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素人だから言えることもある

クリエイターは今を否定する。サーバー(奉仕者)は今を維持する。

クリエイターの前向きの心

前項「バラエティーとジョブズ」で、日本テレビの土屋敏男氏とスティーブ・ジョブズの言葉を取り上げたが、現状を否定し、自分の思った方向に持っていこうとするバイタリティに興味を持った。ところで、タイトルのクリエイターとサーバー(奉仕者)については、米コラムニストのトーマス・フリードマンの言葉。日経新聞2つのサーバー 生まれる雇用、消える職の中で出てきた言葉だ。

 「今後の世界は2種類の労働者しかいなくなる。クリエーターとサーバー(奉仕者)だ」。米コラムニストのトーマス・フリードマン(59)は近著でこう言い切る。

この言葉から、クリエイターとサーバー(奉仕者)の違いについて、僕は最近考えている。


ネット時代の2極化と無駄の重要さ
なぜ、サーバー(奉仕者)は『生産の喜び』を感じないのか
『生産の喜び』と『消費の喜び』(なぜ、サーバー(奉仕者)は『生産の喜び』を感じないのか・2)

バラエティーの作り手もクリエイターの一人である。したがって、「バラエティーとジョブズ」でも同様だ。彼らは、今の状況で安住せずに、

その時にあるテレビバラエティーというものを、乗り越えよう、否定しよう、そうじゃないものを作ろう。(「1000人が考えるテレビ ミライ」の土屋氏の言葉)

この言葉は、ノーベル賞受賞者山中伸弥氏の言葉や、「はやぶさ」の川口淳一郎氏の言葉に共通する。

彼もたくさんの失敗をしたんですけれども、そういうのにあまりがっかりせずに、嬉々として実験をする。(抜き書き「ノーベル賞・山中伸弥 iPS細胞"革命"」(2) )

常に前向きで、悲観的な考え方がまるでないのです。「できる」ということを最優先で考える。たとえそれに多少の問題があったとしても、やろうとしていることができるのだから、それでいいじゃないか、ということです。マイナス面に目を向けるのではなく、プラスを見る。(映画「はやぶさ」の「失敗は成果だ」という話)

このような失敗にめげずに新しいものに挑戦しようとする性質がクリエイターの本質ではないのか。

エントリーシートスティーブ・ジョブズ

一方、サーバー(奉仕者)とは何か。決められた規格をきちっと守って変革を好まないもの。僕は、「コリコウな人々」としてこう書いている。

 このようなタイプは、細かいことによく気がつき、大きな失敗はしない。だが、大局に立つことは苦手だ。ほどほどに知能が高く、常識を守り、保守的だ。常識を打ち破る人間に対して、抵抗したり、足を引っ張る。官僚的、組織的ともいえる。また、目の前しか見えないので、自分の今の地位や生活を守ろうとする。「バカ」なら、先に不安を感じないが、「コリコウ」ゆえに、あらゆる情報から不安の種を見つけ出してくる。今、日本人の大半はこのタイプだ。

典型的な例がある。日経新聞で「人事が語る 落ちるエントリーシートとは」という就活に役立つ記事が連載していた。

――社会人になろうというのだから、最低限のルールは守らないといけない。ESの書き方でも常識を疑うものが珍しくないようだ。

この記事に対して、ゲームサイトのインターめっつおでは、

有料記事ですが、日経新聞に様々な企業の人事担当が集まって座談会をしている記事がありましたのでご紹介。言わば「こんなエントリーシートが来たけど落としたよ」集です。就活の第一関門であるエントリーシートでは「最低限の常識がない」と思われてしまうとダメみたいですね。記事を読みながら、スティーブ・ジョブズは落ちるだろうな、とか思ってしまいました...。(日経新聞

と書いていた。確かに、スティーブ・ジョブズといえば、日本を訪問した時、

日本では数社を訪問したが、どこに行ってもジョブズの態度はひどいものだった。相手はダークスーツを着ているというのに、ジーンズにスニーカーで会いに行く。日本の慣例で渡されたお土産は置いてくるし、ジョブズがお土産を渡すこともなかった。ずらりと並んだエンジニアがお辞儀をして製品を差し出す様子をせせら笑った。製品も、おもねる様も気に入らなかった。(ウォルター・アイザックソン著/井口耕二訳「スティーブ・ジョブズⅠ」講談社)( ジョブズとソニー(4)「スティーブ・ジョブズ」のソニー部分(1) )

というのだから、一般常識そのものがない。事実、ソニーの出井氏やストリンガー氏は、

「スティーブという男には、ご存知のように、自分の思惑というものがあります。天才かもしれませんが、なんでもオープンにしてくれるわけではありません。大企業としては、付き合いにくい相手なのです……悪夢といってもいいですね」

北米ソニーのトップ、ハワード・ストリンガージョブズについてこう語っている。

「一緒にやろうとすること自体、時間の無駄だと思います」(ウォルター・アイザックソン著/井口耕二訳「スティーブ・ジョブズⅡ」講談社)( ジョブズとソニー(5)「スティーブ・ジョブズ」のソニー部分(2) )

とあきれている。日本ではまず、どれほど才能があっても常識を守らない人間はカットされてしまう。たが、それでは、想定外の発想はできない。日本の就活は、規格外の人間を排除することで同質化してきたのだ。そしてこれらの就職試験で生まれたサーバー(奉仕者)たちは、代替可能であるゆえに、よりコストの低い海外の労働者やコンピュータにとってかわられてしまう。

中島聡氏は、「皆が「空気を読み、流れに乗って」ばかりいたらこの国は沈む」の中で、

欧米に追いつくことだけを考えれば良かったころは、創造性よりも調整能力、専門性よりも汎用性、知恵や知識よりもコミュニケーション能力が重視された。高度成長期に学校・社会がそんな「ゼネラリスト」を育み、優遇するように作られて来たのは当然の結果である。このコメントにある通り、「ちゃんと予習をして来る、教室の前の方に座る、質問で授業を長引かせる」ような連中は「異質」であり、「皆がやっていることをその流れに乗って同じようにできる人」が重宝されて来た。
しかし、今の時代はもう違う。これからは、「正解が決まった問題をすばやく解ける」ゼネラリストではなく、「誰も解こうともしなかった新しい問題を自ら見つけ出して正解を探す」イノベーターが必要なのだ。
「出る杭は打たれる」「空気を読め」「長い物には巻かれろ」という言葉に萎縮し、「皆がやっていることをその流れに乗って同じようにできる人」ばかりの国には未来はない。
イノベーションには、人と違うことを失敗を恐れずに出来る「出る杭」が必須だ。「そんなもの誰も使わないよ」「そんなもの誰も作ってないよ」「絶対儲かるわけないよ」と回りの人に批判されても、信念を持って、何度失敗してもへこたれずに前に進み続けることの出来るガッツが必要だ。

先が見えない時代だからこそ、代替可能なサーバー(奉仕者)を生産するより、代替不可能なクリエイターを作っていかなければ、日本人そのものが消えてしまうだろう。

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