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地方民放抵抗の理由(ホームサーバの戦い・第72章)

なぜ、地方民放はネット配信を恐れるのか

 前項「新apple TVとtorneに見る日米録画事情(ホームサーバの戦い・第71章) 」の中で、
ただし、ネットで広く全国に配信すると、それまで全国放送を担ってきた各地の系列地方局が反発することから、人気の高い番組はなかなか配信できないのが実情だ。(日経ビジネス9月13日号 ネット対応テレビ、日本置き去り)
と引用した。今回は、この地方局の反発の原因を探る。参考にしたのは、池田信夫氏が最近出版された電子書籍新・電波利権」である。アゴラブックスで315円で買える。その中で、「問題は地方民放」と言う項目がある。
 民放連が放送地域にこだわるのは、経営危機に苦しむ地方民放の既得権を守るためである。キー局はインターネットに積極的なのだが、民放連の圧倒的多数を占める地方局の意向で決まってしまうのだ。これは国連で、票数の多い小国の意向で方針が決まるのと同じである。
 しかし、これは逆も成り立つ。地方民放がすぐれた番組を制作すれば、IP で全国に放送できるのだ。たとえば北陸朝日放送は、IPを使って全国に番組配信を始めている。現在の地上デジタル放送は、アナログ放送を置き換えるだけなので、広告収入も増えず、経費だけがかかる。これをIP に変えれば全国127 社の民放がすべて全国放送局になれるのだ。番組制作能力のある民放にとっては、デジタル化によって営業収入を伸ばすことも可能だ。こうした競争によって視聴者にとっては多様な番組が視聴可能になり、質の向上も期待できる。
 NHK や民放連は、IP や衛星は「補完的なインフラ」だとして、あくまでも地上波を主とする方針を表明している。これは、キー局の番組を垂れ流して電波料をもらっているだけで制作能力のない大部分の地方民放が、競争にさらされたら困るからである。(池田信夫著「新・電波利権」アゴラブックス/60・61ページ)
 ここで「電波料」という言葉が出てきた。
この電波料というのは、地方局に払う「補助金」である。地方局の経営はローカル広告だけでは成り立たないので、系列のキー局や関テレなどの制作側が補填するのだ。地方局は、タダでもらった電波を又貸しし、商品(番組)を供給してもらう上に金までもらえるという、世界一楽な商売である。その実態はよくわからなかったが、この文春の記事が正しいとすれば、「あるある」だけで年間20億円以上にのぼり、番組経費のほぼ半分を占める。つまり、何もしていない地方局の取り分が最大なのだ。(池田信夫著「新・電波利権」アゴラブックス/43ページ)
 池田氏は「あるある大事典」の事件をひいて電波料について説明している。ここまでわかったことは、地方民放は、番組制作力がなく電波料漬けになっている。ネット配信になってしまったら、地方民放の存在価値がなくなる

政治とテレビと新聞

 それでも池田氏は、政治家が「お国入り」として活用しているため、地方民放はなくならないという。
政治家も系列化された。地方民放は「政治家に作られた」といってもよいため、経営の実権を握っているのが経営者ではなく、政治家である例が多い。政治家にとって見れば、地方民放は資金源としては大したことはないが、「お国入り」をローカルニュースで扱ってくれるなど宣伝機関としては便利なのである。各県単位で地方民放の派閥ごとの配分が行われ、政治家も系列化された。(池田信夫著「新・電波利権」アゴラブックス/36ページ)
日本にジャーナリズムが育たない理由で、田中角栄氏のテレビと新聞の系列化に触れている。
 当時37歳だった田中氏は、テレビの力および弱点に気づき、地方紙と系列化させることで、新聞への影響力を行使しようとした。そのため1957年、各県から(地方局の放送免許を)申請した者を一同に呼び出し、複数の申請人の間で持ち株率を調整して30数局もの免許を交付した。そして、そのなかには必ず新聞社を入れるようにしたのだった。
 さらに、初期のキー局は必ずしも新聞社と系列化されていなかったが、系列化を完成させたのも当時首相となっていた田中氏だった。(日隅一雄著「マスコミはなぜ「マスゴミ」と呼ばれるのか」現代人文社)
池田信夫氏は、「新・電波利権」でその頃の話をこのように書いている。
 電波のもつ巨大な力を的確に把握した最初の政治家が、田中角栄だった。それまで郵政相は重要ポストとは見られていなかったが、このあと歴代の郵政大臣は田中につらなる政治家に受け継がれ、電波利権は田中派の金城湯池となった。賛否いろいろな評価のある田中角栄だが、こうした時代の動向を見る先見性と、それをみずから調整して実現する政治力という点では、まれにみる政治家だったといえよう。大衆商品としてのテレビが普及するにあたって、彼の果たした役割は大きい。

 もちろん、こうした調整の「報酬」もちゃんと取るのが田中流の政治だ。一本化調整の際の匙加減には、各申請者からの政治献金も影響しただろうし、地元の有力者に恩を売ることによって次の選挙を有利にしたいとの思惑もあっただろう。これによって田中は、各地の放送局に直接の影響力を及ぼすと同時に、新聞社に対しても発言力をもつことができた。各地の民放の免許申請者には新聞社が多く、その出資比率などを調整することによって、間接的にその言論を牽制することができたからだ
 (池田信夫著「新・電波利権」アゴラブックス/31ページ)

 インターネットは、このテレビと新聞と政治の奇妙な系列化を解きほぐす最大のチャンスである。メディアを国民の手にとりもどすためには、地方民放が番組制作力を身に付け、積極的にクリエイターを発掘していかなければならない。そうでなければ、ネット配信で流されるキー局制作の番組に負けてしまうからである。


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