夢幻∞大のドリーミングメディア

素人だから言えることもある

派遣社員の話は、結局正社員の話になる。

正社員も首を切りやすくする

 最近のエントリーは、オランダの奇跡(「2009年に日本の奇跡が起こる? 」を参照)を日本の奇跡にすることは可能かということで述べているが、同一労働・同一賃金の問題は、正社員が上位であるという前提を壊すことを示している。「金融日記」の「新年、明けましておめでとうございます。 −年越し派遣村とベーシック・インカムについて−」というブログでこんな文章があった。
今、必要なのは、企業が簡単に首を切れなくするように規制することではなく、企業が派遣社員だけじゃなくて正社員もどんどん首を切れるようにじゃんじゃん規制緩和することなのに。

企業が簡単に派遣社員の首をどんどん切るのは、社員を日本の法律では首にするのが難かしいからと言うだけなのに。

だから、派遣社員の方が能力が高くても、正社員は首にして後でモメると嫌だと言う理由だけで、派遣社員はどんどん首になる。

正社員は首にするのが難しいから、企業は正社員を採用するのに非常に慎重になる。

今回みたいに一気に景気が悪くなったときに簡単に首を切れないからね。

だから、法律で首を切りにくくすると、雇用の流動性が失われて、失業率はむしろ上昇して、さらに悪いことにたまたま正社員になっているひととそうでない人の「格差」が温存され、この能力とは関係ない「悪い格差」がどんどん開いていってしまうのだよ。

チャンスも敗者復活もない暗い社会だ。

だから、ダメな正社員は何も生み出さなくても給料がもらえるからつまらない仕事でも会社に必死でしがみつく。

会社にしがみつくのが彼ら無能正社員のいちばん大切な事業なんだからね。(−年越し派遣村とベーシック・インカムについて−)

 なるほど、正社員は首になりにくい。だから、正社員はどんどん派遣社員に代わっていくのか。派遣社員に税金を使っていくらセーフティ・ネットのサポートをしても、それは根本的な解決になっていないし、今回の金融危機の場合、むしろそれを理由に正社員の首を切れるチャンスとなりかねない。そうなったら、内定取り消しは当たり前、その分、派遣社員に代わっていくから、企業体質はどんどん悪くなる。本格建築はあきらめてプレハブばかり建てられる戦後の闇市みたいになるわけだ。また、ダイヤモンド・オンラインの「再度問う。正社員のクビを切れる改革は本当にタブーなのか?」の中で、その理由を次のようにまとめている。
1.私は、今最優先で取り組むべき改革は、労働市場改革である、と思う。なかでも、「正社員と非正社員の処遇格差の解決」が最も必要に迫られている、と考えている。

2.理由は二つある。第一に、正社員と非正社員は同じ仕事をしているにも関わらず、片方にしか昇給昇進の道は開かれていない。はなはだしく社会的「公正」を欠くと同時に、非正社員は非常に不安定な生活を強いられている。こうした状況を放置すれば、ワーキングプアたちの生活の荒廃から社会の劣化が進むだろう

3.第二に、この正社員と非正社員の処遇格差問題は、日本社会に発生したさまざまな格差問題のなかで、最も深刻かつ象徴的問題だ。その解決方法が示されないからこそ、多くの人々は小泉政権以降の経済的自由主義、市場競争経済に向かう改革の続行を支持しない。逆に言えば、解決の道筋が示されれば、他の改革も動き出す。だからこそ、最優先課題なのである。

4.では、どうするか。正社員を抱えたままで、非正社員の正社員化を進められるほど体力のある企業はまれである。経営者に非正社員の社員化の実行を促すなら、正社員と非正社員を入れ替えることができる仕組みが必要だろう。それには、正社員の整理解雇をしやすくする必要がある

5.日本では正社員の整理解雇は、ほぼ不可能だ。社員保護の判例が最高裁判決まで積み重なり、いわゆる「整理解雇の四条件」が厳格基準となり、ありていに言えば、倒産寸前に追い詰められなければ、解雇など許されない。であれば、労働法制を大転換し、「正社員の整理解雇を容易にする改革」が不可欠となろう。(再度問う。正社員のクビを切れる改革は本当にタブーなのか?)

 この首を切りやすい正社員というのは、労働組合ではタブーであろう。だが、今回の金融危機は、そのタブーをらくらく超える可能性がある。ダメな正社員を雇っていては、会社をやっていけなくなるのだ。会社としては、伸びるかもしれないと思って入れた正社員を伸びるまで待っている時間がなくなっている。そこで、経営側は、政府に対して、正社員の首を切れるように要求するかもしれない。しかし、それでは簡単に正社員も非正規社員も会社の都合で首を切る、つまり全社員非正規化が進んでしまう。
正社員の整理解雇を容易にしたら、経営者のやり放題になって、非正社員ばかりが増えるのではないか、という不安である。

 その危険は、確かにある。実際、労働法制を自由化したままメンテナンスをしなかった80年代、90年代の米国では、経営者が足元の業績を重視し、近視眼的なレイオフが頻発する一方で、いっこうに生産性が上がらないという二重苦に見舞われた。ただし、その米国でも反省を生かして、新しい労働ルール作りが始まっている。(再度問う。正社員のクビを切れる改革は本当にタブーなのか?)

「公正」と「効率」、「コスト」と「投資」

この「新しい労働ルール」作りとは、
これまで、労働の現場では、「公正」と「効率」は相反するものと考えられてきた。例えば、社員に関わるさまざまな差別を排し、雇用や賃金の「公正」を貫けばコストが増大し、「効率」が落ちるとされてきた。しかし、欧米での考え方の変化の底流には、「公正」であることは社員のモチベーションを上げ、仕事の「効率」が上がり、生産性は上昇する、という新しい捉え方がある。その「公正」と「効率」のよい循環を起こすには、労使が対話を重ね、自分たちに必要な労働のルール、運用方法などすべてを決めたほうがいい、ということなのだ。(再度問う。正社員のクビを切れる改革は本当にタブーなのか?)
 確かに、正規社員と非正規社員を同じ待遇にすれば、金はかかるかもしれない。しかし、同じ待遇だからこそ、会社に認められているという意識が働き、ライバル心を燃やし、生産性はあがるのではないか。そして、この「公正と効率」の関係は、社員をコストと考えるか投資と考えるかの違いでもある。
もっと長い目で見て、若い人材にお金をかけて育てないといけないのだ。これは将来会社を支えてくれる人材を確保するための「投資」のはずだ。コスト意識を持つことは一見合理的だが、これでは「人材」に対する扱いではない。使い捨ての「消耗品」と同じ扱いなのである。今、その付けが回ってきているのかもしれない。成果主義という選択肢を捨てる覚悟をするところから、本当の意味での企業革新が始まる。成果主義という安易な選択肢を捨て去って、初めて企業や組織にとって、一体何が重要で、今、何をしなければならないのかが見えてくるはずである。必要なことは人件費にコスト意識を持つことではない。10年後、20年後の未来を考えた人材への投資こそが、今、求められているのである。(高橋伸夫・東京大学教授著「虚妄の成果主義」日経BP社)(壊れる日本人)
 本来、正社員は長期で考え、派遣社員は、短期で考えてきた。長期で考えるのなら、投資ということもあるだろう。短期の派遣社員で「投資」というのは?という意見もあるかもしれない。しかし、「向上心」や「やる気」はメンタルな部分であり、あまり目に見えない。だが、その個人が向上心を持っているかどうかは、結局仕事の成果に直結し、その個人自身の成長に寄与するものだからだ。また、会社と社員の関係が流動的に成りながらも、よりよい関係を築くためには、正社員と派遣社員の間に壁を作る必要はどこにもない。
ブログパーツ