夢幻∞大のドリーミングメディア

素人だから言えることもある

すべていつわりの国

 このタイトルは手塚治虫の「すべていつわりの家」(手塚治虫漫画全集88「メタモルフォーゼ」所収/講談社)のタイトルから来ている。

 来日したビリー・ブランクス(51)氏が言った言葉

「エクササイズは心がないとダメ。どうしてすぐにあきらめるんだ? 自分の力は自分の手の中にある。笑い事じゃない。真剣だ」

「みなさんはこのエクササイズを信じてくれているだろうが、ソファに座っているだけじゃダメ。心から信じないと、夢に追いつけないぞ!! 自分を愛してるか?」

「子供のころから、武士道に興味があった。日本人はあきらめない精神を持っていると知っている。みなさんは絶対、それを忘れてほしくない」

 実は、この武士道の精神、アメリカに大きな影響を与えている。たとえば、このコラムでたびたび言及しているスター・ウォーズについても日本の武士道が色濃くあることは有名だ。

 たとえば、塩見 智弘氏のサイト、ジョージ・ルーカス『スター・ウォーズ』三部作のメッセージ〔技術によって支えられた設定とストーリー〕によれば

 『スター・ウォーズ』の世界を語る上で欠かせないキーワードの一つが「ジェダイ騎士」(ナイト)である。オビ・ワンは「ジェダイ」の生き残りとして映画の中に登場するわけだが、彼が侍からイメージされて創られたキャラクターという点から「ジェダイ騎士」を考える上で「武士道」を無視することはできない。

 「ジェダイ騎士」になるためには、穏やかで、安らかで、無抵抗であること、そして、自信と勇気を持って行動することが求められる。決して怒りや憎悪などの感情に飲まれることなく冷静に行動しなければならないのである。

 新渡部稲造の著書『武士道』のなかで「智・仁・勇」は武士道を支える鼎の三つの脚だとされている。これは、それぞれ知恵、慈悲、勇気を意味している。この教えを守ることが侍には求められていたのである。以上のことから分かるのは、武士の心構えと、「ジェダイ」の教えはほぼ同じであるということである。

 たびたび「ダーク・サイド」論で考察したように、この武士道の精神とは「執着を捨てる」ことにある。堀江社長と折口会長がダークサイドに堕ちた理由では、
 シェアに執着することで、自分の地位は絶対であり、ほかの敵対するものは全て敵であり、切って捨てなくてはならないという境遇(つまり、これこそがダークサイド>)に追い詰められている。ダークサイドに堕ちるとどうなるか、まず、自分の世界に固執する。本来なら、もっと幅広く冷静に観察するべきなのに、自分の感情に左右されて周りが見えない。
 現在、社保庁の年金問題をはじめ、渋谷シエスパのガス検知問題、ミートホープの食肉偽装問題、ノバやコムスンの誇大広告など、いつわりに満ちている。表面上調子がよくても、裏ではドロドロの問題だらけだ。彼らもまたシェア拡大に執着することで、何のために生きているかを忘れている。そして、日本中が金や名誉に執着しているために、「すべていつわりの国」になったのである。

 ところで手塚治虫の「すべていつわりの家」(手塚治虫漫画全集88「メタモルフォーゼ」所収/講談社)とは、こんな話だ。

 ある少年が毎晩悪夢にうなされている。見る夢はいつも同じ。核戦争に破壊された世界だ。両親はそのことに気を悩む。ひょっとしたら少年は知っているのかもしれない。彼は自分たちの子ではなくて、地球最後のただ一人の人間だということを。両親は悪魔族だった。かつて、人間たちは神の意見を聞かず、核戦争を始めた。神は愛想を尽かし、人間たちを救うことをあきらめた。いつも神たちと対抗している悪魔族がその少年を救うことに決めたのである。

 最後に少年は真実を知り、神に救いを求めたが、予算の関係で救わないと断られた。手を差し伸べたのは悪魔の両親だった。

「さあ 家へ帰りましょう いっさいをお忘れ」

「おまえ 新しい人間の先祖になるだいじな身なんだぞ」

「おれ…おれ…ひとりぼっちだ…」

「なにをいうんだ とうさんとかあさんがいるじゃないか」

「悪魔の化けたかあさんなんかいらねーっ!!」

「そうよ かあさんは悪魔よ でもほんとのかあさんとどこが違って?」

「ウ…ウエッ…ウエッ…ウ…」

「いままでどおり お前は 不自由なくくらせるのよ」

「いずれ 大きくなったら 魔女とでも結婚させてやる」

「もう一度 地球に 人間をさかえさせるんだ…」

「人間と悪魔の力でな…」

 そこにあるのは、将来に対する「あきらめない精神」だ。たとえ、「すべていつわりの国」であっても、嘆いてしまえば、自分の感情に支配されたダーク・サイドに堕ちた人間と同じである。

 ところで、「執着する」と「あきらめない」ことは、似ているようでまったく違う。「すべていつわりの家」で主人公の少年が捨てた執着とは「母親は悪魔であって人間でないこと」だが、それは外見に根ざしている。外見にとらわれたために絶望が襲ってくる。一方、父親の「もう一度 地球に 人間をさかえさせるんだ…」「人間と悪魔の力でな…」という言葉は、心の内面から出た言葉だ。この外に対する執着を捨てて、内なる「あきらめない精神」を燃やすことこそが、「すべていつわりの国」を脱する唯一の方法である。


ブログパーツ

広告を非表示にする