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素人だから言えることもある

日本人の世界は「空気」でできている

前項「テレビメモ「怪獣」と「我慢」(3)雑感・「我慢」編」で、考えたのは、日本では「我慢」と「空気」が密接に結びついていることだった。日本は縦割り社会であらゆるジャンルでタコツボ化しており、それぞれ違った空気を持っている。したがって、派遣社員として別の会社に派遣されたり、人事異動で他の課に転属されたりすると、そのたびに空気を読むことが必要になる。最初は慣れるまで空気が読めないので、我慢する。慣れる前に自分の思い通りに行動すると、たちまちその空気から排除される。日本人が常に低姿勢に見えるのは、空気を読むことができないので、我慢している状態なのである。

さて、僕は「日本の正体」というエントリーで、こんなことを書いている。

欧米人と日本人の性格を比べると、欧米人は合理的・論理的・対立的・個人的・攻撃的であり、日本人は非合理的・情緒的・協調的・集団的・防衛的である。一つの人格であれば、欧米人は「男性型社会」であり、日本人は「女性型社会」ということになる。(河合隼雄氏は「父性社会」「母性社会」と呼んでいる。
女性型社会というのは、理屈が最後まで通らず、結論が感情でグズグズになってしまう世界である。日本社会が女性的だというのは、「男は理屈で動くが、女は感情で動く」でも、考えたことだが、欧米社会が、理屈で議論しあうが、日本ではそのような議論が苦手で、感情論に持ち込もうとする。正論を堂々と議論するのではなく、利益誘導によって多数派工作に走るのはその典型である。国内でも同様で、
世論やマスコミは感情に近い。理屈のように、長く続くことはなく、一瞬の善悪の感情に支配される。例えば、現場ががんばっているなと思い、その人物に感情移入する。それと違って、「処分」というのは、理屈の産物である組織が下したものである。トップを無視して、現場が動くことは、理屈を無視して感情が動いたことに似ている。「こんなトップはだめだ」というのも感情である。(男は理屈で動くが、女は感情で動く)
多くの政治的結論が、理屈が通ってなく、その場の「空気」を支配していた感情(マスコミはそれを「政局」という)に左右されるのはそれが理由である。
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