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素人だから言えることもある

ラビットフット化するマニフェスト

政治のマクガフィン

ミッション・インポッシブル「ラビットフット」の謎のアクセス数が増えている。これは、昨日、「ミッション・インポッシブル?(M:I:?)」が放送されたためだ。そこでも触れたのだが、ヒッチコックが言い出した「マクガフィン」が政治においても活躍しているのではないかと思われる。ワンフレーズポリティクスという言葉がある。
 「改革なくして成長なし」「聖域なき構造改革」に代表されるキャッチフレーズ的な言い回しを多用する小泉首相の政治手法をやゆして使われる。成田豊電通会長らが昨年十二月に首相と会食した際、「コミュニケーション能力をもう少し発揮して、国民に対してメッセージを発してほしい」と忠告して広まった。だが、首相は「マスコミが都合の良いところをつまみぐいするせいで、自分はちゃんと説明している」と主張している。(ワンフレーズ・ポリティクスとは)
今回の選挙に踊っている「脱原発」「反消費税」「反TPP」という言葉もそうだ。もちろん、関係者にとっては十分意味があるのだろう。しかし、それらの言葉が独り歩きして、そこへ行くための具体的な方策が示されない。「具体的な方策」と言えば、「マニフェスト」という言葉もそうだ。いつの間にかあれほど多かった「マニフェスト」という言葉を使った党も減っている。12月1日付の産経新聞では、
 重点政策、選挙公約、骨太…。今回の衆院選を前に与野党が発表した公約のタイトルでは「マニフェスト」が“死語”になりつつある。前回衆院選では政策本位の選挙を象徴するキーワードとして注目され、平成15年の流行語大賞に選ばれたが、「マニフェスト違反」を繰り返した民主党の失政によるイメージダウンが響いている。

 前回衆院選では民主、社民など5党が「マニフェスト」を採用した。ところが、今回の衆院選でマニフェストという言葉を明確に使用したのは民主党だけ。

 自民党は今回から「重点政策」に。社民党も「『うそつき』と同義語になりつつある」(福島瑞穂党首)として「選挙公約」に衣替えした。公明党は「重点政策」を前面に打ち出し、冊子にはマニフェストを薄い文字で表記する苦心ぶりがうかがえる。

 第三極の日本維新の会は「骨太」、みんなの党は「アジェンダ」などと各党各様、独自の表現で公約を掲げている。

 ただ、マニフェストの特徴だった公約の数値目標や工程表も、各党の公約から影を潜めた。特に原発存続の是非をめぐっては各党の公約に開きがあるものの、具体的な道筋は示されていない。数値目標や工程表に縛られた民主党の二の舞いを避けたいとの思惑もありそうだ。(民主の失政で「マニフェスト」は死語化)

マニフェスト」自身には何の責任もない。むしろ、具体的な工程表をつけるという習慣は続けるべきなのに、「うそつき」というイメージがつけられて捨てられつつある。このような具体性のない言葉の一人歩きは、ラビットフットならぬ「マクガフィン」化している。

ビジョンの見えない政治

なぜ、毎回選挙のたびに新しい「ラビットフット」が登場するのか。それは、その政党にビジョンがないからではないだろうか。竹中平蔵(下)「リーダーは若者から生まれる」を読んでいるとこんな言葉が登場してくる。
ハーバード大学教授のロナルド・ハイフェッツが書いた『最前線のリーダーシップ』という本の中に、「リーダーはバルコニーに駆け上がれ」という言葉が出てくる。これは要するに、「鳥の目で見ろ」ということだ。ダンスホールで踊っているときに見える光景と、バルコニーに上がって、上から見える光景は違うことがよくある。

日本の貿易構造についても、一歩引いて俯瞰して見ることで、こうした大きな変化が起きていることに気付く。このように、鳥の目でリスク管理する力がないと、リーダーは務まらない。この「バルコニーに駆け上がれ」というハイフェッツの教訓は、リーダーにとって、ものすごく重要だ。とくに、若い人はゆとりがなくて、汲々としているだけに、このメッセージを意識した方がいい。

もう1つ、リーダーは絶対にご用聞きになってはいけない。民主主義のリーダーは、みんなの意見を聞かなければならない。しかし、リーダーの役目はあくまで「こうしようではないか」と皆にビジョンを与えることにある。ただ残念ながら、ここ3年ぐらいの政治は、みんな御用聞きになってしまっている。「国民の生活が第一で、みなさんが困っていることを助けてあげますよ」と言っても、そんなこと実現できるわけがない。

リーダーとは、「痛みを超えて、こうしようではないか」とビジョンを示して、組織に変化を持ち込める人だ。軋轢や批判に耐えて、周りを説得しながら、新しいものを生み出していくのが本当のリーダーだ。(竹中平蔵(下)「リーダーは若者から生まれる」)

竹中氏が取り上げている政治家にビジョンがあるかどうかは異論があるが、ただ、ビジョンが必要だというのは理解できる。最近、党名に政策そのものを掲げているものがある。確かに、投票する者からすればわかりやすいのかもしれないが、それではその党にビジョンがないことを示している。御用聞きに自分の運命を託したいと思わないはずである。ノーベル賞を受賞した山中伸弥氏の番組を書き起こしたエントリーでもVとWの必要性が強調されている。
国谷 留学された先の所長、メーリーさんが先生に研究者として成功したければ、大事なのはVとWだと、ビジョンとハードワークだと。研究者として、ビジョンを持つということは、容易ではなかったという時期もあったのではないですか。

山中 あの、ビジョンを言うのは簡単なんですね。例えば、やっぱり僕は最初から臨床医から研究に移ったんですけども、その最初からやっぱりいつかは研究、いったん患者さんの治療から離れるんだけれども、でもいつかはこの研究によって、一人一人の患者さんを助けることはできないけれども、一気にですね、何千人、何万人の人を助ける、助けたいんだと。いつかそういう研究に結びつく、そういう研究をしたいと。だからそのビジョンは最初からあったんです。

(中略)

漠然としたビジョンは医学の役に立ちたいというのがビジョンなんですが、じゃあ、それを実際どう具現化するんだというところで、ES細胞を受精卵以外から、分化した細胞から作りましょうというのを、奈良で作った自分の研究室のビジョンにしました。(抜き書き「ノーベル賞・山中伸弥 iPS細胞"革命"」)

僕は最近、「素人発想と玄人実行」の話をしているが、漠然としたビジョンは「素人発想」でも良い。それを具体化するのが「玄人実行」だ。したがって、民主党マニフェストの失敗は、「素人発想」を「素人実行」してしまったことである。そのため、「マニフェスト」が単なるラビットフットになってしまった。
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