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シャーロックとダークナイト・ライジングの奇妙な共通点(ネタバレあり)

ラストの墓石

8月5日、BBCのドラマ「SHERLOCK」の第2シリーズの最終回「ライヘンバッハ・ヒーロー」を見た。ストーリーの元は、コナン・ドイルの「最後の事件」。原作のストーリーの結末は、
その後の調査で、ホームズと教授は格闘の末に滝壷へ転落したのだろうと結論付けられた。ライヘンバッハの滝壷には、最も危険な犯罪者と、最も優れた法の擁護者が、ともに眠っているのである。(最後の事件-Wikipedia)
原作では、モリアーティとホームズの死体は見つかってない。ところが、この物語を現代版にした「SHERLOCK」では、この滝壺の話をビルの屋上に変え、モリアーティはホームズの大切な3人の友人を狙撃のためにねらっていて、この場で飛び降り自殺してホームズが死なない限り、この狙撃は終わらないというのだ。ホームズは、そのビルから飛び降りだ。次のシーンでシャーロック・ホームズの墓石が登場し、友人のワトソンたちが墓参りしている。それを陰から見ているホームズが。

しかし、現代版にしたために、問題が発生する。もちろん、ホームズが第3シリーズに再登場させるための布石として、登場させているのだが、ホームズの死体は誰かということになる。今回のストーリーでは、モリアーティそのものがホームズの作った架空人物ではないかと警察から疑われるという設定になっている。したがって、モリアーティの死体をホームズに偽装すれば、などと考えたが、それを目撃するのは友人のワトソン自身なので、嘘はばれる。それに、現代版であるから、ホームズの部屋からDNAを採取すれば、誰が死んだかが分かってしまうだろう。まあ、シャーロック・ホームズだから、そのくらいは考えているのかもしれないが。

ところで、クリストファー・ノーラン監督の「ダークナイト・ライジング」を見てきた。当然、主役は、富豪ブルース・ウェイン扮するバットマン。この映画のラストにブルース・ウェインの墓石が登場する。やはり、近親者が集まって葬儀が行われた。犯人のベインにより中性子爆弾をゴッサムシティ(ニューヨーク)の真ん中で爆破するという計画を阻止するため、バットマンとなった彼は、その中性子爆弾を海へ運ぶ必要があった。そしてゴッサムシティは助かり、バットマンは彼の乗ったバットモービルとともに海の藻屑に。ただ、彼にあこがれて修行に出た「ロビン」の存在が描かれているので、新たな「ダークナイト」が登場するかもしれない。

天才は天才しかわからない、孤児は孤児しかわからない

もちろん、この2つのドラマのラストが墓石だったというのが、今回のエントリーの主題ではない。「SHERLOCK」は、当然、天才名探偵シャーロック・ホームズの話である。友人のワトソンは彼を本当に理解しようと思っていたが、到底理解できなかったろう。一方、敵役モリアーティは、シャーロック・ホームズと共通する天才型の悪人なので、もっとも理解していたのだろう。いわば、コインの裏表である。そして、天才の行動は、普通の人には理解しがたいのである。モリアーティの計画では、彼をいかさま師と名付けることで自分の好奇心を満足させることにあった。彼は、あまりにも、普通の人たちの行動が当たり前すぎて我慢ならなかったのだ。天才で有名になると、必ず、それをだましてやろうという人間が現れる。ゲームと同じだ。自分のレベルを引き上げるためには、善・悪両面から競い合わなければならない。そして、それらの行動は、普通人にはいかさま師の行動に見えてくるだろう。

ダークナイト・ライジングにも似たような関係が生まれてくる。バットマンの力が強大であれば強大であるほど、より強大な悪が近寄ってくるのだ。前作の「ダークナイト」では、「ハービー・デント」という正義の弁護士が登場するが、この時の考え方はこうだ。

正義感あふれる新任の地方検事ハービー(ハーヴェイ)・デントとして登場。「闇の騎士(Dark knight)」と呼ばれるバットマンとは対照的に、「光の騎士(White knight)」として市民に尊敬されている。内務調査部に務めていた頃は「ハービー・トゥーフェイス(Harvey Two Face)」と呼ばれていた。

またレイチェルと交際しており、ブルースにとっては恋敵であったが、職を汚さず、堂々と法によって悪に制裁を加えることができるハービーをブルースは高く評価し、悪をもって悪を制するバットマンは存在する必要がなくなると引退を考えていた。またハービー自身はブルースの人脈によって市長選の選挙資金の支援などの面では評価しているが、浮世離れして見える表向きのブルースに対しては軽蔑している。バットマンとゴードンの関係をすぐさま見抜き、バットマンと一時共闘を結んでいた。(トゥーフェイス-Wikipedia)

このころのハービー・デントは理想主義者だった。
熱血漢ともいえる行動で、ジョーカーの出現に勇敢に立ち向かい、自らを囮にすることで見事ジョーカーの確保に成功。ところが、同じ方法(自分自身を囮にする)で逆襲され、ガソリンを満載した倉庫に閉じ込められてしまった。

バットマンによって辛うじて助けられるものの、かぶってしまったガソリンに倉庫が爆発した際に飛び散った炎が引火し、顔の左半面に重度のやけどを負ってしまう。さらに、同時にジョーカー(直接的にはマフィアに通じていた汚職警官)に拉致され、自分と同じ状況下にあったレイチェルは爆発に巻き込まれて死亡する。治療のためゴッサム市内の病院に入院した彼の前にジョーカーが現れ、自らの無計画性、混沌の本質が公平さであることを説くと、ハービーはこれまで信じてきた正義よりも「運」の力の方が強く、そして平等であるという強迫に目覚める。最初は、ジョーカーに対する怒りが強かったものの、レイチェルが殺されたショックもあり、精神に変調をきたしてしまった結果、彼をどん底まで陥れた汚職警官たちとマフィアたちに容赦なく私刑行為をする処刑人と化してしまう。ただし、「公正な」裁きを行うため、殺害するか否かはコイントスで決める。最期はゴードンの家族を人質にするが現れたバットマンと格闘の末、転落死した。死後、バットマンが彼の罪を被ることで「光の騎士」としての名誉は守られた。(トゥーフェイス-Wikipedia)

バットマンは、自ら罪をかぶることで屋敷に引きこもり、「デント法」が作られた。この「デント法」はYAHOO知恵袋には、
ゴッサムは新しい法律「デント法」を制定。犯罪者は、投獄されるか、街から追放されるかの二者択一を余儀なくされた。(「ダークナイトライジング」のデント法とはどういう内容の法律なのか?)
とある。ダークナイト・ライジングでも、ベインが、法廷を作るが、死刑と追放の二者択一だった。もっとも、この「街から追放」を選んでも、流氷に乗って川を渡ることで、死刑とあまり変わらなかった。そりゃ、犯罪は減るだろう。

さて、ブルース・ウェインがこのバットマンになったかについては、第1作の「バットマンズ・ビギンズ」に触れられていた。ストーリーは、こうだ。

長引く不況による貧困、凶悪犯罪の横行、司法の腐敗に喘ぐ大都市ゴッサム・シティ。大企業ウェイン産業社長の御曹司ブルース・ウェインは、ある夜、観劇の帰り道に強盗によって両親を殺害されてしまう。十数年後、成長し、復讐を遂げようと決意した彼が目撃したのは、裁判を終えた犯人が別の人間によって殺される現場だった。黒幕であるマフィアのボス、カーマイン・ファルコーニの元へ向かったブルースは、汚職と腐敗の蔓延したこの街では正義や個人の力など何の意味も持たないことを示された上で一蹴され、自らの無力さを痛感する。

行き場を失った復讐心、両親の死への罪悪感、犯罪者の心理の探求、腐敗しきった街で犯罪と戦う方法……様々な葛藤を胸に秘めながら、世界中を巡る旅に出た彼は、放浪の果てにたどり着いたヒマラヤの奥地で、ヘンリー・デュカードと名乗る男と出会う。悪と戦う力を手に入れるには超然的な存在になる必要があると説く彼に導かれ、ブルースは謎の人物ラーズ・アル・グールと彼の率いる"影の同盟"という組織に接触する。

"影の同盟"の下で修行を積み、強靭な精神と意志を身につけ、戦闘技術に磨きをかけたブルースは、考えの相違から同盟と決裂すると、マフィアたちの巣窟となったゴッサム・シティへと舞い戻る。今や彼らと戦う術と強い覚悟を得たブルースは、幼き日に枯れ井戸の底でコウモリに恐怖した体験をもとに、自らが犯罪者たちを震え上がらせる恐怖のシンボルとなることを決意する。執事アルフレッドの献身、ウェイン社応用科学部ルーシャス・フォックスの技術的支援、街の唯一の良心ゴードン巡査部長との結束、そしてブルースとしても幼馴染であり思い人でもあるレイチェル・ドーズ検事の協力を受けながら、バットマンとしての闘いを開始する彼だったが、それはさらに過酷な現実の始まりでもあった。(バットマン ビギンズ-Wikipedia)

このラーズ・アル・グールと彼の率いる"影の同盟"というのは、タイガーマスクの「虎の穴」のようなものだ。孤児を集めるという発想が、今作の「ダークナイト・ライジング」にも生きており、犯人役のベインを始め、多くが"影の同盟"出身者だった。
正体は影の同盟の元メンバー。既に破門を受けていたが、本人はラーズ・アル・グールの後継者を自称している。真の目的はラーズ・アル・グールの遺児タリアと共にバットマンへの復讐を果たして「ラーズ・アル・グールの運命を完結させる」事、すなわちゴッサムシティの滅亡である。「中性子爆弾の起爆スイッチを匿名の一市民に預けた」と語っていたが、実際はスイッチを押さずとも5ヶ月後にメルトダウンを起こす仕掛けになっていた。(ベイン-Wikipedia)
なお、映画では、タリアではなく、ミランダになっていた。

破壊か再建か2つの考え方

バットマンがなぜマスクをするのかを尋ねられた時、「大切な人を守るため」と言っている。面白いことに、「アメイジング・スパイターマン」で子どもを救うとき、スパイダーマンはマスクを取っている。それは「(驚かさずに)安心させるため」と言っている。大切な人の前では、素顔になり、悪と戦うときはマスクをする。この両面がマスクの2面性である。

さて、同じ影の同盟出身者なのに、バットマンとベインの2つの考え方が現れたか。僕は、絶望と希望の2つの道でこんなことを書いた。

福井晴敏氏原作の映画「ローレライ」の監督樋口真嗣監督の言葉である。

第二次大戦とはいっても、戦う相手はアメリカではなくて、同じ日本人にしようと決めていました。現在の日本を裁こうとする人間と、それを守ろうとする人間の話に。今の日本を見ていると、自分にも二つの気持ちがあるんです。「何でこんなになっちゃった」という思いと、「それでも生きていかなければ」という思い。その両方の戦いにしたかった。福井さんの小説は、実は全部そうだと思うんです。(「ダ・ヴィンチ」2005/6月号)( イージス艦の衝突事故・日本人の敵は日本人)

僕は、この言葉を受けて

人を裁くために、宗教や過去の都合のよい事実を並べ立て、一気に殲滅してしまおうとする「何でこんなになっちゃった」=現代社会はもうだめだから破壊して、新しい自分に都合よい社会を作ろうというテロリズムの論理と、「それでも生きていかなければ」=確かに世の中には悪いことが一杯あるけど、少しずつでもよくしていこうという守る側の論理がある。(テロリズムと神、幕僚長の奇妙な思想)

この破壊の思想は、大切な人を亡くした時に発想しやすい。バットマンは、ゴッサムシティの住民もまた大切な人だと考え、自らの命を懸けて中性子爆弾を海に運んだ。そして、自分の家屋敷は、孤児院にしている。これは、バットマンが思い描いていた再建の心を子供たちに伝えたいと考えたからである。
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