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素人だから言えることもある

ゲームもテレビも「失敗したくない病」(失敗を許さない国・2)

カプコン稲船氏退社

カプコン稲船敬二氏が退社した。その退社理由が4gamer.net に載っていた。いくつか、引用してみる。
稲船氏: 辞めるという話はそもそも,ゲーム業界自体――といいますかゲームの制作という行為そのもの――を変えなくてはいけない,と思ったからです。ある種偽善的に聞こえてしまうかもしれませんけど,日本のゲーム業界がいまぶつかっている非常に大きな壁というのは,クリエイターのサラリーマン化なんです。

(中略)

稲船氏: 要するに,ある意味社会主義国家みたいなものなんです。一生懸命働くだけ損なんです。働かない方が得なんです。でもそれって,クリエイターとして失格じゃないですかとにかく無難にやっとこう,でいいものを作れる時代じゃないんです

(中略)

稲船氏: そうですね。その部分で,自分が率先して変わることで,ゲーム業界そのものが自ずと変わっていくようにしたいんです。ここ数年,同じようなことをカプコン社内でずっとやってきました。だって考えてもみてください。僕は開発のトップです。ということは,カプコンにおいては事実上「あがり」なんです。ここから上はないんです。であれば,サラリーマン根性むき出しで,失敗しないように新しいことはしない,目立ったことはしない,言われたことを粛々とこなしてるほうがいいに決まってるじゃないですか。迂闊なことをやって失敗したら,もうその立場にはいられませんし。(稲船敬二氏は,何を思い,何を考え,何を目指してカプコンを辞めていくのか。渦中の氏に直撃インタビュー)

もちろん、これはインタビューのほんの一部で、稲船氏の退社理由については引用元を読んでほしい。ともかく、「トップは失敗してはならない」という台詞は、「失敗を許さない国」でも出てきた。
田原:そう、失敗をしたくない。だから、チャレンジをしない夏野:思いきったことをしない。(田原総一朗×夏野 剛「立ち上がれ!ガラケー日本!!」)
しかも、稲船氏はこんなことも言っている。
稲船氏:あぁそうですね。そういう言い方は割と近いかもしれない。あとこれも,パブリッシャさんに嫌われるかもしれないことを覚悟したうえで言っておきたいんですが,パブリッシャさんはよく「お金出してんだから」と言いますが,お金という話だけで言うならば,それを手に入れる道はいくらでもあるんです

4Gamer早くて手軽な手段かどうかは別として,銀行とかVC(ベンチャーキャピタル)とかファンドとか,可能性だけで言うなら確かにいろいろありますね。あ,なるほど……言わんとしてることが理解できました。

稲船氏:そうです。それに対して,ゲームのアイデアやコンセプトは絶対に借りられません。銀行もVCもファンドも,どこに行ったって貸してくれませんよ。でもゲームの業界は,お金を出したところがマルシー(編注:ここではコピーライトのことを指す)なんですよね。僕が例えば素晴らしいアイデアを持って,辞めたあとでカプコンに行って「この作品をカプコンさんで作らせてくれませんか」って交渉してそれが通ったとき,「いいよ。いくらかかるの」「20億です」「オッケー」っていって順調に発売されたとして,なぜか(C)はカプコンなんですよ。これおかしくないですか?(稲船敬二氏は,何を思い,何を考え,何を目指してカプコンを辞めていくのか。渦中の氏に直撃インタビュー)

ここで、お金を出した方が権利がある、ということを覚えておいてほしい。

テレビがいつも同じようなタレント番組を作る理由

 日本ビジネスプレスで、テレビは今日も金太郎飴のタレント番組ばかり「報道番組」をつくらせてもらえない民放の記者たちという記事があった。その中でこんなエピソードが紹介されていた。
民放テレビ局で報道に携わる記者の嘆きはだいたいどこも共通している。番組企画をつくって、編成局や営業局の担当者との会議に臨むと、まず編成担当が言う。「で、タレントは誰が出るの?

そんなもの出ない、タレントなんか必要なのか、と言い返すと、「タレント出ない? それじゃ、数字(視聴率)取れないでしょ」で、一蹴。営業担当が「数字取れないと、スポンサー難しいですね」とトドメを刺す。

「何がテーマなのか」など、誰も突っ込んで聞かない。かくして「あいつら報道に愛情どころか興味もない」と記者は怒り狂うのだ。(テレビは今日も金太郎飴のタレント番組ばかり「報道番組」をつくらせてもらえない民放の記者たち)

その原因を烏賀陽氏は、こう推測する。かつてのJポップのほとんどがCMタイアップだったことから、
あまり指摘されていないことだが、こうしたヒットメイキングメソッドの中で「どの曲をCMに乗せるか」を決める最終的なゴーサインを出すのはスポンサーだった。これは、とりもなおさず「どの曲がヒットするのか」を決めるのに、スポンサー企業が決定権を握っていたということなのだ。

しかし単純に考えれば分かるのだが、普通の企業は経営が専門なのであって、音楽が専門ではない。では、どんな曲がスポンサー企業に好まれたのか。

一言でいうと「無難」である

広告は、最大多数が商品を購入するよう説得するのが目的なので、常に「最大多数が合意済み」あるいは「合意可能な」範囲で作られる。見解が分かれるもの、議論を呼ぶもの、物議をかもすもの(=英語でいうcontroversialなもの)は好まれない。(テレビは今日も金太郎飴のタレント番組ばかり「報道番組」をつくらせてもらえない民放の記者たち)

この「無難」ということは、失敗しないということと同義である。さて、烏賀陽氏は、このJポップの論理を報道にも援用する。
「最大多数が合意可能な範囲」の表現である「広告」と、多数の合意を必要としない自由さを特徴とする「音楽」とでは、表現としての目的がまったく違う。この「広告」と「音楽」の違いは「広告」と「報道」の関係でも同じだろう

両者は「利害が対立する」のではない。目的がまったく違う別の形態のコミュニケーションなのだ。それを「抱き合わせ」にしたのが、そもそも悲劇の始まりだったのだ。

(中略)

断っておくが、スポンサー好みの番組がないと、収入が減って経営が成り立たない。そういう番組は必ず必要だ。「テレビ局がスポンサー好みの番組をつくる」ことが悪いのではない。「そればっかり」になってしまって多様性がないから困るのだ。

試しにテレビをランダムにつけてみればいい。お笑い芸人かタレント(そうとしか呼べない職種)が近場というか、だいたい関東近県の「この街のうまい店」で「秘伝のタレ」を試食する。あるいはスタジオ内でゲームをする。無難なことをトークする。(テレビは今日も金太郎飴のタレント番組ばかり「報道番組」をつくらせてもらえない民放の記者たち)

こうして、ゲームもテレビもスポンサー好みの「無難」なものを狙う。そして、両者のクリエイターも失敗を恐れてチャレンジしない。結局、視聴者やゲーマーは、とがったものがないので、どんどん離れていく。
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