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抜き書き・爆笑問題のニッポンの教養「TVはいつまで笑うのか・横澤彪」

9月21日、NHKの爆笑問題のニッポンの教養「TVはいつまで笑うのか・横澤彪」を見た。大変興味深い話がたくさんあったのでビデオから抜き書きしてみる。

まず、NHKの解説から

バラエティ番組全盛、お笑いタレントたちが席巻する現在のTV界。今も続く「笑っていいとも!」、そして数々の人気キャラクターを生み出した「オレたちひょうきん族」で80年代のTV番組に革命を起こし、その潮流をつくった伝説のプロデューサー・横澤彪が登場。ハプニングや素のリアクションを全面に押し出した「ドキュメント性の高い笑い」は、以後のバラエティ番組を作るうえでの王道となり、番組から飛び出した、タモリ、たけし、さんま、紳助といったお笑いスターたちは、現在もTVに君臨している。しかしその革命ももとはと言えば、視聴率40〜50%のお化け番組「8時だョ!全員集合」を向こうに回しての、苦肉の策だった?!爆笑問題も「この人がいなければ我々もなかった」と尊敬する「カリスマ番組屋」の発想術とは?そこから見えてくる、TVの過去・現在・未来を議論する。さらに番組の最後には、あの名場面が復活・・・!?

ひょうきん族は面白まじめ

横澤 お笑いは大好きだった。仕事としてはあんまり、好きじゃなかった。
2人 そうですか。
横澤 たまたまいなくなっちゃった、みんな。ロートルが、ベテランの方がね。やる人いないからお前やれみたいな。だから、大体いやいやですよ。半分はいやいやっていうか。
太田 いやいやだったんですか。で、しょうがない。じゃ、やるときにはやるけど今までのじゃつまんねえからみたいな。
横澤 そう。
太田 ドリフ、欽ちゃんがその前にあって。
横澤 こう、神のようにね、頂にいましたから、ね。
田中 そうですよね。
太田 それでちょっと、殴りこみみたいな意識もあったんですか。
横澤 ひょうきん族がね、やむにやまれずね、もう戦法ないんですよ。なぜかというとね、漫才師は、何人かしかいないわけ。今みたいにすそのないからね、何組も。それで、みんな忙しい。売れっ子ね、もう、稼いでんだから。みんな、聞いたのね。あなたたちはコンビとしてずっと漫才を漫才師としてやっていく気あるの?って言ったら、いやいや、すぐ辞めます、みたいなので。コケそうになっちゃった。ああ、そう、違うこと考えなくちゃしょうがないね。ネタ作るの大変なんだしね。みたいなね。だから、ドリフみたいにちゃんといかりやさんがね、こう、考えて考えてけいこして、ああいう立派な番組作ってくるというやり方はできないから、もう思い切って遊びましょうと。我々はスタジオを遊び場と考えます。ただし、不まじめダメよと、まじめに遊ぶんだよ、まじめに。この、まじめに遊ぶということが、ひょっとしたら、その、新しい…
田中 面白まじめだ。
横澤 うん、面白まじめという空気を呼ぶかもしれないね。というようなね。
キャラクターみたいなものをちょっと立てたほうがね、いいかなあ、みたいな。ドラマっぽくというか、ドキュメント性みたいなものなんだね。
田中 嘘がないんだ、本音だよ、って言う感覚は、アイドルとかも、もう、単に、お姫様のように、人形のようにいるんじゃないみたいなのが、全部一緒にみんなたけしさんが本音のトークと。
太田 そうすると、ひょうきん族から、割と楽屋落ちと言うかね、
横澤 はい。
太田 スタッフが出て、みんな出て、うちわ受けの世界がおおやけでも、あ、やって面白いんだ。自分たちが楽しんでいれば、視聴者も知らなくても、あっ、こいつら、楽しそうっていう我々そういう風に見ていましたね。
田中 そうだね。
太田 なんだか知らないけど、俺らは素人なのに、横澤さんの名前も知ってるし、テレビのプロデューサーの名前なんか知るわけないのに、三宅さん知ってれば、佐藤さん知ってればっていうふうに。
横澤 うん。
太田 状態になってるわけじゃない。すると、俺ら側の世代は、それがこう許されるっていう状態がテレビに。
そして、今度、次の世代を見てると、もう、新しいことではない。つまらないということになる。その後遺症っていうのは、
田中 ある。
太田 常にあるよね。
横澤 あ、そうか。
田中 どんなに。
太田 横澤さんのせいです。
横澤 あはは、まあ、それだったら、私は、それは懺悔しなければならない。バケツで水をかぶんなくちゃいけない。
でも、俺はそういう古典的といいますか、クラシカルになったテレビの笑いをちょっと新しくしたいなみたいな単純な気持ちで始めたものを20何年間もさ、続くこと自体予測もしていなかったことですし。
田中 真っ只中にいてどういう事を感じていました。その今、時代が本当に変わっているという。
横澤 僕はねえ、今、時代が変わってるという認識はしていましたけどね。お笑いの地位を上げたいとは思ったの、ね、もちろん。だけど、王様になったら、終わりだなと思ってた。
テレビにはね、ドラマであるとか、スポーツの大きなイベントであるとか、そういう、王様がいてね、ニュースというものがちゃんとあって、その脇あたりに歌とか笑いがあってね、こう、ちゃんちゃかやっていればいいじゃないかなって。あんまり、お笑いが、こうやって「お笑いでございます」ってやるのは僕は好きじゃない。
太田 そのあと、王様になっちゃいましたよ。
横澤 なったから、やめた。俺の用はない。

横澤さんがいなきゃ漫才をやっていない

横澤 でも、ちょっとあの若い人たちが、学校養成所から来られて、「あなたたち、何でこの学校、受けたんですか」って聞くと「とりあえず、テレビに出たいんです」というんですよ。それね、半分はうれしい、半分は僕にとっては情けないわけね。やっぱり、芸っていうのは、どっちかっていえば、板の上で少しお客さんと生に対応した中で磨かれていくべきもの、特にね、落語なんか、あの、小さいところでも、お客さん目の前にさ、やるからみんなが伸びていくわけでね。そういう、昔ながらの芸、ちょっとはかないようなものが好きなんです。
田中 それは、横澤さんがそれを。
太田 それは、横澤さんに言われたくないよな。
横澤 芸ってそういうものじゃない。どこかに、自分の悲しさとか毒素を持っていないとつまらない。
田中 そうなんですけど、
太田 それをTV式に変えたのは横澤さんでしょ。
横澤 おれ、そういう意識ないよ。
太田 絶対、意識してる。
田中 ただ、多分、横澤さんがいなかったら、その子達は、TVに出たいって。
太田 俺らもそうだよ。
田中 俺らもそうだけど。テレビに出たいんですっていう発想になっていなかったかもしれないし、そのお笑いの学校に行くという。
太田 ただね、入り口はそうだったんですよ。TVをとっかかりに何か表現したい、こういう方法もあるんだってわれわれ気がついた。
ある意味、ネタはこのときがきっかけで、後はその後、たけしさんなんか映画に行ったり、それぞれ自分の表現の場所つの。
田中 漫才をとっかかりにして
太田 ぐんと奥へ深くなっていく。
横澤 そうですね。
太田 僕らは見てて、俺らもそこから入ろうと思ってやったけど、結局、たけしさんやタモリさんがもう、前にいるから。そうすると、逆に、それ、そこへ行ってもな、と言うところで、迷ったりして、じゃあ、漫才ちょっと続けてみるかみたいな。
横澤 爆笑問題は、もう一つ、やっぱり自分たちが何十年も耕してきた「漫才」、そういう芸、非常に古臭い演芸を磨く人たちですから、それに関しては漫才と言うものは責任もって。
太田 俺たちは、本当に漫才はそう意味ではこれからも多分、辞めるつもりはないんです。
横澤 辞めないで。
太田 辞めません。絶対、辞めないんですけど、あの、何とかこれで商売できないかなと、若手の頃からなんですよね。要するに、テレビで、漫才を毎週やって、それがちゃんと商売になれば、こんな幸福なことはないんだけど、どうしてもそこが相容れない。
横澤 違うものですよね。
テレビ好きなの?
太田 大好きです。
横澤 俺も好きだから、見てんだよね。これ、友達だもの。マイ、ベストフレンドだよ。
だから、テレビはテレビとしてメディア芸人として、学習するんだよ、テレビについて、一生懸命にね。そして、漫才は漫才で、全然、違うものだから、漫才のネタ研究。

タモリの起用

田中 昼の帯番組にタモリさんを起用みたいなものも、当時はタモリっていったら、深夜の夜のでね、昼、合うわけないよっていうところをあえてぶつけていくみたいな。
しかも、その前の「笑っている場合ですよ」も、人気のある番組でね、B&Bさん、ツービートだかみんな出ていて。
太田 えっ、「笑っている場合ですよ」終わっちゃうの?
横澤 これはですね。変えなきゃダメなんですよ、空気をね。
たまたまね、「ラジカル・ヒステリー・カリ・ツアー」っていうタモさんのコンサートを直前に見に行ったんですよ。そしたらね、それがとても、僕の思っていたタモリ像とまったく違うタモリ像があったのでいけるんじゃないかと。何がいいかと言うと、今のコマーシャルとかで言うとねサッカーで、ゴールキーパーがでかいのが座っていたりさ、なんか、何百人もゴールキーパーが出てくるコマーシャルが。
田中 あります。
横澤 あれ、タモさん。もうね。
太田 受け止める。
横澤 ノーミスだよ、ノーミス。あんまり積極的に人の領分を食い散らかしてやろうという気もないし、
田中 ないですね。
横澤 どっちかといえば、いいところを少しずつは君のところにいいところがあれば、それは私がお引き出しして大して威張らないよみたいなところがある。
太田 珍しい人ですね、
横澤 攻撃力はない。うん、だって芸人じゃないし。ただ、その、受けに回ったら、ミスは絶対しない。
太田 何でも来いですね。
横澤 何でも来い。
太田 絶好調のときに、漫才ブームの人たちからタモリさんに切り替える勇気。(視聴率が)落ちるかもしれない。
横澤 ええ、落ちましたよ。
でも、今、変え方がちょっと弱い。みんなビクビクしておとなしいから、今、必要なのはこれ日本の教養ていうけれど、教養じゃなくて、今、大事なのは勘です。自分の勘です。パッと見てこいついいやつか悪いやつか、ピタリとしとめる鋭い眼光ですよね。匂いといいますか、あるいは。なんていうんでしょうね。
田中 まあ、その空気感みたいな。
横澤 おっしゃるとおり、空気感。
僕にとって、このエントリーは、欽ちゃんは悪くない今の日本のテレビで「全員集合」が作れない理由に続く、ひょうきん族に関する貴重なデータベースである。この3つの番組が同じ時代に笑いの歴史を築いたのである。


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