言う<マイノリティ憑依>でしかない。

人間としての当事者

「『美しく死にたい』とか、『人に迷惑をかけずに死にたい』とか、そんなに簡単に言わないで下さい。美しく死ねなかったら、迷惑がかかるんだったら、生きている価値はないんですか?人間の生命が『生きるに値する』とか、『生きるに値しない』かどうか?そんなこと、誰に、決める権利があるんですか」(『困ってるひと』の著者、大野更紗の福島への思い)
大野氏は、だからこそ生きたアーカイブを残してほしいという。
「福島は将来、人口が減って、県全体の活力が減っていく可能性のほうが高い。長期的に、福島県が「消える」かもしれない。それは、何を意味するのかということを、最近よく考えます。福島という地域に住んできた人々の文化や歴史が、世界からまるごと『消える』ことになる。福島の歴史や文化を後世に残すことは、今後この未曾有の原発震災を経て、生活していく人々に、ヒントを残すという非常に重要な『作業』であるように思います。『アーカイブ』を残してください。重要なことは、2011年3月11日『以前』です。何世紀にもわたり、福島で、人が生活や文化を紡いできた。公民館の片隅や、家々のタンスの中に仕舞ってある『記録』をひっぱり出してきて発信してほしい。それらは世界の人たちにとって、後世の人たちにとって、重要な資料となると思います」
「地方紙や地域のミニコミ、町の町史、あるいは口述筆記でしか残せない、戦中から戦後を経験してきたおじいちゃんやおばあちゃんたちの証言。どんな形でもいいから、記録しておく。アーカイブしておく。検証や整理は、何十年か後に、誰かがしてくれます」(『困ってるひと』の著者、大野更紗の福島への思い)

今こそ、当事者が急速に増えていく時代

大野氏は、日経ビジネスオンラインに対してこんなことを言っている。
日経ビジネスオンラインということで、余計なひと言を。ビジネスの最前線にいる方々のほうがこういう話は感覚的にわかるのではないかと思います。組織の中で、新しいアイデアを出す人というのは、安定的な組織の中では一種の『破壊的』な存在です。でも、組織が新しい視点へ進むときには、『破壊的なエイリアン』的な要素が必要ですよね。今、震災後の日本社会は急速な変化に対応せざるを得ない状況になっています。凡庸なデジャブ感のある失敗を100万回繰り返し、失敗することでしか学べない。それはビジネスの世界のフロントランナーこそが、毎日こなしている『作業』であるような気がします」。(『困ってるひと』の著者、大野更紗の福島への思い)
また、ツィッターでもこう言っている。
これまでは「特殊な少数派」の問題であったことが、急速に、あらゆる領域において実質的にそうではなくなる。向こう数十年間の人口動態のインパクトは、ともかく急速で、厳しい現実だと思う。(https://twitter.com/wsary/status/204982159155531776)
まさに、震災前後を含めたこの数年は激動の歴史だったろう。大野氏にとっても2008年にこの難病を発症しており、本を書くこともツィッターで情報発信することも数年前までは考えてこなかったに違いない。インターネットの激動の環境変化が、沈殿していた少数の当事者たちを表面に浮き上がらせてきたのだ。
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