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フェイスブックで検索サービス

朝日新聞で、こんな記事があった。
フェイスブックに新検索サービス 10億人の略歴対象 

【デトロイト=畑中徹】世界最大の交流サイトを運営する米フェイスブックは15日、利用者が投稿したコンテンツを簡単に検索できるサービスを始める、と発表した。検索サービスへの本格的な参入で、10億人の利用者がさらに広がるか注目される。新サービスの「グラフサーチ」は、「人物」「写真」「趣味」「場所」の4分野が検索でき、10億人の略歴や2400億枚の写真のうち、公開されている投稿コンテンツが検索対象となる。 (フェイスブックに新検索サービス 10億人の略歴対象)

グーグルが情報を検索するのに対して、フェイスブックは利用者を検索しようとするものだ。おそらく、知らない人に出会うときに、相手の趣味や考え方を知るには良いツールになるだろう。だが、果たして、これは正しいのか。

フェイスブックに家族の写真を載せている者もいれば、本人の顔写真さえも載せない人もいる。情報の公開度は人それぞれなのだ。また、公開しているグループの大きさもそれぞれ違う。これを一様に検索できるようにすると、どうしたって情報の濃淡が出てくる。転職などで、知られたくない相手の情報からトラブルのもとになるかもしれない。

テレビの見る側と見られる側

僕はこのニュースで「テレビの見る側と見られる側」の関係に似ていると思った。テレビの見る側は、どんな人が見ているかが明らかにされない。一方、見られる側は検索されるだろう。見られる側は、人から見られることで収入を得ている。だから、多少の悪口は甘んじて受ける。それが、ある瞬間に、すべての人が見られる側になったらどうだろう。別に、彼らは見られることで収入を得ているわけではないのだ。それは、グーグルのストリートビュー以上のプライバシー問題に発展するかもしれない。

僕は、クローズアップ現代の「“忘れられる権利”はネット社会を変えるか?」を思い出した。

今「忘れられる権利」というネット上での新たなプライバシー保護が注目を集めている。悪意を持った第三者が、Facebookやブログなどのネット上に蓄積した個人の情報をかき集め、住所や家族関係、過去の恋愛経験までを、ネット上に晒すプライバシー侵害が相次いるためだ。(“忘れられる権利”はネット社会を変えるか?)
これは、抜き書き「“忘れられる権利”はネット社会を変えるか?」として書き起こしている。この番組のキャスターをしているのが、不祥事を起こした森本健成氏。皮肉にも今、彼自身が「忘れられる権利」を欲しているであろうが。

その中で、慶応義塾大学大学院特任助教の生貝直人氏の言葉が耳に残る。

もう1つは、むしろもっと悩ましいと思うのが人からではなくて自分がついアップロードしてしまった情報なんですよね。たとえば、若い時に書いた日記ですとか、つい、はめを外しすぎた写真をアップロードしたっていったときに、やっぱり後で消したくなる情報って、たくさんあると思うんですけれど、そういうものをたとえばサーバーの管理者にお願いしたとしても、自分で公開したのだからプライバシーも何もないでしょうと、あるいは、何の法律にも違反しているわけでないしといって、ちゃんと取り扱ってくれないことが多いんじゃないかというふうに思います。
これからは、世の中の人たちは、気軽に情報をアップできなくなる。そのサービスがなくならない限り、いつでもその個人の情報が手に入るからだ。


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