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素人だから言えることもある

重要なのは成功したことじゃない、やろうとしたことなんだ

映画「ペイ・フォワード 可能の王国」

トルネに録りためていた中から、映画「ペイ・フォワード 可能の王国」を見た。ストーリーは、
ラスベガスに住むアルコール依存症の母と家を出て行ったDVの夫との間に生まれ、中学1年生になった主人公トレバーの担任の先生は社会科のシモネット先生だった。シモネット先生の顔面は酷い火傷の跡が残っている。シモネット先生は生徒達に、「もし自分の手で世界を変えたいと思ったら、何をする?」と、生徒たちに問いかける。生徒達は中学生(アメリカでは7年生)である、悪く言えば幼稚な考えを提出するが、トレバーは違った。彼の提案した考えこそ、後に世界を変えることになる、「ペイ・フォワード」だった。ペイ・フォワードとは自分が受けた思いやりや善意を、その相手に返すのではなく、別の3人の相手に渡すというものだった。 トレバーは“渡す”相手を探す。仕事に就かない薬物中毒の男。シモネット先生。いじめられている同級生。 ペイフォワード”は本人は失敗だったと思い始めるトレバーだったが、そんなトレバーを見ていた母親が、彼には内緒でこの運動をはじめることで、トレバーの努力は日に日に報われる。遂にはテレビに取材されるなど、波紋は着実に広がっていく。しかし終盤では…(ペイ・フォワード 可能の王国-Wikipedia)
結論から言えば、トレバーは3人目で失敗した。だが、彼のやろうとしたことは、世界に広まった。見た人なら、この結着には不満があるだろう。だが、この映画の目的はそこにはないのではないか。「成功と失敗のセレンディピティとニワトリ会議」で書いたとおり、成功率は0.3%。「簡単に成功しました、よかったよかった」では、まず納得は得られまい。そこで、このエントリーのタイトルである「重要なのは成功したことじゃない、やろうとしたことなんだ」というわけである。

アイデアのヒント(セレンディピティ)は、ポイント集には載ってない

僕は、「ショートカットな人生、ショートカットな社会」で、
たとえば、サブプライムローンに端を発した金融危機、本来は、貧しい人への住宅ローンという福祉時事業であったが、その権利書で儲けようという発想自体が実は、「ショートカット」であり、そもそも金融とは投資や株券の売買と共通する「ショートカット」ではないのか。
そして、参考書の重要ポイントである「ショートカット」がそうであるように、そもそもなぜそんなポイントになるのかをどこにも記載されない、「いやポイントだけ覚えればいいんだからね」という、本来学問で一番重要な、そこに至るまでの経過を省略し、ブラックボックス化した「権利書」という「ショートカット」なのではないか。
このように、人生を楽に、楽にと考えること自体が「人間を家畜化」し、家畜になればそれが何でそうなっているか疑問に思わないし、そもそも考えない人間を作っているのではないか。
単純に答えの出る問題、つまりテレビのクイズ番組のように、問題を「ショートカット」にしてしまうことで、答えの出ない問題を無視する。ノーベル賞受賞は成功の一例だが、日頃の準備の成果に過ぎない。それのみを重視していると、セレンティピティの全体を見逃す。セレンディピティは、「ショートカット」には無縁だ。ニュースは一瞬一瞬で流れ去るが、私たちは、それを冷静に受け止め、過去を探り、関連書を求め、その経過の中から自分たちのヒントを見つけ出す

それこそ、

既存の要素を新しい組み合わせに導く才能は、物事の関連性を見つけ出す才能に依存するところが大きい(アイデアのつくり方-Wikipedia)
のであり、
普段であれば見逃してしまうような偶然が、気になったりします。常に問題を考えていると、そうした偶然が偶然ではなく、新しいアイデアや発見の糸口になるのです。まさに「幸運な思いつき」「偶然のひらめき」です。(宮永博史著「成功者の絶対法則セレンディピティ」祥伝社)
なのである。
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