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素人だから言えることもある

ひょうきん族も、「全員集合」を禁じ手にしていた(禁じ手・2)

これは、巨大なライバルを乗り越えるために役立つ『禁じ手』という手法の続編である。

ある時、本屋で編集者・演出家の高平哲郎氏の「今夜は最高な日々」という本を手に取った。高平氏は、タモリ赤塚不二夫と友人で、ジャズに対しても造詣が深い。したがってタモリの番組や「笑っていいとも」などの番組にも参加している。特に、タモリの「今夜は最高」などはパロディ番組として有名である。とはいっても、僕はあまり見ていないので、これ以上の話をするとボロが出る。

さて、2010年8月に本書が出版され、4か月後の今頃、ようやく図書館で借りることができた。立ち読みした時、「ひょうきん族」のエピソードが出てくるのだ。当時の三宅恵介ディレクターの言葉として、こんな言葉が出てくるのだ。

「(中略)番組を認めてもらうためにはどうすればいいか、どうすれば番組の存在価値が出るか、と考えてすべて『8時だョ!全員集合』の逆をやろうと。(以下略)」(高平哲郎著「今夜は最高な日々」新潮社)
この部分を読み、この「全員集合」がコント55号を禁じ手にしていることを引用した
テレビをつければ、コント55号が飛び出してくる、という時代である。このコント55号の面白さのベースは、洒脱なアドリブのやりとりであり、ハプニングに対する軽妙な対応にあった。この当時のテレビの笑いは、アドリブ、ハプニング全盛であった。

この時代の流れに逆らうことを、私は考えた。ハプニングとアドリブの「笑い」に対して、時間をかけて徹底的に練りに練り上げた「笑い」を中心とする、バラエティー・ショー番組を作ろうと思った。そして、コント55号に対抗させる主役は、「いかりや長介ザ・ドリフターズ」である。(居作昌果著「8時だョ!全員集合伝説」双葉社)( 今の日本のテレビで「全員集合」が作れない理由)

と見事に対比していることに気が付いた。

ところで、この三宅ディレクターの話、高平氏が三宅ディレクターに直接聞いたわけではない。これは記事の引用である。さらに、本書のこの記事の引用部分は、中略が多いので、元記事を探すことにした。巻末に「三宅デタガリ恵介、バラエティ番組作りに捧げた人生を大いに語る!」(後編)『本人』vol.11(太田出版、2009年)とあり、この本「本人」を探した。

この本は小説、漫画、インタビュー記事など雑誌形式になっている。「三宅デタガリ恵介、バラエティ番組作りに捧げた人生を大いに語る!」(後編)は、インタビュー記事である。

―――じゃあ、個別の番組の話もそろそろ………まずは「オレたちひょうきん族」から。「THE MANZAI」「笑ってる場合ですよ!」のメンバーで、バラエティの黄金枠(土曜の八時台)で勝負をしよう、っていうのがそもそものキッカケですよね。

三宅 そう、81年の5月から9月にかけて、まず8本の特番をやったんですよ。「ひょうきん」は裏に「8時だョ!全員集合」っていう素晴らしい番組があったから成立したんであって、番組の作り方で言うと消去法でやったんです。それはなぜかというと、まずは番組の存在価値を認めてほしい、みたいなのがあって、裏にドリフターズの「8時だョ!全員集合」っていうお化け番組があったら、これは普通にやっても太刀打ちできるはずがない。そうすると、番組を認めてもらうためにはどうすればいいか、どうすれば番組の存在価値が出るか、と考えてすべて『8時だョ!全員集合』の逆をやろうと。「全員集合」が生放送だから、こっちはVTRでやろう。「全員集合」はドリフターズというしっかりしたチームがあって、オチに向かってチームプレイをするから、こっちは一人一人のキャラクターを生かした個人プレイでいこう。ドリフが計算された笑いを作るから、こっちは計算できないハプニングを狙おう、っていう。(「三宅デタガリ恵介、バラエティ番組作りに捧げた人生を大いに語る!」(後編)『本人』vol.11太田出版

コント55号→全員集合→ひょうきん族、これは「禁じ手」の歴史だったのだ。禁じ手を作ることで、当時、流行っていたものと全く違ったものができる。それは、逆転の発想でもあり、常識を破ることでもあった。
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