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素人だから言えることもある

人間はマス(集団)の一部になると性格が変わる。

この言葉は、前項新聞の中の「マジョリティ憑依」でとりあげたドナルド・キーン氏の言葉だ。オウムにしても民主党にしても、一人一人はまじめで信頼性もある。ところが、マス(集団)に所属すると人が変わってしまう。これは、ドナルド・キーン氏は日本人の何に感動したのか(1) で語ったキーン氏の話にも合致する。

国谷 あの、米英撃滅、そういうことを合言葉に戦争にひた走った日本、そして、戦争が終わった途端に一転して熱狂的なアメリカ崇拝に日本人は変わっていった。こうした日本の極端から極端へと変わっていく日本人をまるごと、知りたい、理解したいという気持ちが強かったんでしょうか。
キーン 強かったです。そうですね、私にとって、特にあのころは大きな謎だったです。私が会ってる日本人は捕虜でしたが、私と冗談交わして、すぐ親しみができて、何も私と合わない壁は何もなかったです。好きなことなんでも話して、そしてそういう人たちは、一時的な友達ではなくて、戦争が終わっても付き合いが続きました。この場合は。しかし、その極端から極端が大きな謎でした。(ドナルド・キーン氏は日本人の何に感動したのか(1) )
僕は、そのような現象をこう書いている。
変わり身の早さと、変わらぬ庶民性、この矛盾した両面が日本人には同居している。(ドナルド・キーン氏は日本人の何に感動したのか(2) )
「郷に入れば郷に従え」とか「空気を読め」とか言って個人個人の考え方をマス(集団)に合せようとする。ところが、戦争や選挙で負けて、敵対するマス(集団)に所属せざるを得ないと、その個人の考え方が180度変わってしまう。まるで、その個人にはそもそも個人の考えなどなかったように。

それは、日本人の特性に個人よりもマス(集団)を優位に考えるという考え方が深くしみこんでいるのではないか。自分を主張せずに、空気を読んで、よりマジョリティの高い方向を選ぶ。そうすれば、自分は目立たない。もし、自分一人で違った方向を向いていたら、非難の矢面に立たされるからだ。そのような人々を「ヒラメになる」と呼ぶ人がいる。

亡くなられた小杉健郎先生は、昔、これをチーム員が「ヒラメになる」と表されました。スタッフが上目遣いでトップの顔色を見るようになってしまう、という意味です。もちろん、それはトップの人柄や能力によるものですが、傾向としてそうなるものです。
専任のスタッフは、そのプロジェクトの組織以外に行き場がありません。大袈裟な言い方をすれば、そこで評価されないとドロップアウトしなければならなくなります。すると、どうしてもそのプロジェクト(組織)に特化されてしまう。言葉を換えれば、同じ考え方、同じ発想をするようになっていくということです。(川口淳一郎著「『はやぶさ』式思考法 日本を復活させる24の提言」飛鳥新社)(映画「はやぶさ」の「失敗は成果だ」という話)
しかし、そのようなトップの意向を伺うような人材などどんな企業にとっても有害無益である。同じ意見をする人間よりも違った人間がいるから、壁を壊すアイデアが生まれるからだ。同じ考えをする人間は一人でよい。より違った人間を多く集めることが重要である。高度経済成長時代の日本は、トップに追従する人間でも、それなりに企業の巨大化に貢献できた。これからは違う。自分が自分の知識を使って自分なりの考え方で戦う時代。自分の立ち位置を明確にし、一本の考え方を貫ける人が望まれる。
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