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素人だから言えることもある

ジョブズとソニー(5)「スティーブ・ジョブズ」のソニー部分(2)

今回のエントリーは、「スティーブ・ジョブズⅡ」(ウォルター・アイザックソン著/井口耕二訳/講談社)の中から。

(4)ソニーの影響(1998・1980)

iMacについては、もうひとつ、改良しなければならない点があった。大嫌いなCDトレイをなくさなければならない――ジョブズはそう思っていた。

「ソニーの超高級ステレオにスロットロードのドライブが使われてるのを見たので、ドライブメーカーに頼んで、製品発表の9カ月後に完成したiMacはスロット型にしたんだ」

ルビンシュタインは必死の抵抗を試みた。いまのドライブは再生しかできないが、もうすぐCDに音楽を焼けるドライブが出てくるはずで、その場合、トレイ型がスロット型に先行すると予想していたからだ。

「スロットにすると、ドライブ関連の技術で常に一歩遅れることになりますよ」

「知るか! 僕が欲しいのはこれなんだ」

このときふたりはサンフランシスコの寿司屋で昼食を取っていたが、ジョブズの希望で、話の続きは歩きながらすることになった。

「僕のためだと思ってスロットロードを使ってくれないか?」

こう言われて断ることはできなかった。しかし、ルビンシュタインの予想は正しかった。パナソニックが音楽の再生だけでなく書き込みもできるCDドライブを発売したが、やはり、旧式のトレイ型が先となったのだ。このことは、その後しばらくさまざまな形でアップルに影響する。まずは音楽CDをリッピング(コンピュータに取り込む)して焼きたいというユーザーへの対応が後手に回ってしまうが、だからこそ、音楽市場へ参入しなければならないと遅まきながらジョブズが気づいたとき、アップルは他社を飛び越える大胆で新しい方法を考えなければならなくなったのだ。(ウォルター・アイザックソン著/井口耕二訳「スティーブ・ジョブズⅡ」講談社/p114-115)

1980年代のはじめ、日本に出張したとき、ジョブズは、工場で働く人々がなぜ制服を着ているのかとソニー会長の盛田昭夫にたずねたことがある。

「恥ずかしそうな顔をして、『戦争後、皆、着る服もなかったので、ソニーなどの会社が作業員に着る者を支給する必要があったのだ』と教えてくれた」

その後、月日が過ぎるうち、ソニーのような企業にとって制服は、特徴的なイメージを表すもの、作業員と会社をつなぐ存在となった。

「アップルでもそういうつながりがあったらいいと思ったんだ」

制服を高く評価していたソニーは、著名なデザイナーの三宅一生にデザインしてもらった制服を使っていた。裂けにくい加工が施されたナイロンのジャケットで、ファスナー留めの袖をはずすと、ベストになった。

三宅一生に連絡して、アップルにもベストをデザインしてもらったんだ。あがってきたサンプルを見せ、こういうベストをみんなで着たらいいと思わないかと提案したんだけど、あのときはまいったよ。大ブーイングでさ。みんな、冗談じゃないと思ったらしい」

ともかく、このときジョブズ三宅一生と知り合い、彼のもとをときどき訪ねるようになる。やがて自分用に制服を用意したらいいと思うようになった。そのほうが毎日便利でもあるし(彼はそう考えている)、特徴的なイメージも伝えられるからだ。

「だから、気に入った黒のハイネックを作ってくれとイッセイに頼んだら、100着とか作ってくれたんだ」

この話を聞いたとき、私はまさかという顔をしたらしく、ジョブズは証拠としてクローゼットに積み上げたハイネックを見せてくれた。

「僕の服はこれだ。死ぬまで大丈夫なくらい用意してあるよ」(ウォルター・アイザックソン著/井口耕二訳「スティーブ・ジョブズⅡ」講談社/p120-121)

(5)デジタルハブ(1999-2010)

アップルのホームサーバ計画(ホームサーバの戦い・第43章)で紹介したアップルの30年ロードマップをご記憶だろうか。
「映像・画像・音楽・書籍・ゲームなどのあらゆるコンテンツがデジタル化され、同時に通信コストが急激に下がる中、その手のコンテンツを制作・流通・消費するシーンで使われるデバイスやツールは、従来のアナログなものとは全く異なるソフトウェア技術を駆使したデジタルなものになる。アップルはそこに必要なIP・ソフトウェア・デバイス・サービス・ソリューションを提供するデジタル時代の覇者となる」(アップルの30年ロードマップ)
この話も、「スティーブ・ジョブズⅡ」に載っていた。2001年代の構想では、
ジョブズは、アップルを変革し、同時にテクノロジー業界全体さえも変革しようとする壮大な構想を打ち出す。パーソナルコンピュータは脇役になどならない。音楽プレイヤーからビデオレコーダー、カメラにいたる、様々な機器を連携させる「デジタルハブ」になる――としたのだ。あらゆる機器をコンピュータにつないで同期する。そうすれば、音楽も写真も動画も情報も、ジョブズがいう「デジタルライフスタイル」のあらゆる側面をコンピュータで管理できる。

その後、アップルはいわゆる「コンピュータ会社」ではなくなるが――実際、のちに社名のアップルコンピュータからコンピュータを削る――マッキントッシュは、iPodiPhoneiPadなど、想像もできなかったガジェット群のハブとなり、少なくとも10年、活性化する。(ウォルター・アイザックソン著/井口耕二訳「スティーブ・ジョブズⅡ」講談社/p147)

この時点では、デジタルハブの中心になるのはパソコンであった。そもそも、この発想のもとになる事件があった。
コンピュータをデジタルハブにするというジョブズのビジョンの背景には、1990年代はじめにアップルが開発した「ファイアワイヤー」という技術がある。動画のようなデジタルファイルをある機器から別の機器へと高速で転送できるシリアルポートだ。日本のビデオメーカーが採用しており、ジョブズは、1999年10月以降のiMacにも搭載することにした。編集や配信のためにビデオファイルをカメラからコンピュータへ転送する際、ファイアワイヤーが使えると考えたのだ。

そのためには、iMacに優れた動画編集ソフトウェアを用意する必要がある。ジョブズはアドビ社の古い友人に頼み(アドビはデジタルグラフィックスの会社で、その立ち上げ時にジョブズが支援した経緯がある)、ウィンドウズで人気となったアドビプレミアのマック版を開発してもらおうと考えた。ところが、アドビの経営陣はジョブズの依頼をにべもなく断る。マッキントッシュはユーザーが少なすぎて割に合わないという理由だ。(ウォルター・アイザックソン著/井口耕二訳「スティーブ・ジョブズⅡ」講談社/p149-150)

おかげで、今でもiPhoneiPadではアドビFlashをサポートしないままだ。
「1999年、アドビに裏切られたとき、ハードウェアとソフトウェアの両方を管理できる事業でなければ足を踏み入れるべきではないと思ったよ。そうでなければ、首を切られてしまうからね」

こうしてアップルは1999年、「アートとテクノロジーの交差点にいる人」向けを中心としたマック用アプリケーションの自社開発をはじめる。デジタル動画の編集をおこなうファイナルカットプロやそれをシンプルにした消費者向けのiMovie、動画や音楽をディスクに焼くiDVD、アドビのフォトショップに対抗するiPhoto、作曲やミキシングのガレージバンド、楽曲管理のiTunes、楽曲購入のiTunesストアなどだ。
デジタルハブのアイデアはかなり早い段階で生まれていた。

(中略)

もうひとつ、気づいた点があった。コンピュータをハブにすれば、ポータブル機器はシンプルにできるはずだ。ポータブル機器は、ふつう、それ自体が動画や写真の編集などさまざまな機能を持つが、スクリーンも小さければ多くの機能を搭載したメニューも用意しづらく、機能は貧弱にならざるをえない。コンピュータならば、それがもっと簡単におこなえる。

そしてもうひとつ……ポータブル機器、コンピュータ、ソフトウェア、アプリケーション、ファイアワイヤーのすべてが一体化したとき、“最高の状態”が得られる。そうジョブズは気づいたのだ。

「あのとき、僕はエンドツーエンドのソリューションをそれまで以上に信じるようになった」

なんといってもすばらしいのは、このような統合アプローチができそうな会社がひとつしかない点だった。マイクロソフトはソフトウェアの会社だ。デルやコンパックはあくまでもハードウェア。ソニーはさまざまなデジタル機器を作っているし、アドビはアプリケーションは豊富だが、このようなものすべてを備えるのはアップルだけなのだ。ジョブズはタイム誌にこう語っている。

「ハードウェアからソフトウェア、オペレーティングシステムに至るまで、ウィジェット全体を持っているのはアップルだけだ。我々なら、ユーザー体験のすべてに責任が負える。我々は、他にはできないことができるんだ」(ウォルター・アイザックソン著/井口耕二訳「スティーブ・ジョブズⅡ」講談社/p152)

ソニーもハードもソフトを持っているではないかとも思えるのだが。
「アップルの場合、社内で協力しない部門は首が飛びます。でもソニーは社内で部門同士が争っていました」

実際、ソニーはいろいろな意味でアップルの逆だった。かっこいい製品を作る消費者家電部門もあれば、ボブ・ディランなど人気アーティストを抱える音楽部門もあった。しかし、各部門が自分たちの利益を守ろうとするため、会社全体でエンドツーエンドのサービスを作れずにいた。(ウォルター・アイザックソン著/井口耕二訳「スティーブ・ジョブズⅡ」講談社/p180)

2002年の初頭、ワーナーとソニーとアップルがコピー防止の規格を作ろうと集まったことがある。
音楽ファイルを保護する標準技術が早期に確立され、音楽関連の企業がみな参加すれば、数多くのオンラインストアが次々に生まれた可能性がある。そうなっていたら、ジョブズiTunesストアを生み出し、オンライン販売をアップルが一手に握るのは難しかっただろう。

このチャンスをジョブズに与えたのはソニーである。クパチーノでおこなわれた2002年1月のミーティング後、協力関係を解消し、使用料を徴収できる独自規格の道をゆくと決めたのだ。この動きについて当時、ソニーのCEOを務めていた出井伸之がレッドへリング誌の編集者、トニー・パーキンスに次のように説明している。

「スティーブという男には、ご存知のように、自分の思惑というものがあります。天才かもしれませんが、なんでもオープンにしてくれるわけではありません。大企業としては、付き合いにくい相手なのです……悪夢といってもいいですね」

北米ソニーのトップ、ハワード・ストリンガージョブズについてこう語っている。

「一緒にやろうとすること自体、時間の無駄だと思います」(ウォルター・アイザックソン著/井口耕二訳「スティーブ・ジョブズⅡ」講談社/p172-173)

どうもジョブズ氏という人は、個人としても大企業としても付き合いにくい人であったようだ。おかげで、音楽会社の協力は解消され、iTunesストアの一人勝ちを許したのだが。

2003年4月、iTunesストアが発表され、ジョブズ氏と4か月前から交渉していたソニーのトップ、アンディ・ラック氏が東京で行われるソニーの新年度頭訓辞に出席した。

(ラック氏は) 訓辞に集まった200人のマネジャーを前に、iPodをポケットから取り出す。

「これだ」

CEOの出井伸之や北米のトップ、ハワード・ストリンガーも見ている前で宣言する。

「これがウォークマンキラーだ。怪しげなところなどどこにもない。こういうものが作れるように、ソニーは音楽会社を買ったんだ。君たちならもっといいものが作れる」

しかしソニーにはできなかった。ウォークマンでポータブル音楽プレイヤーの世界を拓いた実績もあれば、すばらしいレコード会社を傘下に持っている。美しい消費者家電を作ってきた長い歴史もある。ハードウェア、ソフトウェア、機器、コンテンツ販売を統合するというジョブズの戦略に対抗するために必要なものはすべてそろっているのに、なぜ、ソニーは失敗したのだろうか。

ひとつは、AOLタイムワーナーなどと同じように部門ごとの独立採算制を採用していた点だろう。そのような会社では、部門間の連携で相乗効果を生むのは難しい。

アップルは、半ば独立した部門の集合体という形になっていない。ジョブズがすべての部門をコントロールしているため、全体がまとまり、損益計算書がひとつの柔軟な会社となっている。

「アップルには、損益計算書を持つ『部門』はありません。会社全体で損益を考えるのです」

とティム・クックも語っている。

もうひとつ、ふつう会社はそういうものだが、ソニーも共食いを心配した。デジタル化した楽曲を簡単に共有できる音楽プレイヤーと音楽サービスを作ると、レコード部門の売り上げにマイナスの影響が出るのではないかと心配したのだ。

これに対してジョブズは、“共食いを怖れるな”を事業の基本原則としている。

「自分で自分を食わなければ、誰かに食われるだけだからね」

だから、iPhoneを出せばiPodの売り上げが落ちるかもしれない。iPadを出せばノートブックの売り上げが落ちるかもしれないと思っても、ためらわずに突き進むのだ。

この年の7月、ソニーは音楽業界で豊富な経験を持つジェイ・サミットをトップとして、ソニーコネクトというサービスの構築をはじめた。iTunesと同じように楽曲をオンラインで販売し、ソニーのポータブル音楽プレイヤーで再生できるようにするサービスだ。

ニューヨークタイムズ紙はこう報じた。

「この動きは、衝突することが多いソニーのエレクトロニクス部門とコンテンツ部門をまとめるためのものだろう。ウォークマンを発明し、ポータブルオーディオ市場最大のプレイヤーであるソニーがアップルに完敗したのは、この社内抗争にあると言われている」

ソニーコネクトは2004年5月にサービスを開始したが、わずか3年強で終了する。(ウォルター・アイザックソン著/井口耕二訳「スティーブ・ジョブズⅡ」講談社/p192)

2010年、iCloudが発表された。2010年秋に、ジョブズ氏は、作者にこう説明したという。
ユーザーとクラウドとの関係を管理する会社に僕らはならなきゃいけない――音楽や動画をクラウドからストリーミングする、写真や情報、場合によっては医療情報までをクラウドに保管する。コンピュータがデジタルハブになると見抜いたのはアップルだ。だから僕らは、iPhotoiMovieiTunesなどさまざまなアプリを作り、それをiPodiPhoneiPadといった機器に結び付け、抜群の使い勝手を実現したんだ。でもこの先数年で、ハブはユーザーのコンピュータからクラウドに移る。デジタルハブ戦略という意味で同じだけど、ハブの場所が変わるんだ。そうなれば、どこからでも、自分のコンテンツが使えるようになり、同期する必要もなくなる。

僕らはこの移行にちゃんとついて行かなきゃいけない。クレイトン・クリステンセンは「イノベーションのジレンマ」という言葉で「なにかを発明した人は自分が発明したモノに最後までしがみつきがちだ」と表現したけど、僕らは時代に取り残されたくないからね。モバイルミーは無料にするし、コンテンツの同期も簡単にできるようにする。サーバーファームもノースカロライナに準備中だ。ユーザーが必要とする同期は全部僕らが提供する。そうすれば、アップルから離れられなくなる。(ウォルター・アイザックソン著/井口耕二訳「スティーブ・ジョブズⅡ」講談社/p374-375)

ジョブズ氏が作ったアップルは、クラウドというサーバー空間に個人の記憶を管理する銀行であったのかもしれない。

ここで皮肉な話を一つ。ジョブズ氏の伝記をソニー・ピクチャーが映画化するそうである。アップルとソニーの永遠のライバルの戦いは、彼の死後も続くことだろう。
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