夢幻∞大のドリーミングメディア

素人だから言えることもある

ポイント主義では、ミドルメディアは存在できない

マスメディアの限界

10月18日、クローズアップ現代電子書籍が「本」を変える」を見た。内容紹介として
いつでも、どこでも、クリックひとつで読みたい本をダウンロードし、電子端末で読むことの出来る電子書籍。今、その市場に、日米の様々な業界から参入が相次いでいる。米国書籍通販の最大手アマゾン、ひと足先に音楽業界を iTunesで制したアップル、日本で独自の携帯電話ネットワークが強みのNTTドコモや、既存の書籍のデジタルデータを大量に保有する大日本印刷などだ。成功の鍵となるのは、各社が工夫を凝らす「プラットホーム」=「ネット上に陳列してある本を購入し、読み、自分の電子書棚に蓄積できる一連の仕組み」の構築である。更に、本の“電子化”は、これまで商業ベースにのらなかった絶版本を復活させたり、誰でも手軽に出版できるようになった結果、一般の主婦の中からヒット作が生まれるなど、埋もれた才能の発掘にも繋がっている電子書籍ビジネスの最前線と、電子化がもたらす“本の未来”について考える。
とある。その中で、アメリカの出版社にミステリー小説を書き溜めて全米の出版社に送った作家志望者がいた。いつも門前払いで断られ、出版までいたらなかったという。そのボイド・モリソンさんは、
高い壁が立ちはだかっていました。私の本を気に入ってくれる編集者は見つからなかったんです。
彼は、インターネットで電子書籍にしたところ、口コミで評判が広がり、驚くように売れた。見向きもされなかった出版社から声がかかり、今では110カ国で発売されているという。
電子書籍がなかったら、今の私はなかったし、この本も出版されることはなかったでしょう。
作家と読者の間に立つ編集者が壁になっていたのだ。電子書籍になったら、その壁はなくなり、読者と作家が直接相通じることになってしまった。そこに編集者を通さないマーケットがある。今まで確かに印刷は金がかかり、売れる作品でなければ、OKが出なかった。電子書籍は、その金のかける部分がなくなり、読者もより安く読むことができる。

一方、マスメディアは、新聞でもテレビでも、何紙もあり、何局も存在しながら、ニュースといえば、同じ話がダブって載り、放送されている。重箱の隅をほじくるように見なければそれぞれの違いがわからない。視聴者や読者に、同じネタでこれを読め、これを見ろと言っている。つまり、結局一人の編集者が決めたものを読まされているに過ぎないのだ。僕は、これをマスメディアのポイント主義と呼んでいる。「このポイントさえ押さえておけば、会社に行っても、話題に困りませんよ」という共通の話題のことである。したがって、読者や視聴者が本当に知りたがっている情報はマスメディアでは知ることはできない。現在、さかんに中国のマスメディアを批判しているが、日本のマスメディアもお寒いのはあまり変わらない。

マスメディアとミドルメディア

佐々木俊尚氏の「2011年新聞・テレビ消滅」(文春新書)では、マスメディアとミドルメディアの違いをこう書いている。
(1)マスメディアは社会の「みんな」に情報を届けるメディアだが、ミドルメディアはもっと小さな集団に情報を届けるメディア。
(2)マスメディアは数が少ない。日本では全国紙は五紙しかないし、テレビもキー局は片手で数えるほどしかない。これに対しネットで情報を発信しているミドルメディアは数百から、数千、ひょっとしたら数万ぐらいはあるかもしれない。まるで雲霞のようにたくさんメディアが存在しているのがミドルメディアの特徴。
(3)マスメディアが一千億円単位の巨大な年間予算で運営されているのに対し、ミドルメディアのほとんどは無償か、せいぜい年間数千万円程度の予算で運営されている。
(4)マスメディアがプロの作ったコンテンツを流しているのに対して、ミドルメディアのかなりの部分は素人の作ったコンテンツ。
もちろん、金もない素人の作ったものだから、玉石混淆は仕方ない。しかし、読者や視聴者に本当に読みたい情報を伝えているかと言う点で見比べたら、違いは明らかだ。マスメディアの読者は受身だが、ミドルメディアの読者は、自ら積極的に求めている。当然ながら、これをマスメディア流のポイント主義で計ることはできない。なぜなら、視聴者は同じではなく、一人ひとり違うし、読者によってそれぞれ価値が違うからだ。それに比べ、マスメディアが成り立っているのは、一方的だからである。思い出すのは、残らないブログより残るブログを(知識を伝える・3) で引用した「なぜ誰もあなたのブログを読んでくれないか」というブログである。
誰もが発言できるということは誰も発言する権利を独占していないことだ。市場に例えれば、旧来のジャーナリズムは独占市場で、ブログは競争市場だ。なぜ新聞社がネットに対応できないのか。それは独占企業にとっての最適戦略は競争的な市場では機能しないからだ。

(中略)

では独占企業にとっての戦略とは何か。それは値段を上げるために供給を減らすことだ。学生が授業にくるようにプリントには全ての授業内容を載せないことだ。他に聞きにいく場所のない学生はクラスにいくしかない。
しかし、競争がある市場で同じことをしたら自殺行為だ。競争相手が価格を下げてシェアを奪ってしまう。競争的な市場ではいかに必要とされている財を提示し、それに応じたプレミアムをチャージするかが重要だ。単に価格を上げたら客は逃げる。

(中略)

では企業ならどうするか。市場調査を行い人々が欲しているかを調べるだろう。ブログではそれは何に対応するか。
ブログはコミュニケーションのプラットフォームだという指摘がそれだろう。企業がアンケートを実施して新製品への反応を見るように、読者が何を言ってるのかに耳を傾ける必要がある。
旧来のジャーナリズムのように勝手にしゃべって、相手が聞くのを待っていてもだめだ。殿様商売は殿様が一人しかいないからうまくいくのだ。(なぜ誰もあなたのブログを読んでくれないか

これをまとめると、マスメディア=独占市場=殿様商売ミドルメディア=競争市場となる。
値段を上げるために供給を減らすこと」というのは、日経電子新聞でやっていることだ。経済に強い日経新聞なら成り立つかもしれない。無料アカウントでは「全ての授業内容を載せない」からだ。だが、他の一般紙では、成り立たないだろう。有料にしようにも、他紙が無料だからである。

そうなると、同じネタを何回も売る方法は、成り立たない。幅広く、違ったネタを取り揃える(グーグルやアマゾンのように)かその新聞しかできない特殊ネタを売るかしかない。ところで、佐々木氏は、キュレーターを

インターネットのキュレーターは膨大な数の情報の海から、あらかじめ設定したテーマに従って情報を収集し、それらの情報を選別する。そして選別した「これを読め!」という情報に対してコメントを加えるなどして何らかの意味づけを行い、それをブログやTwitterSNSなどのサービスを使って多くの人に共有してもらう。(キュレーション・ジャーナリズムとは何か)( リスクゼロ社会の幻想)
と定義している。つまり、キュレーターは、情報を選別し、コメントを書くことで他のキュレーターとの違いを際立たせ、いかに自分の作品が希少で価値が高いかを示す必要がある。もし、マスメディア出身の編集者が、キュレーターを目指すとするなら、今まで成り立っていた「編集者の勘」というマス感覚をかなぐり捨てるしかない。受身の今までの読者はどこにもいないからである。
ブログパーツ