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素人だから言えることもある

山中伸弥氏の発想とセレンディピティ

抜き書き「ノーベル賞・山中伸弥 iPS細胞"革命"」(1) 抜き書き「ノーベル賞・山中伸弥 iPS細胞"革命"」(2) の文章からセレンディピティへの流れを考えてみた。

「素人発想」と「玄人実行」

もともと山中氏は、大学時代からの基礎医学の研究者ではなく、整形外科医という臨床医だった。また、集めた研究員も同様である。特に、今回の発見の肝となる高橋和利氏は工学関係だという。1億総キュレーター時代にはセレンディピティが重要になるで引用した成功者の絶対法則セレンディピティ」(宮永博史著/祥伝社) を改めて読み返すと、「素人発想」と「玄人実行」という言葉があった。そこで紹介された本「素人のように考え、玄人として実行する」を読んでみた。
発想は、単純、素直、自由、簡単でなければならない。そんな、素直で自由な発想を邪魔するものの一番は何か。それはなまじっかな知識―――知っていると思う心―――である。

知識があると思うと、物知り顔に「いや、それは難しい」「そんなふうには考えないものだ」と言う。私などのように、大学の教授と呼ばれる職業の人間はつい、「その考えはね、君、何年に誰それがやったけどうまくいかなかったんだよ」と知識を披露したくなるものでもある。実際、専門家というのは「こういう時にはこうすればうまくいくはずだ」というパターンを習得した人である。その分野を知っているだけに発想を生む視野が狭くなってしまう。

もともと発想は「こうあって欲しい」「こんなぐあいになっているのではないか」という希望や想像から生まれる。希望や想像は知らなくてもできる。とらわれがないとかえって斬新な発想を生み出す可能性がある。「できるのだ」という積極的態度につながる。

しかし、発想を実行に移すのは知識が要る。習熟された技が要る。考えがよくても、下手に作ったものはうまくは動かない。やはり、餅は餅屋なのだ。(金出武雄著「素人のように考え、玄人として実行する 問題解決のメタ技術」PHP研究所)

山中氏はこう言った。
山中 これは、もう苦し紛れの発想といいますか、やはり自分の研究室、初めて持ったのですが、37歳くらいの時で、全く無名の研究者で、ES細胞を研究するといっても、論文が1個か2個あるだけ、その人間が、これから独立して、生き残って、研究者として生き残っていく必要があるんですね。どういう研究をするか、ES細胞をしたいんだけれども、これは勝ち目がないと思いました。もう世界、日本だけでもたくさん先行する研究者がおられましたし、世界中を見たら、本当にたくさんの人が優れた研究されていますから、そこに後から参入しても勝てるわけがないと、思いました。最初から負け戦をするのは、これは勇気ではなくて、無謀なことに思えてですね。じゃあ、何ができるか。反対をやろうと。分化している細胞からES細胞を作ろうと。(抜き書き「ノーベル賞・山中伸弥 iPS細胞"革命"」(1) )
ES細胞の研究者は、どれも「玄人発想」で「玄人実行」の人ばかりだ。同じことをやっていては、目立たない。そこで発想を広げるには何が必要か。それが「素人発想」の必要な点だ。専門家にはプライドがある。そのプライドが返って発想を狭くする。この本の中で、アーサー・C・クラークの技術の三法則が引用されていた。
2001年宇宙の旅』の原作者アーサー・C・クラークが技術の三法則として、面白いことを書いている。

第一条:科学者があることは可能であると言明した時は、彼はほとんど間違いなく正しい。彼が不可能だと言った時は、非常に高い確率で間違っている。

第二条:可能性がどこまであるかという極限を発見する唯一の方法は、それを少し超えて不可能な領域に思い切って冒険して足を踏み入れてみることである。

第三条:十分に先進的な技術はどれもマジックと区別がつかない。(金出武雄著「素人のように考え、玄人として実行する 問題解決のメタ技術」PHP研究所)

普通の科学者は、せいぜい第一条どまりだ。彼らは「玄人発想」「玄人実行」をするため、発想の領域が狭い。ノーベル賞を取ろうと思うならば、第二条にまで冒険しなければならない。その時役に立つのは、「素人発想」である。
山中 多くの学生さんたちは、自分の予想が外れるととってもがっかりしてしまって、そこで目をつぶってしまって、もうだめですと、この実験はもうだめですという感じになってしまうんですが、でもこう、はたから見ていると、確かに予想は外れてるんだけと、でも、予想とは違うけれども、ものすごい返って僕から見ると面白いことが起こってることがよくあるんですね。やっぱり科学者一番大切なのは、起こったことをありのまま受け入れると。じゃあ、答えはイエスでもノーでもどっちでもいいんだと、僕の予想が当たろうが、外れようがどっちでもいいから、本当のことを知りたいでしょ、僕たちはっていう、真実を僕たちは知りたいんだと。(抜き書き「ノーベル賞・山中伸弥 iPS細胞"革命"」(1) )
失敗を恐れるから、冒険ができない。新しい発見は失敗の先にある。

25番目の培養皿

今回iPS細胞発見のきっかけになった25番目の培養皿。番組では、
NA その時の実験の記録です。遺伝子を一つずつ入れた24の培養皿では、全く変化がありませんでした。ところが、変化が起きた皿がありました。25番目の培養皿。実は高橋さんは、ふとした思いつきで24種類の遺伝子すべてを入れてもう一つ培養していたのです。

高橋 とりあえず(24種類の遺伝子)全部入れておけば、山中先生も納得するかなと思って。

NHKスタッフ どういうことですか。

高橋 いろいろな可能性を試した方が、研究というのは、いいと思うので。一個一個でダメな場合に、全部入れてもダメなのかと。そういうふうなことを、山中先生なら聞いてきそうな気もしていたので、それだったら、最初から入れてもいいんじゃないかな。(抜き書き「ノーベル賞・山中伸弥 iPS細胞"革命"」(1)

として、高橋氏の「ふとした思いつき」だという。この「ふとした思いつき」とは何か。調べてみると発売されたばかりのニュートン12月号に高橋氏の証言があった。
高橋 実験をはじめた当時は、とにかく100個の遺伝子全部をしらみつぶしに1個ずつ試してみようと思っていました。まずは、100個の中でも、自分たちの実験データやほかのグループの論文から得た知見をもとに見当をつけた、特に可能性の高そうな24個から実験をはじめました。この24という数字も、培養に使う培養皿の都合上、6の倍数個ずつだとやりやすかった、という事情が含まれていたりして、確信を持てる根拠があって選んだわけではまったくありませんでした。

その実験の最初の段階で、実は僕が計算ミスをしてしまい、実験に使う細胞を24個よりも多く用意してしまったんです。余るのももったいないので、どうせだから24個の遺伝子をそれぞれ1個ずつ入れた培養皿とは別に、24個の遺伝子全部を入れたプレートをつくってみました。

そうしたら、2週間後くらいに、24個全部を入れた培養皿だけ、もこもこと細胞がふえているのが見えたんです。実験の際に、ES細胞のように「初期化」されない限り、細胞が生きていられないようなくふうをほどこしていたので、細胞がふえているというのは、初期化された証なんです。この細胞は、見た目もES細胞に似ていました。(ニュートン2012年12月号 医療新時代の扉を開いた山中伸弥教授とiPS細胞 PART3高橋和利博士に聞く誕生のドラマより)

「自分たちの実験データやほかのグループの論文から得た知見をもとに」とあるように、研究自体は、「玄人実行」そのものであるが、そこに「計算ミス」という「素人発想」が含まれたために、セレンディピティが生まれたのである。まさに山中氏の言う
意外な実験結果に、振り回されて、もしくは意外な実験結果に導かれてここまで来た」(抜き書き「ノーベル賞・山中伸弥 iPS細胞"革命"」(1) )
わけなのだ。
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