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素人だから言えることもある

13日の金曜日に考える

真実は誰にもわからない

今日は13日の金曜日である。13日の金曜日が縁起が悪いというのは、
イエス・キリスト磔刑につけられたのが 13 日の金曜日とされ、キリスト教徒は忌むべき日であると考えている」という俗説があるが、正しくない。

キリスト教では主の受難日を金曜日としているが、その日付は定めていない。共観福音書からはその日は 15 日と読め、ヨハネによる福音書からは 14 日と読めるが、キリスト教の各派ともその日を確定していない。なお、当時はローマの暦とユダヤの陰暦が併用されており、福音書の日付は陰暦である。

(中略)

これらの国で 13 日の金曜日が不吉とされる理由には、いくつもの説があるが、定かでない。13 を不吉な数とするものと、金曜日を不吉とするものが独立して生じ、それらが合体したものであるという説が有力である。13 日の金曜日を不吉とするのは 19 世紀になってからだとする意見もある。(13日の金曜日-Wikipedia)

諸説の一つとして
キリストの最後の晩餐に 13 人の人がいたことから、13 は不吉な数とされた。また、キリストが金曜日に磔刑に処せられたとされていることから、13 日の金曜日が不吉であるとされるようになった。一説には、イヴによるアダムの誘惑も大洪水からノアが脱出したのもバベルの塔が壊されたのも 13 日の金曜日だと言われるが、聖書にそのような記述はない。(13日の金曜日-Wikipedia)
12日の昨日、2つのニュースが伝えられた。

一つは、福島原発一号機の事実である。

東京電力は12日、福島第1原発1号機の原子炉圧力容器で、燃料が水面から完全に露出し溶け落ちたとみられると発表した。溶けた燃料が圧力容器の底に複数の穴をあけ、穴の大きさは合計すると直径数センチ。冷却用として注入した大量の水が格納容器へ漏れ、さらに原子炉建屋などに漏れているとみられ、事故収束に向けた「水棺」作業への影響は必至。工程表の大幅な見直しは避けられない状況だ。

福島第1原発にある1〜4号機のうち、冷却機能が最も安定しているとみられていた1号機で、燃料のすべて、もしくは大半が溶け落ちる「メルトダウン」が起きている可能性が高くなった。

(中略)

東電は燃料を冷やすため、これまで1号機圧力容器内に毎時8トンを注水し、同時に格納容器内に水を満たして冷却する「水棺」作業に取り組んでいた。すでに圧力容器を満たすには十分な量であるはずの計1万トン余りを注入しているが、注水量に見合う水がたまっておらず、高濃度汚染水の行方が分からなくなっている。東電は水が圧力容器の底の穴から格納容器に漏れ、さらに格納容器から原子炉建屋やタービン建屋に大量に漏れているとみている。(福島原発1号機 メルトダウンか?圧力容器に穴-スポーツニッポン2011年5月13日)

この事実は、今までの2か月間の作業が単なる推測による作業であったことが裏付けられた。放射線のために、推測で作業せざるを得ないことはわかる。だが、その推測そのものがあまりにも希望的観測であった。より最悪のことを意識しなければならないことを怠ってきたために、まわりの落胆はさらに大きい。

もう一つの事件は、「貧乏アイドルの自殺」であった。

鹿児島・種子島出身で“大家族貧乏アイドル”として人気を博したタレントの上原美優(本名・藤崎睦美)さん(24)が12日未明、東京都目黒区の自宅マンションで首をつっているのが見つかり、搬送先の病院で死亡が確認された。警視庁目黒署によると、自殺の可能性が高いという。第一発見者となった男性(26)とは交際していたというが、亡くなる直前のブログでは、恋愛についての切実な悩みを告白。昨年3月には心の支えだった母も亡くしており、精神的に追い込まれていたようだ。(上原美優さん自殺か…笑顔の裏に多くの悩み-デイリースポーツ2011年5月13日)
この2つの事件の共通点は、「真実は誰にもわからない」ということである。

どれほど順調に見えていても、調べてみなければ見えてこない事実がある。いくら調べてもわからない真実がある。

震災の被災者の悩みは、当事者でなければ分からない。地震の被災者も、原発の避難者も、風評被害の被災者もそれぞれの悩みを抱えている。われわれは、一緒くたにしてとらえようとするが、それほど単純なことではない。僕は、「私のこと、誰もわかってくれない」でこう書いた。

「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」(トルストイ「アンナ・カレーニナ」中村融訳/岩波文庫

この言葉から、僕は言葉を作ってみた。 「幸福な家庭は想像がつくが、不幸な家庭はいずれも想像を絶する」 (私のこと、誰もわかってくれない)

なぜ自殺が止まらないか

あいかわらず、日本は年間3万人の自殺大国である。僕は、「ショートカットな人生、ショートカットな社会」でこんな言葉を引用した。
貧困感覚とは実に相対的なのである。これを証明してくれるかのように、ある社会学者が実に的確な分析をしている。つまり、「生きることに最大の関心を向ける、経済的困窮度があまりに高い国では自殺率は低い。経済発展途上の、チャンスに満ちた国も然り。経済的豊かさを一度体験した後、深刻な不況や失業の渦中に身を投じ、富裕層の生活を見ることを通じて、『自分は疎外されたと絶望感を抱く』人が増えると自殺率は急上昇する」と記している。(なぜ自殺者は増え続けるのか━雇用不安と窮乏感の病理 14年後の日本考(2))
つまり、高度経済成長で一時的に豊かさを体験した層は、いったん非正規雇用に落ちた時、俺は彼らから落ちこぼれたと思い絶望感を抱くのである。

もちろん、貧乏アイドルの彼女にはそのまま当てはまらないかもしれない。だが、10人兄弟で貧乏のどん底で戦った彼女は、兄弟に支えられてそれほど過酷さを感じなかったのだろう。ところが、一人都会に出てアイドルとして成功したように見えても、そこには兄弟がいなく孤独であり、互いにライバルの環境が自殺に導いたのかもしれない。メンタルな部分は、このように家族に支えられた部分が多い。

家族の期待は、子供の人生を変える」で、僕は、「希望学」の一節を引用した。

もう一つの希望に大きな影響を与える背景は、家族の記憶だ。子どもの頃、自分は家族から期待されていたという記憶がある人ほど、希望を持って生きている人が多くなっていた。親や家族からの進学や就職への期待がプレッシャーとなって、将来に思い悩み、希望を失ってしまうといった事例も多いのではないかといわれたりもする。しかし、データが語る事実は、逆だ。むしろ家族から期待されたという過去の記憶を持っていない人は、未来への希望も見出しにくい状況が起こっている。(玄田有史編著「希望学」中公新書ラクレ)
当然ながら、彼女は家族から期待されていたのだと思う。だが、それは都会の芸能界にはプレッシャーに変わってしまったのか。
さらに期待以外にも家族から受けた愛情の記憶も、間接的に希望に影響している可能性がある。当初私たちのなかには、経済的に余裕がなかったり、愛情に恵まれなかった家庭に育ってきた人ほど、未来に希望を持っていないのではないかという、うっすらとした予感があった。しかし、今回のデータが、生まれ育った家庭の経済力によって希望の有無に影響があるという直接的な証拠を示すことはなかった。

同様に家族からの愛情を受けてきたと感じる人ほど、希望があると語る傾向も見出せなかった。だが、家族からの愛情の記憶は、希望発見の別のルートを作り出す。家族からの愛情を受けてきた人のなかには、自分には協調性があるという認識を持っている場合が多い。育まれた協調性は、より多くの友だちを持てる個人を創る。そしてその友だちの多さが、希望の発見をもたらすのだ。その意味で、家族から受けた愛情の記憶は、間接的にではあるが、希望につながっている。(玄田有史編著「希望学」中公新書ラクレ)

期待と愛情を分けることは難しい部分もある。ただ、彼女が末っ子だったという点がちょっと気になる部分である。というのは、多人数の兄弟の場合、年下の妹や弟の面倒を見る必要がある。それが協調性をはぐくむのではないだろうか。ところが、末っ子の場合、協調性を発揮する部分がない。また親としても、末っ子に目をかける暇がない。もちろん、唯一の家族の中から生まれたスターである。期待は一身に背負っていただろう。協調性があれば友達は大勢できる。ところが、末っ子のために友達を作りにくくなってしまったのかもしれない。

とにかく、都会というのは孤立した人の集まりである。昭和30年代、高度成長期は、誰もが貧乏であり、一億総中流などという言葉があるように、一斉に未来に向かっていた。ところが、現在、正規・非正規の壁ができ、階層社会になりつつある。会社を離れた瞬間、近所付き合いもなく引きこもり同然の無縁化の道を進んでいく。他人のことはわからない、果たしてそれでいいのか。


それが、本日、13日の金曜日に考えたことである。
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