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素人だから言えることもある

日本は龍馬を待っている

 明日11月28日は、NHK大河ドラマの「龍馬伝」の最終回で、龍馬暗殺が描かれる。僕は、この作品の熱心な視聴者ではないので、坂本龍馬を演じた福山雅治氏が現代人に「龍馬伝」で何を伝えたいと思ったかを調べてみた。ホームページの「龍馬伝」の中で、福山雅治氏はインタビューでこう答えている。

 自分も大人になって思いますが、これだけいろいろな情報が手に入りやすくなると、情報を集めることだけに終始し自分で決断をしなくなるなと思います。決断することを恐れるようになるのではないでしょうか?
 きっと龍馬さんは、田舎者で、子どもで、世の中のことを何も知らなかったからこそ、「このままじゃいかん、日本を変えるんだ」と思えたのだと思います。いろいろな情報を知っていたら、「変えられない、そんな大変なことはできるはずない」と考えたのではないでしょうか

(中略)

 もう1つ龍馬さんから教えてもらったことは、“まず行動ありき”ということ。
人は賢過ぎると、よくない側面もあると思います。頭で考え、ロジックを組み立て過ぎると、時代の速さに負けてタイミングやチャンスを逃してしまう。知らないことは人に聞けばいい、恥ずかしがったり、怖がったりせずに、“まず行動ありき”。打ち破るべきは、自分の殻である。行動力の大切さを龍馬さんに教えてもらいました。(福山雅治ラストメッセージ)

 幕末と現代の環境の違いの中で、一人の行動の意義の大きさについて語っている。現代のようにネット社会でさまざまな情報か飛び交う中、人々はその情報に振り回され、行動を躊躇させてしまう。そして、自分を極小化し、自分ひとりの行動くらいたいしたことはないと思う。このことは、文藝春秋12月号 の福山雅治「龍馬」を語るでも共通している。
 今回の『龍馬伝』は、決して、名もなき若者が日本という国を動かす存在になるまでというヒーローストーリーではありません。伝えたいのはもっとシンプルな、「行動しなければ何も変わらないし、始まらない」というメッセージです。そして、僕がこのドラマを通して学んだことも、このひと言に尽きるといえます。

 どれほど文明が発達し、情報化社会といわれるような時代になったとしても、インターネットを覗いているだけで現実世界を理解することはできません。多くの情報が入ってくるだけで、決断をしなくなる。やはり自らの足で行動して人と会わなければいけないし、時代の空気を肌で感じなければいけない。今の時代に向けて、僕はそこを強く伝えたいと思っていました。(文藝春秋12月号 ・福山雅治「龍馬」を語る )

 また、幕末と現代を比べて福山氏は、龍馬の異端さを語っている。
 幕末という大きな時代の枠組みの中でも、龍馬さんはやはり異端の人です。でも『龍馬伝』では、柔らかい龍馬さんが魅力的に映る。現代人の感覚から見ると、龍馬さんが“真っ当”な考え方をしているからです。たとえば、2010年に腹を切って何かを変えようという人はいません。でも幕末はそうではなかった。自分の命ひとつを懸ければ、何かが変わるとほとんどの人が信じていた。命の重さは今も昔も変わりませんが、命に対する価値観が、はるかに重たかった時代です。

 それに対して龍馬さんは、「切腹しても何も変わらない」とはっきり口にして、生きながら解決を探る道を選びます。今の僕らから見れば、それこそ“真っ当”な考え方ですが、当時は相当な変わり者に思われても仕方がない。つまり、龍馬さんが現代の視点から見て真っ当に描かれれば描かれるほど、彼が生きた幕末期においては異端な人になる。それが『龍馬伝』がはらんでいる構造なのです。

 “柔らかい龍馬さん”は、脱藩をしたり、どんどん人に会いに行ったりと、ストレートな行動をするものの、人を説得する時には、相手の虚を衝いたり、「その手があったんだ」と思わせるような計算高さを持ち合わせています。(文藝春秋12月号 ・福山雅治「龍馬」を語る )

 異端な龍馬が、命を懸けてやりたかったこととは。
 龍馬さんが命を懸けてやりたかったのは、故郷・土佐を変えることだったと僕は解釈しています。最初から最後まで、その志は変わりません。土佐の田舎に生まれ、上士と下士とという歴然と身分差がある藩社会の中で、上士を斬り殺したり殿様に訴え出ても、藩という制度は何ひとつ変わらない。そうであれば、脱藩して日本中を旅して回り、根底にある日本のシステム自体を変えるしかない

 日本を変えれば、土佐を変えることができるのではないか。龍馬さんはその発想で、いろんな人に会い、日本を変える行動を遂げていったのではないでしょうか。龍馬さんにとっての最終目的は土佐を変えること。日本を変えることはあくまでも手段だったのではないでしょうか。
(文藝春秋12月号 ・福山雅治「龍馬」を語る )

 確かに、幕末と現代は環境が180度違う。だが、人々がそれぞれの環境に縛られている現実はまったく変わらない。脱藩して日本中を歩き回らなければ、情報を手に入れられなかった幕末と、自宅にいながらにして世界の情報が集まってくる現代。しかし、いくら情報が分かるからといって、行動しなければ何も変わらない。むしろ、その情報を使って、どんな行動を取るべきかを考える段階に来た。誰かが変えてくれるという龍馬を待っている時期は過ぎたのである。一人ひとりが龍馬となって行動し、現実を変えていかなければならない。
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