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素人だから言えることもある

日本人のキャパシティが落ちている

世の中の地盤沈下

連日報道されているいじめ問題を考えていくと、なぜか芸能人の生活保護問題がオーバーラップしてくる。どちらも、ネットの反発が火に油を注いでいる点で共通点がある。NPO法人「自立生活サポートセンター・もやい」の事務局次長の湯浅誠氏は、こういう。
――今回の騒動を通じて、生活保護に対してネガティブな印象が強まった底流には何があると考えられますか?

みんなの危機感ですね。生活の苦しい人が増えていってるわけですよね。生活保護基準以下で暮らしている人も相当いるわけです。だけど、自動車を持っていたり、申請するのが嫌だったり、家族のことを気にしていたり、いろんな理由で申請してないんです。母子家庭のお母さんが、「自分が申請したら子供がいじめられるんじゃないか」と思って申請してないとか、そういうケースがいっぱいあるわけですよ。
そういうのが今ある中で、ああいった(芸能人の親族の不正受給疑惑の)話がポーンと出ると、「自分がこれだけ頑張って何とかギリギリやってるのに、何だよぉ!」っていう感じになる。世の中全体が地盤沈下していけばしていくほど、浮き上がって見えてくるんでしょうね。(「生活保護が浮いて見えるのは、世の中が地盤沈下したせい」派遣村"村長"の湯浅誠氏がナマポ・バッシングを斬る)

人間にはそれぞれ許容限度(キャパシティ)というものがある。高度成長時代であれば、キャパシティが広く、ある程度の生活保護受給者を受け入れることができる。現代では、人々はそんな余裕がないので、反発をするのだ。

これはいじめ問題でもそうだ。いじめっ子にもいじめられっ子にもキャパシティがある。いじめっ子はキャパシティを超えると暴力を振るい、いじめられっ子はキャパシティを超えると自殺をする。だいたい、いじめっ子はキャパシティが狭い。切れやすい子は、ほとんどキャパシティがない。

現在、ネットで教師の暴言と言われる

「そんなんどうでもいい」「君が我慢したら全て丸く収まる」(「君が我慢したら全て丸く収まる」 いじめ被害生徒に対する教員暴言はあったのか)
という言葉も、地盤沈下以前の人たちの考え方だった。昔は、いじめられても我慢していればいいという考えが大勢だったのだ。誰でもいじめたり、いじめられたりする経験があったからだ。そして、人々にキャパシティが広かったので、さまざまな人々が助けに入った。そのことによって、学校の不評を外に出す危険もなかった。現代の学校では、キャパシティが落ちて、同質社会になり、なかなか外に逃げることができない。

正義とは何かを教えられていない

大西宏氏の「子どもたちに正しく「競争」を体験させ教えないといじめもなくならない」にこう書かれている。
競争には弱肉競争の側面もありますが、それも、古い産業から新しい産業へと産業の新陳代謝を促しているのです。教育現場から競争を排除してきた結果、技術も社会も大きく変わってきたにもかかわらず、教育は先生の個人的な能力に委ねられたままで、いまだに日本の教育現場には大きなイノベーションが生まれていません。


学校は社会から断絶されているために、一定のルールのもとに競争を体験させ、公正に競い合う素養を子どもたちに教えることが可能です。競争を忌み嫌うのではなく、正しく競争を教えることが、子どもたちの個性をも育み、異質を認める文化をも育てるのです。なにも勉強だけが全てではないことも学ぶはずです。(子どもたちに正しく「競争」を体験させ教えないといじめもなくならない)

だが、日本ではどうすれば公正な「正義」を達成するかを教えた者はいない。結局、マジョリティの顔色を伺うことで、そのグループの空気を読む事だけだった。学校教育で成功したのは、知識ではなく、卒業後の企業でも空気を読む事だけだった。これには、個人個人のキャパシティの広さは関係ない。それでも、地盤沈下以前は、一部にキャパシティの広いものが現れ、その者達が日本企業にイノベーションを起こしてきた。
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