『生産の喜び』と『消費の喜び』(なぜ、サーバー(奉仕者)は『生産の喜び』を感じないのか・2)
今年の漢字は「金」
毎年恒例の今年の漢字。今年は「金」と決まったそうだ。2012年の世相を表す漢字は「金」――。日本漢字能力検定協会は12日、全国から公募した「今年の漢字」を発表した。世界遺産の清水寺(京都市東山区)で森清範(せいはん)貫主(かんす)が縦1.5メートル、横1.3メートルの和紙に墨で書き上げた。確かにロンドンオリンピックやノーベル賞の話題は、暗い話題の多かった今年の中でひときわ大きくきらめいていた。少しでも来年を良い年にしたいという国民の願いがこの言葉に凝縮したのだろう。ところで、これらの活躍した人が、前項なぜ、サーバー(奉仕者)は『生産の喜び』を感じないのかにおいて引用した
25万8912通の応募があり、「金」は9156通を獲得。金環日食のほか、ロンドン五輪での日本人選手の活躍や、東京スカイツリーの開業、山中伸弥教授のノーベル賞受賞などで、「多くの金字塔が打ち立てられた」ことが理由に挙げられた。
「今年の漢字」は阪神大震災が起きた1995年に始まり、過去5年は「絆」「暑」「新」「変」「偽」だった。「金」はシドニー五輪があった2000年にも選ばれていた。(今年の漢字は「金」 京都・清水寺で発表)
「今後の世界は2種類の労働者しかいなくなる。クリエーターとサーバー(奉仕者)だ」。(2つのサーバー 生まれる雇用、消える職)のクリエイターをさすことに注目したい。そういうと、山中教授のような科学者がクリエイターであることは納得できる。しかし、ロンドンオリンピックのスポーツ選手が何でクリエイターなのかという疑問があろう。それを解くには、同じくフリードマンの「フラット化する世界」の次の言葉を示したい。
私の辞書の無敵の民とは、「自分の仕事がアウトソーシング、デジタル化、オートメーション化されることがない人」を意味する。・・・フラットな世界には「代替可能な仕事と代替不可能な仕事の二つしかない」。・・・フラットな世界の最も顕著な特徴の一つは、たくさんの仕事が代替可能になったことだ。(トーマス・フリードマン著/伏見威蕃訳「フラット化する世界」日本経済新聞社)ロンドンオリンピックのスポーツ選手はいずれもが、「かけがえのない、もしくは特化した」人たちであり、代替不可能な人たちであることだ。このようにフリードマンの言うクリエイターとは単純にものづくりに限定しているわけではない。
そして次の 3 つの無敵の民を推奨している。
(1)「かけがえのない、もしくは特化した」人々
(2)「地元に密着」して「錨を下ろしている」人々
(3)新しいミドルクラス (1・2に当てはまらない知識労働者、ホワイトカラー層) (個人情報が輸出される「フラット化する世界」)
『生産の喜び』と『消費の喜び』とプロシューマー
前項なぜ、サーバー(奉仕者)は『生産の喜び』を感じないのかで最後にこう書いた。サーバー(奉仕者)の一人であるからこそ、クリエイターほど『生産の喜び』を信じることができないのだと思う。(なぜ、サーバー(奉仕者)は『生産の喜び』を感じないのか)どうしたって、サーバー(奉仕者)の一人である自分にとって、クリエイターほどその作品に思い入れは起こらないだろう。一方、『消費の喜び』は、自腹で払っているのだから、その作品に思い入れは高いに違いない。したがって、『生産の喜び』よりも『消費の喜び』に傾いてしまう。そこで思い出したのは、アルビン・トフラーの「プロシューマー」という言葉だ。僕は、プロシューマーの登場(マス消滅元年・4) においてトフラーの言葉を引用している。
金銭経済で販売するための財やサービスが作り出されるとき、それを作る人は「生産者」と呼ばれ、その過程は「生産」と呼ばれる。だが、金銭が絡まない簿外の経済に関しては、「生産者」にあたる言葉はない。確かに、クリエイターが自分の作品を売ってその対価によって生活できれば「生産者」と呼ぶことは出来る。だが、ボランティア活動やこのブログのような無料の知識提供はどうか。収益があればうれしいが、その創造そのものが楽しい時、別に儲かる必要がないのではないか。この儲かるかどうか関係ないという言葉は、山中伸弥氏が研究員を選ぶときの次の言葉に表れている。
そこで1980年に刊行された『第三の波』で、筆者は「生産消費者」という言葉を作り、販売や交換のためではなく、自分で使うためか満足を得るために財やサービスを作り出す人をそう呼ぶことにした。個人または集団として、生産したものをそのまま消費するとき、「生産消費活動」を行っているのである。(アルビン・トフラー/ハイジ・トフラー著/山岡洋一訳「富の未来・上」講談社/p284)
山中 この実験、誰にしてもらおうかなと、思った時に、僕は高橋君、一番向いていると。彼は実験が大好きといったんです。彼もたくさんの失敗をしたんですけれども、そういうのにあまりがっかりせずに、嬉々として実験をする。彼しかいないと思って、どうだって聞いたら、僕がやってもいいんですかと、嬉々として言ったのを覚えています。ある程度はったりもありましたが、もう、失敗するのは分かっているから、もう思う存分やってくれと。(抜き書き「ノーベル賞・山中伸弥 iPS細胞"革命"」(2) )また、はやぶさの川口淳一郎氏の言葉、
どんなところがユニークだったかというと、非常に前向きで、悲観的な考え方がまるでないのです。「できる」ということを最優先で考える。たとえそれに多少の問題があったとしても、やろうとしていることができるのだから、それでいいじゃないか、ということです。マイナス面に目を向けるのではなく、プラスを見る。(映画「はやぶさ」の「失敗は成果だ」という話)サーバー(奉仕者)だったら、最初にマイナス部分を見て悲観してしまう。クリエイターは、それをバネにして前向きに取り組む。それが、『生産の喜び』を持つクリエイターと単なるサーバー(奉仕者)の違いではないだろうか。