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素人だから言えることもある

抜き書き「ノーベル賞・山中伸弥 iPS細胞"革命"」(2)

<対談>

国谷 iPS細胞を一緒に作られた高橋和利さんですか、高橋さんは先生に30年かかるかもしれないとずっと雇い続けてあげるから、やるっていうこの決意を持ち続けられたというのは。

山中 この実験、誰にしてもらおうかなと、思った時に、僕は高橋君、一番向いていると。彼は実験が大好きといったんです。彼もたくさんの失敗をしたんですけれども、そういうのにあまりがっかりせずに、嬉々として実験をする。彼しかいないと思って、どうだって聞いたら、僕がやってもいいんですかと、嬉々として言ったのを覚えています。ある程度はったりもありましたが、もう、失敗するのは分かっているから、もう思う存分やってくれと。何年かかってもいいから、ダメなときは僕はもう一度医者に戻って、細々とやるから、その時は、受付で雇ったるから、頑張れというようなことを言ったのを覚えていますね。

国谷 先生は周りの学生の方々や、研究者の方々に聞くと、実験を信じなさい、実験こそが自信になるっていうことを繰り返し繰り返し畳み込まれるそうですね。

山中 多くの学生さんたちは、自分の予想が外れるととってもがっかりしてしまって、そこで目をつぶってしまって、もうだめですと、この実験はもうだめですという感じになってしまうんですが、でもこう、はたから見ていると、確かに予想は外れてるんだけと、でも、予想とは違うけれども、ものすごい返って僕から見ると面白いことが起こってることがよくあるんですね。やっぱり科学者一番大切なのは、起こったことをありのまま受け入れると。じゃあ、答えはイエスでもノーでもどっちでもいいんだと、僕の予想が当たろうが、外れようがどっちでもいいから、本当のことを知りたいでしょ、僕たちはっていう、真実を僕たちは知りたいんだと。

国谷 ノーベル賞の発表があった後、先生、研究というのはベールを一枚一枚剥がしていくようなもので、先生は、その最後の一枚のベールを剥がすラッキーな研究者であったとおっしゃってるんですけれども。

山中 やはり、今、最後とおっしゃっていただいたんですが、決して最後ではないんですね。途中の、確かに大切な一枚だったかもしれないんですが、たまたま大切な一枚だったかもしれないんですが、研究というのは本当にもう、何百年と続く、本当、長い長いリレーといいますか、駅伝といいますか、そういう作業なんだと。私たちはたすきをつなぐ役割なんだと。

国谷 試行錯誤しながら、研究者の道を歩んでこられたわけですけれども、自分がいつしか、あっ、独創的な着想ができているな。何かこう、人と違う発想に、何かできているなというふうに思われ、意識されたことはありますか?

山中 一つだけ自分を褒めるならば、その意外な結果に目をつぶらなかった。いってみたら、自然が独創的なアイデアのヒントを与えてくれたと思うんですが、そのヒントを逃さなかったといいますか、それは、そういうことが僕の研究生活で大きく2回くらいあったんですね。自然はものすごい独創だと思います。もう先生の中の先生という感じですから。

国谷 その2回大きく自然の方から教えてもらったっていうのは、具体的には?

山中 これはやっぱり、僕、ものすごく運がいいと思います。一回目は、人生で初めてやった実験。
(犬の血圧が下がるのを止めるはずの実験で血圧がさらに下がった。)
大学院生に4月になってですね。普通の誰もが普通に考えるような実験、練習のつもりでやったんですが、その結果が、予想と正反対のことが起こったんですね。その時に僕は、ものすごい興奮したんです。普通だったら予想が外れたので、がっかりする場合が多いと思うんですが、これはもう、自然にものすごく、もう本当にえっ?何でこんなことになるの、なんで予想もしない逆の反応が起こるんだろうと思ってものすごい興奮を覚えた。
2回目は、アメリカに行って、向こうのそのときのボスに出されたアイデアで、動脈硬化を治すための新しい治療法だったんですが、それを確かめるために
(ネズミの動脈硬化を治そうとして肝臓にがんができた)
ネズミに処置を施すと、動脈硬化を治すどころか、逆に肝臓にものすごい大きながんができて、病気を治すどころが、逆に完全に病気にしてしまった。これもびっくりしました。

国谷 そうすると立てた仮説が裏切られる、それは指導教官の仮説も裏切られ、先生ご自身か立てた仮説が裏切られ、しかし、そこに生命科学っていうか、不思議をものすごく感じられたということですか?

山中 そうですね、やっぱりですね、今、私たち、少し尊大になっているところがあるかもしれません。人類はずいぶん科学、いろんなことをもう分かっていると、実はおそらくやはり、分かっているのは、いわゆる氷山の一角といいますか、大きな氷の塊で、海の上に頭を出している少しの部分が分かっているだけで、実はわかっていない部分の方が大きいんじゃないかなと。その分かっている部分で僕たちは仮説を立てたり、アイデアを出そうとしますから、たかが知れてるんですけれども、でも、その分かってる部分で実験を考えて、見えている部分をちょっとたたいたりすると、見えていない部分というのが、ふっと顔を出してくれる。でも、油断していると、ふっと顔を出してもまた沈んでしまいますから、気付かずにがっかりするだけで終わってしまうと、でもそれがちょっと見えたときに、がっとこう、行くのがやっぱりとっても大切だと思います。

<VTR>

NA 山中さんたちが生み出したiPS細胞。今、医療に革命を起こそうとしています。皮膚から作られたiPS細胞に、特定の物質を加えて培養すると、細胞の姿が変わりました。神経の細胞です。体内のものと全く同じように、ネットワークを広げて活発に動いています。こちらは心臓の筋肉の細胞。実際の心臓と同様に、規則的に拍動します。iPS細胞は神経や心臓だけでなく、体の様々な細胞に生まれ変わることができます。これらの細胞を患者の体に移植して治療する再生医療が、現実のものになろうとしています。
京都市に住む富永昇さん。両目がほとんど見えません。病名は加齢黄斑変性。網膜に傷がつき、進行すると失明する病気ですが、根本的な治療方法はありません。

富永 世の中すべてが嫌になる。もう自分の身を投げ出したくなってくる。

(先端医療センター 神戸 中央区)

NA しかし、この状況が大きく変わろうとしています。眼科医の高橋政代さんです。iPS細胞を使った再生医療の研究を続けてきました。治療の切り札となるのがこちら。iPS細胞から作った網膜の組織です。

NHKスタッフ これが私他の目の中にあるものと同じ?

高橋(政) そうですね。全く同じ機能を持ってますし、形態も同じですね。

NA 目の奥でものの色や形を認識する網膜。加齢黄斑変性では、この網膜の中で出血が起こり、一部の機能が失われてしまいます。高橋さんは、この傷んだ部分にiPS細胞から作った組織を移植することで、視力を回復させようとしているのです。
動物実験を重ねて安全性を確認してきた高橋さん。国から了承されれば来年にも移植手術を始める予定です。

高橋(政) 今まで何百年もできなかったことができようとしていますので、大きな一歩ではあると思います。

NA 一方、iPS細胞は、治療法がないとされてきた病気の薬の開発も一気に進めようとしています。千葉県に住む米谷富子さん。16年前から難病のパーキンソン病を患っています。パーキンソン病は脳の神経細胞の異常によって、体の筋肉がこわばっていく病気です。完治させる薬は今のところありません。

米谷 だんだん悪くなっていってるから、いずれはダメになるんだろうなって。

NA 米谷さんはマラソンが趣味で、病気が発症する前は、海外の大会にも出場してきました。新しい薬が開発され、再び走れる日を待ち望んでいます。

米谷 走れるんだったら走りたいですね。走ってみたい。ただ今のところ、薬がないから。つらいっていうかね。

(慶応大学 東京 新宿区)
NA そのパーキンソン病の治療に、光がさそうとしています。慶応大学教授の岡野栄之さんです。神経の病気の専門家として、長年、パーキンソン病の原因を研究してきました。しかし、患者の脳から細胞を取り出すことは、極めて難しく、詳しいメカニズムが分かりませんでした。

岡野 これは中脳の断面図なんですけど、こんなところから細胞を取ろうとしたら、患者さんは大変なことになります。

NA この壁を打ち破ったのがiPS細胞です。患者の皮膚からiPS細胞を作り、さらに脳の神経細胞に作り替えます。およそ2週間培養すると、細胞に異常が起き、病気が発症する様子を直接観察することができるのです。患者の脳の中で、一体、何が起きているのか。左側が健康な人、右側がパーキンソン病患者のiPS細胞から作った神経細胞です。大きな違いか見られるのが、ミトコンドリアという細胞にエネルギーを供給する器官の形です。健康な人はほほ楕円形ですが、患者の方は、形が歪み、働かなくなっています。この現象が患者の体に異常をもたらしているのではないか、治療の手掛かりは徐々に明らかになっています。さらにこの細胞を使えば、薬になりうる物質を直接かけて、効果や副作用を簡単に検証できます。岡野さんは今、製薬会社と協力して、パーキンソン病を根本的に治す薬の開発を始めようとしています。

岡野 人の神経細胞、正常な細胞と病気の細胞を本当にサイドバイサイドで(並べて)比較することがiPS細胞技術を使って初めて可能になりましたので、そこが大きなブレイクスルーだと思います。より良い(薬)が作れるチャンスがiPS細胞技術によってできたと思います。

(アメリカ)

NA  iPS細胞による医療革命、世界中の企業が研究に乗り出しています。このベンチャー企業はiPS細胞を使い、心臓や神経などの細胞を大量生産することに成功。製薬会社などに、薬の実験用に販売しています。iPS細胞を使った薬の開発を行うこの企業には、投資ファンドから3年で50億ドルもの研究資金が集まっています。アルツハイマー病の薬の研究を進め、2年以内に世界初となる臨床試験を始める計画です。

ベンチャー企業CEO 山中教授がノーベル賞を取ったことは、わが社にとって確実に追い風です。私たちの研究に対する評価もどんどん上がっていくでしょうから、これからさらに多くの投資が集まると思いますよ。

<対談>

国谷 ものすごいスピードで、iPS細胞を使った研究が進んでいますけれども、今後の医療応用、どういうようなビジョンが先生には見えているのでしょうか。

山中 どうやってこのiPS細胞というまだ比較的新しい技術を、日本中の世界中の一人でも多くの研究者に使ってもらうかというところが一番大切だと思いますので。

国谷 もっと広く広く使ってもらいたい?

山中 そうですね。特に日本ではもっと広がってもいいんじゃないかというふうに思っています。特に薬の開発という意味では、より多くのいろんなですね、病気の研究をされてる先生、たくさんおられますので、そういった先生方がより気軽に、研究の材料の一つとして、道具の一つとして、iPS細胞を使っていただく。

国谷 今、パーキンソン病の研究も進んでますし、来年には網膜の組織の…。

山中 そうですね、再生医療は本当にこの5年でびっくりするぐらい進んでいますから、これはもうたくさんの先生、今のペースで頑張っていただけたらと思っています。なんとか薬をどんどん作っていきたいなと思います。

国谷 このiPS細胞を使って、新しい命まで生まれています。iPS細胞からできた卵子や精子でそれでマウスが生まれたりする。生みの親として、どういう恐れをお持ちですか?

山中 iPS細胞から精子ができる、卵子ができる。そしたら、例えばご本人の知らない間にその方の、他の目的で採血した血液からiPS細胞を作って、そこから精子を作って、理論的にはできてしまうわけです。から、どこまでが許されて、しかし、同時にiPS細胞から生殖細胞を作るというのは、不妊治療に、不妊の原因であるとか、薬剤の開発に極めて役に立つ可能性もありますので、全くその研究を禁止してしまうということも、正しい姿ではないと思います。どこまでが許されて、どこから先がだめなのか。これは研究者だけで決めることではなくて、やはり社会がどこまで容認するか、ということですから、私たちができることは、早く自分たちのやっていることを、わかりやすい言葉で皆さんに伝えて、一般の方の中で議論していく。技術のスピードはものすごい早いです。まだまだ先のことだと思って油断していると、すぐに技術が先行してしまいますので、そういった議論が大切だと思います。

国谷 iPS細胞は結果として4つの因子を入れるだけ、非常に簡単にできた。なぜ人間の体、あるいは生物の体っていうのは、簡単に初期化できるような仕組みになっていると思われますか?

山中 これはちょっと、分からないんですが、しかしですね、よく考えると、人間はその能力を失っているんですが、少し下等な動物、生物を見ると、イモリ、両生類ですけれども、これは足を切っても、また足が生えてくるわけですね。しかも見た目だけではなくて、中の骨とか、筋肉も、基本的に生えてきて元通りになるんですね。だからものすごい再生能力を持ってるんです。ですからやっぱり私たちの体も、そういった再生能力といいますか、ものすごい力が、今は発揮できなくなってるんですけれども、きっと残っていると思うんですね。

国谷 先生ご自身の中で、この生命とは何か、どのように感じていらっしゃいますか?

山中 生命はですね、やっぱりすごいの一言に尽きます。本当にものすごい可能性、私たちの人体にもありますし、生命そのものにもありますから、やはり私たちは、どこまでも謙虚にならざるを得ない、自分の体でありながら、自分の体は何もわかっていないということがiPS細胞一つとっても本当に分かりましたので、そこは研究者として、やっぱり謙虚という言葉を忘れずに、自然に自分の体に教えてくださいという態度ということ、あなたが一番の先生ですと、学生にも言うてるんです。山中先生が先生なんじゃないと。自然が先生なんだと。自分のやっている研究結果が先生、何よりの先生だと。

国谷 先生は基礎研究というのは、真っ白なキャンバスに描いていくものだとおっしゃっています。ご自身がそのキャンバスに描かれたものっていうのは、先生の目には今、どう映っているんでしょうか?

山中 まだまだ白い部分が大部分なんですね。ですから、もっともっと埋めていかないとだめですね。最初、臨床医だったんですね。外科医としてものすごい厳しいトレーニングを受けて、その時にでも叩き込まれたのは、頭より手を動かせと、考えてばっかりいる間に患者さん、死んでしまうぞと。それ、僕、外科医としてはダメだったんですが、研究者としての山中伸弥の中に、そのことはもうしみこんでいます。ですから私たち、学生さんにもそうですが、考えてばっかりいるのではなくて、ともかく変えていこうということをこれからも心掛けていきたいですね。こうやって研究者、研究の道を与えられたからには、やはりもともとのビジョンを忘れずにやっぱりいつかは患者さんの役に立ってから、死にたいなと、本当に思っています。

国谷 今日はお忙しい中、ありがとうございました。

山中 ありがとうございました。

NA ノーベル賞は通過点でしかないと語る山中伸弥教授。1日も早くiPS細胞を病に苦しむ人々のために役立てたい。山中さんの揺るがぬ思いです。
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