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素人だから言えることもある

ソニーの猛獣たち

 「昔のソニーには猛獣がたくさんいたし猛獣使いもたくさんいた」を書いたとき、当時の猛獣使いに会いたいと思った。最近出た「ソニー厚木スピリット」(立石泰則著/小学館)にその典型的な人物がいた。

 その名は森園正彦氏、写真のキャプションにこうあった。

ソニーに「厚木王国」を築き、「黄金の80年代」をもたらしたノンコン・ビジネスの生みの親、育ての親。1990年に副社長を退き、相談役技術最高顧問を経て退任。1991年、「放送業界への貢献」により、個人でもエミー賞を受賞。「ソニー厚木スピリット」(立石泰則著/小学館)
「厚木王国」?「黄金の80年代」?「ノンコン・ビジネス」?よほどソニーを知っている人なら別だが、普通の人なら知らないことばかりだろう。厚木にソニーの「厚木テクノロジーセンター」(厚木テック)がある。ここには、一般消費者(コンシューマー)の知らないソニーがある。ノン・コンとは、ノン・コンシューマーのことで、放送局用の業務用(プロ用)放送機器を製造している。一時期、ソニーのベータカム(コンシューマーではVHSに負けたベータを使っている)が、日本の放送局の90パーセントを席巻したことがある。また、「スター・ウォーズ・エピソード2」がソニーのデジタルハイビジョンカメラを使って撮影したことで有名である。

 1960年、ソニーは厚木市トランジスタ工場を作るために五万坪の土地を買っている。トランジスタが軌道に乗ると、当時のソニーの岩間和夫社長が、なかなか製造のめどが立たない「Uマチック」を森園氏に一任したことから話が始まる。ソニーは、ベータマックスはうまくいったものの、別に松下と共同企画の「Uマチック」の開発に難航していた。ベータより50パーセント情報量が多いので、森園氏はノン・コン(業務用)なら買うんじゃないかと思って引き受けた。そのためには、優秀なエンジニアを確保する必要がある。そこで森園氏は人選にひとつ条件をつけた。

 それは、まず優秀なエンジニアであることだが、同時に職場で使いづらいと思われ、上司や同僚との人間関係がうまくいかず、浮き上がっていることである。森園の部隊に引抜きをかけても問題が生じない。職場が困らない人材であることだった。

 その理由を、森園はこう説明する。

「私は、彼らを決して使いづらいとは思いませんでしたね。彼らは優秀で、とにかく仕事が出来ましたし、またよく仕事をするんです。ただ、上司であれ誰であれ、一言物申すタイプですから、(職場で)周囲から浮き上がったり、上司から疎んじられたりするのです。でも彼らは『いざ』という時には頼りになります。開発や何かで難しい問題が生じた場合、これで出来るとか出来ないかとかごちゃごちゃ議論するのですが、彼らは『じゃあ、やってみます』と、すぐ始めるような人たちですから」「ソニー厚木スピリット」(立石泰則著/小学館)

 彼らは、良く働くと同時に、疑問が起こると延々と議論が起こった。もともと、ソニーは「出る杭を求む」とか「英語でタンカをきれる日本人を求む」などと社員募集をしたように、とんがった人間ばかり集まっている。森園氏の厚木工場はそのソニーの中でも、だれかれかまわず議論を吹っかけるのが得意な人間ばかり集めたのだから、昼も夜も職場でも独身寮でも議論の嵐となった。さながら梁山泊のようであったという。

 さらに、80年代はソニーのアナログAVが全盛の時代で、ソニー本体ではデジタルVTRの研究を続ける気運は無くソニー本体の中央研究所のデジタル研究が中止されたという。森園氏は、その研究所の中からやはり浮きあがっているエンジニアを集めて厚木工場内に82年10月「情報処理研究所」を作った。もちろんデジタルVTRの研究のためである。冒頭に上げた「スター・ウォーズ」の撮影カメラの開発などハイビジョン技術には欠かせないソニーの原動力となっている。さて、当時のメンバーを見ると

 その中には、前会長の出井伸之から「ソニーの二大異端」と呼ばれた、個性豊かな二人のエンジニアも混じっていた。ひとりは、のちにゲーム事業をソニーのコアビジネスにする「プレステの父」久夛良木健(ソニー・コンピュータエンタテイメント会長)である。もうひとりは大ヒット商品となった平面テレビ「WEGA(ベガ)」や液晶テレビ「BRAVIA(ブラビア)」に搭載されたデジタル高画質技術「DRC」を開発した近藤哲二郎である。

 さらに、外出先でも自宅のテレビやDVDなどの映像コンテンツを楽しめる「ロケーションフリーテレビ」を開発した前田悟も、二人と同じ情報処理研にいた。

 特に久夛良木は、情報処理研で稼動していたコンピュータグラフィックスシステムで見たデジタル映像の美しさに感動し、コンピュータとエンタテイメントを結びつけたら新しいゲームが生まれるのではないかと考え、家庭用ゲーム機「プレイステーション」の原型となるアイデアに辿り着いたと言われる。その意味では、森園が情報処理研を作らなかったら、プレステもプレステ2も誕生していなかったかも知れない。

 ある意味、情報処理研は、ソニーの未来の担い手を作る厚木学校だった。今は、猛獣も猛獣使いもいない、家畜ばかりの社会である。「メディアの望んだ世界」で「自己家畜化社会」という言葉を紹介した。
「現代の社会や文化のあり方は、カプセル化と称されるようにヒトの飼育方法(?)が人工環境に囲い込まれていることである。同じような家畜飼育の場合でいえば、設備の整った近代的な家畜工場によるのと似ている。これは利用の面が強いので、人間が工場や職場でソフトに管理されている場合に当てはまるようだが、最近の子供は整った設備の中で「甘やかされ、大切に」飼育されているペットにより近いのではなかろうか。
 確かに、猛獣のいない社会は安全である。あらかじめ、毒や牙は抜かれ、かみついても傷はつかない。だが、家畜ばかりの社会で何を夢見たらいいのだろうか。
今、僕は世の中がリスクをとらない風潮に向かっていることをすごく心配している。産業界に共通してリスクをとらずに、確実に利益をとりにいく風潮があるよね。例えば、かつてのソニーは、失敗を恐れずにどんどん挑戦した。大きな失敗もいろいろとしたけど、いろんな挑戦の中からキラッと光るものが生まれた。挑戦をやめたら、進化は止まるし、未来はつくれない。
昔のソニーには猛獣がたくさんいたし猛獣使いもたくさんいた」で紹介した久夛良木氏の言葉である。
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