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素人だから言えることもある

マスメディアの「マス」が消えるとき

電子書籍の衝撃」を読む

 CNET Japanのαブロガーの佐々木俊尚氏が「電子書籍の衝撃」という本を出した。発売は4月15日なので、まだ発売されていない。ところが、何と中身を読むことができるのだ。しかも110円で。4月7日から14日までディスカヴァーデジタルブックストアで、PC用とiPhone用にビューワーをダウンロードして使うことができる。(なお15日より1000円)解説にこうある。
キンドルに続き、アップルiPad 登場。それは、本の世界の何を変えるのか?
電子書籍先進国アメリカの現況から、日本の現在の出版流通の課題まで、気鋭のジャーナリストが今を斬り、未来を描く。
本が電子化される世界。
それは、私たちの「本を読む」「本を買う」「本を書く」という行為に、どのような影響をもたらし、どのような新しい世界を作り出すのか?(電子書籍の衝撃 本はいかに崩壊し、いかに復活するか?)
このサイトでは、3分間だけ立ち読みができる。

 さて、その本の中で、興味を持った箇所がある。それは次の文章である。

ニューヨークタイムズのソーシャルメディア部門で働くヴァリム・ラヴルシクさんと、彼の恩師であるコロンビア大学ジャーナリズムスクールのスリー・スリーニヴァサン教授がニューヨークで、「未来のジャーナリスト」というディスカッションを2月に行いました。
この中で2人は、「これからのジャーナリストに必要なスキル」として以下のような項目を挙げています。

(1)的確なタイミングで的確な内容のコンテンツを的確なスキルを駆使し、多様なメディアから情報を発信する能力。
(2)多くのファンたちと会話を交わし、そのコミュニティを運用できる能力。
(3)自分の専門分野の中から優良なコンテンツを探してきて、他の人にも分け与えることのできる選択眼。
(4)リンクでお互いがつながっているウェブの世界の中で自分の声で情報を発信し、参加できる力。
(5)一緒に仕事をしている仲間たちや他の専門家、そして自分のコンテンツを愛してくれるファンたちと協力していく能力。

これらのスキルはジャーナリストだけではなく、ブログやツィッターなどのソーシャルメディア全盛時代に知的活動を行う人すべてに当てはまることなのではないかと思います。当然、本の書き手や音楽家も例外ではありません。(佐々木俊尚著「電子書籍の衝撃 本はいかに崩壊し、いかに復活するか?」ディスカヴァー携書)

 驚くべきことに、このスキルには、出版社などのマスメディアは登場しない。今までの発想であれば、まず編集者とのコネクトが必要になるのだが、未来のジャーナリストは、直接ネットを使って自己発信するスキルが必要なのだ。つまり、ここに書かれているのはポストマスメディアの世界なのである。

なぜマスメディアは消えていくのか

 この本にはこう書かれている。
要因は複合的です。
最大の原因は、「みんなでひとつの感性を共有する」という「マス感性」の記号消費自体が疲労し、行き詰ってしまったことです

90年代の終わりというこの時代は、日本社会にとっては大きな転換期でした。高度経済成長をベースにした戦後の総中流社会が、長引く不況によって崩壊し、これ以降日本社会は格差社会への道をまっしぐらに走っていきます。

「サラリーマンと専業主婦、それに子ども4人」といったかつての標準家庭が少数派に転落し、単身家庭が増え、都市と地方の文化は別の進化を遂げるようになり、そして貧富の差も拡大していきます。
こういう事態が進行していく中で、「みんなと同じものを買う」というようなマス感性モデルが存続できるわけがありません。

従来のような「モノで自己実現する」「モノで自分を語る」といった思考が消滅していったのが、2000年代に起きた日本の精神風景の大きな変化なのです。


マスメディアが垂れ流す商品の記号は神通力を失い、お仕着せのイメージ、お仕着せの記号に誰もついていかなくなりました。

こうしてマスメディアは広告のパワーを失っていき、これは結果として2000年代の終わりごろになって、新聞や雑誌、テレビの衰退へとつながっていきます。(佐々木俊尚著「電子書籍の衝撃 本はいかに崩壊し、いかに復活するか?」ディスカヴァー携書)

 あいつぐ総合雑誌の廃刊などは、ユーザーの趣味の細分化に対応できなかったのが原因だ。一方、ネットは、より深くユーザーの嗜好に合わせていく。広告の減少により、マスメディアはネットに対応せざるを得ない。ところが、今までの収益を変えずにそのままのマスメディアスタイルを維持しようというのだから、まず無理がある。例えば、「残らないブログより残るブログを」では、こんな話を引用した。
誰もが発言できるということは誰も発言する権利を独占していないことだ。市場に例えれば、旧来のジャーナリズムは独占市場で、ブログは競争市場だ。なぜ新聞社がネットに対応できないのか。それは独占企業にとっての最適戦略は競争的な市場では機能しないからだ。

(中略)

では独占企業にとっての戦略とは何か。それは値段を上げるために供給を減らすことだ。学生が授業にくるようにプリントには全ての授業内容を載せないことだ。他に聞きにいく場所のない学生はクラスにいくしかない。

しかし、競争がある市場で同じことをしたら自殺行為だ。競争相手が価格を下げてシェアを奪ってしまう。競争的な市場ではいかに必要とされている財を提示し、それに応じたプレミアムをチャージするかが重要だ。単に価格を上げたら客は逃げる。(なぜ誰もあなたのブログを読んでくれないか

 佐々木氏の本では、不況の中で趣味が多様化し、マスメディアの対応が難しくなった事を語っているが、後者のたとえ話はネットの世界ではマスメディアが収益を得ることすら難しい事を示す。確かに、テレビや新聞のようなマスメディアは、各地域でもせいぜい数局や数紙に限定された独占市場である。マスメディアがそのままの形でネットで残ることは不可能に近い。湯川鶴章氏のブログで佐々木氏にこんな質問をしたという。
 これまで多くの出版関係者と話してきたが、わたしが所属していた新聞業界同様に、古い固定観念から抜け出せない人が散見された。こうした人たちとの議論にはかなりの労力が必要で、往々にして議論は堂々巡りになることが多い。

 しかし佐々木氏のこの本が広く読まれるようになれば、これが業界の新しい共通認識として議論が一気に前に進むようになるのだと思う。この本は、出版業界の今後をぼんやりと見通せている人の考え方を整理し、古い発想から抜け出せない人の固定観念をこっぱ微塵に打ち砕く力を持っていると思う

(中略)

 さてこの電子書籍の問題でわたしが強調したいのは、電子書籍は出版業界を再生させない、ということだ。(関連記事:電子書籍、電子新聞による業界再生は絶対にありえない

 佐々木氏と某シンポジウムのパネルでご一緒する機会があったので、佐々木氏に「電子書籍で業界再生しますか?」と振ってみると、一蹴されたww。「するわけないじゃないですか!」って。企業や業界の再生はまた別問題。経営や組織論の問題だ。(「電子書籍の衝撃」(佐々木俊尚著)が持つ出版業界の古い常識を打ち砕くパワー【湯川】)

 あらゆるマスメディアはネットに溶け込むことによって、今まで成り立っていたブランドや常識の厚化粧をそぎ落とされるだろう。そして今まで持っていた権威がまったく成り立たないのに唖然とするに違いない。そうして書き手と受け手が混在した、まったく新しいメディアが登場するのである。


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