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素人だから言えることもある

テレビと記憶

ドナルド・キーン氏のエントリーのPVが伸びた!

この二三日、ドナルド・キーン氏は日本人の何に感動したのか(1) のPVが急速に伸びている。Google analyticsによれば、8月31日は40PV、9月1日は2511PV、9月2日は211PVとなっている。このエントリー全体のPVが、3863PV(9/3現在)なので、この三日間でその7割を稼いだことになる。

その原因を調べてみると、ドナルド・キーン氏が9月1日に来日している。

永住決めたキーンさんが日本到着「希望持とう」
日本文学研究の世界的権威で、東日本大震災を機に日本永住を決めたドナルド・キーン米コロンビア大名誉教授(89)が1日、日本に到着した。
成田空港で取材を受けたキーンさんは、「やっとのことでニューヨークの自宅の家具などを処分しました。飛行機の窓から見える四角い畑や田んぼを、美しく感じました」と語った。
被災地に向けては、「一番大切なことは希望を持つこと。希望を持てば、奇跡が起こる。東北にも行きたいと思います」。近く岩手県平泉町にある中尊寺を訪ね、仙台での講演などを予定している。国籍取得の手続きも進めるという。
(2011年9月2日10時37分 読売新聞)
おそらく、この情報を知った読者が検索してこのエントリーを訪ねたのだろう。事実、googleの検索では、「ドナルド・キーン」では、3位となっている。クローズアップ現代で、この番組を見たこともない人も、今回の来日で知ったのかもしれない。

テレビを書き起こす

僕は、前項「テレビメモ「怪獣」と「我慢」」や抜き書きシリーズなどで、テレビを書き起こしている。

書き起こすたびに思うことは、テレビというものはどれほど大切な情報を伝えていても、人間の記憶に残るのはほんの一部だということだ。その情報が膨大であればあるほど、相対的に記憶内容がおぼろげになる。YouTubeで見返せばいいじゃないかというが、漠然と見るのと文章として残っているのを読むのはまったく違う。もちろん、映像を文章に残すことはできない。だが、言葉は残すことができる。

マスメディアはPushメディアだと言われる。テレビにかぎらず、新聞も情報を一方的に流す点では同じた。その時点では、あまり重要でない情報だと思っていても、あるニュースをきっかけに重要になることもある。今回のドナルド・キーン氏来日のニュースと僕のエントリーが結びついたことも同様だろう。

一方、インターネットは、Pullメディアだと言われる。検索にしてもそうだ。調べたいものがない限り、一方的に情報を流してはくれない。多くの場合、このPullメディアも、Pushメディアが引き金になって、検索されることが多い。つまり、PullメディアはPushメディアが存在したからこそ、登場したのである。

さて、その中で、僕がやっている「テレビを書き起こす」という行為は何か。それはPushメディアのテレビで流される情報を、僕の目と耳と手を使ってPullメディア化するということなのだ。文章にすれば検索しやすくなる。僕は、「ブログはスクラップブック」でこう書いている。

教師と生徒、一番物を覚えるのに適しているのはどちらか。僕は、教師だと思う。人間は、目で読み、手で書き写し、口で話す。教師は、この三種類の動作をこなす。生徒は、目と手ぐらいなものだ。社会人になって、本を読むことぐらいはするだろうが、書き写すことまでしないだろう。だが、書き写す作業がなければ、知識として残らないのである。
記憶というものは、自分の五感を使わなければ自分のものにならない。受け身で消費するのではなく、ここは記憶したいと思うものを見つけたら、ブログに書きつけていきたいと思っている。
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