夢幻∞大のドリーミングメディア

素人だから言えることもある

マス・メディアはいかにして恐竜に成り果てたか

インターネットは恐竜を滅ぼした隕石である

 ソニーの出井元会長は、1999年のCOMDEXのスピーチ(当時出井社長)で
 インターネットは、恐竜を滅ぼした隕石のように、産業界の姿を変える。新ビジネスが出てくる一方で、適応できない会社は滅ぶだろう。さらにブロードバンドネットワークも出現する。我々にとっては絶好の機会だ。(1999年COMDEXのスピーチ「ソニーとSONY」日本経済新聞社)(インターネットはテレビ局の解体を加速するか)
と語ったという。そこで、恐竜の滅んだ理由を調べてみると
 現在最も有力とされているのは巨大隕石の衝突である。隕石衝突による恐竜の絶滅を最初に提唱したのは物理学者ルイス・アルバレスとその息子で地質学者のウォルター・アルバレスであった。二人は1980年代に、巨大隕石の衝突による地球規模の大火災で生態系が破壊され、衝突後に生じた塵埃が大気中に舞い、日光を遮断することで起きた急速な寒冷化が絶滅の原因であると示説した。これは激変説と漸減説の複合に近い形である。

(中略)

 ただこの説では、なぜ同時期に存在した両生類や爬虫類などが絶滅を免れたかという疑問が残る。また恐竜は非常に多様な進化を遂げており、これが全て絶滅してしまった結果を説明することが難しいという難点があり、これらの指摘を受け、発表初期では可能性として最も低いパターンと認知されていた。(恐竜-Wikipedia)

 確かに、地球全体に及ぼす原因として気候変動を考えざるを得ない。インターネットを隕石にたとえるならば、気候変動はマスメディアのまわりの環境変動である。環境とは何か。それは私たち消費者の行動が変わったことである。佐々木俊尚氏は「電子書籍の衝撃」の中で
 最大の原因は、「みんなでひとつの感性を共有する」という「マス感性」の記号消費自体が疲労し、行き詰ってしまったことです

(中略)


 マスメディアが垂れ流す商品の記号は神通力を失い、お仕着せのイメージ、お仕着せの記号に誰もついていかなくなりました。

 こうしてマスメディアは広告のパワーを失っていき、これは結果として2000年代の終わりごろになって、新聞や雑誌、テレビの衰退へとつながっていきます。(佐々木俊尚著「電子書籍の衝撃 本はいかに崩壊し、いかに復活するか?」ディスカヴァー携書)(マスメディアの「マス」が消えるとき)

 消費者は、それぞれの生活が多様化し、格差の広がりとともに「みんなでひとつの感性を共有する」という「マス感性」を失ってしまったのだ。

マス・メディアは膨大な広告費をむさぼる

 恐竜は巨大である。当然、日々の食糧も膨大であろう。おそらく、隕石による気候の急速な寒冷化は、彼らの生命を維持する事を困難にしたのだ。マス・メディアにとって食糧とは何か。それは広告費である。あるある大事典騒動で知ったのは広告収入に比べてのその制作費の少なさだった。
 番組制作会社の団体である全日本テレビ番組制作者連盟(ATP)が「あるある」の捏造事件を受けて緊急アンケートを行った結果、驚くべきことが分かった。「あるある」の孫請け会社の受け取る制作費が過去10年間で半減していたのだ。VTR制作費は、放送開始当初の96年は1本1600万円であったが、段階的に削減されて07年には860万円(前出の検証番組では880万円とされていた)になっていたという。

(中略)


 テレビ局の営業は各企業に番組企画や目標視聴率を提示して、スポンサーになってくれるよう依頼する。仲介役を務めるのは広告代理店。企業から受け取るスポンサー料金は制作費と電波料金からなる。

 制作費は文字通り番組を制作するためのお金で、広告代理店が営業経費などマージンを差し引いてからテレビ局に渡す。マージンは条件により異なるが、10%台から25%程度と言われる。さらにここからテレビ局が自社の利益や営業経費を差し引いたものが番組制作費となる。「あるある」のケースでは、この番組制作費が3250万円なので、1社提供のスポンサーである花王は、4500〜5000万円ほどの制作費を支払っていたと推定できる。

 もうひとつの電波料とは、コマーシャルを含んだ番組を放送するための料金だ。「あるある」の場合は広告代理店がマージンを取ったのち、関西テレビと番組を放送する全国のネット局に支払われる。波代(なみだい)とも呼ばれるこの料金は制作費と同程度にまでなることが多い。つまり「あるある」の場合、番組制作費は3250万円でも、スポンサーは1億円近い金額を支払っていたと推定できる。逆に言うとスポンサー料金の3割程度しか、番組制作には回らないわけだ。(中川勇樹著「テレビ局の裏側」新潮新書)

 なお、当然ながら「番組制作費が3250万円」とあるが、VTR制作費とスタジオ制作費が合算されたものである。スタジオ制作費には、出演者のギャラが含まれている。視聴率アップのために、高額タレントを使えば、VTR制作費が下がる。

 このような高額な広告費を維持するためには、高視聴率が欠かせない。スポンサーをそれで納得させる必要があるからだ。そのためには「みんなでひとつの感性を共有する」という環境が必要である。それなのに、視聴者は「マス感性」を失ってしまったのだ。

マス感性前提の企業は生き残れない

 新聞も同様である。景気がよくなれば、読者が帰ってくると思っている人もいるが、多様化の波は、「マス感性」の虚構をあらわにした。特オチを恐れるために、あらゆる分野に記者を網羅する体制は、金ばかりかかる恐竜となってしまった。テレビも、わずかなクリエイターに群がる贅肉ばかりが増えていった。ブランドにしがみついても誰も助けてはくれない。生き延びるには、より消費者に密着した特化したスリムな体制に切り替える必要があるのだ。決して、現在を維持しようと考えてはならないのである。
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