夢幻∞大のドリーミングメディア

素人だから言えることもある

想定外の事態(現実がひっくり返る年・2)

今回の地震は何もかも想定外だった。そう言うのはテレビに登場する地震学者たちである。10メートルを超える大津波など考えていたら、いくら堤防を高くしてもコストばかりがかかる無用の長物となっていただろう。

想定外と言えば、福島原発炉心溶融による活動停止だ。あれほど、二重三重の安全策をめぐらせながら、地震に勝てなかった。東京電力から見れば、これもまた想定外の事態だった。おかげで3月14日から、「計画停電」が始まるという。だが、想定外の「計画」である。さらに想定外の事態が起こるのは目に見えている。

11日の夜、コンビニの弁当やおにぎりが売り切れ、ファーストフード店が食材を切らして閉店した。これらも、地震による食材の流通が破たんしたためだ。明日の計画は今日と同じ。そんな予想が次第に狂い始めている。

地震にあった人も同じ。一瞬で、人生の計画が変わってしまった。私たち、日本人は、誰もが「想定外の事態」に踏み出したのである。生き残ったわれらも、それぞれ、想定外に向かって、生き延びていかなくてはならない。

[お題]ガラパゴスかパラダイス鎖国かで、僕は、小松左京の「日本沈没」の言葉を引用した。あとかきによれば、この本のタイトルは「日本漂流」だったという。あとがきの引用部分に次のくだりが続いた。

したがって、国を失った日本人が難民として世界中に漂流していくことが主題だったので、当初はタイトルも「日本漂流」とつけていた。しかし、日本を沈没させるまでに9年間もかかり、出版社がこれ以上待てない、ということで、「沈没」で終わってしまった。そして、「第一部 完」としたのである。(小松左京・谷甲州著「日本沈没 第二部」小学館・あとがきより

不思議なことに、この「日本漂流」というタイトル、今回の地震の大津波に漂流する家屋を暗示させる。第二部の本文の末尾近くにこんな文章が出てくる。

かつて東アジアの端に、一頭の竜が棲息していた。

老練でしたたかな竜だった。西方から突出する大陸塊と千尋の深海の狭間に身を置いて、たくみに均衡をたもちながら数億年の時をすごしてきた。

その均衡が、ある日を境に破れた。竜はみずからの炎で灼かれ、身もだえしながら波間に没していった。竜は死んだ。だが竜の子供たちは、世界の各地で生きつづけた。母竜の思い出を語り、記憶を大切にしながら暮らしていた。

それから数百年がすぎた。臈たけた母竜にとっては一瞬でしかないが、世慣れしていない子供たちには充分すぎるほど長い時間だった。その間にも世界は変貌をつづけ、かつて東アジアに存在した国の記憶はうすれていた。(小松左京・谷甲州著「日本沈没 第二部」小学館

日本列島の形を一匹の竜にたとえ、われわれ日本人は世界に漂流する竜の子供とたとえている。たとえ、日本国内に住んでいても、日本人一人一人が「想定外の事態」に向き合わなければならなくなった時、はじめて「現実がひっくり返る年」となる。

私たち、今までは困ったときにはプロに任せればいいやと思っていた。一人一人が現実に立ち向かってこなかったのかもしれない。だが、そのプロにもできない「想定外の事態」がある。たとえ、素人でも、それに立ち向かう勇気を持った時こそ、「現実をひっくり返す」ことができるのだ。それはまた、家屋という帰るべき母親から切り離された「日本人の漂流」を示しているのかもしれない。
ブログパーツ