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素人だから言えることもある

夢を見る人と夢を叶える人(夢は見るものでなく叶えるもの・2)

澤穂希選手は坂本龍馬に似ている

前項「夢は見るものでなく叶えるもの」を書いていて、彼女の考え方は、坂本龍馬に似ていると思った。俳優の福山雅治氏が書いた「龍馬」を語る(文藝春秋2010年12月号)で、
龍馬さんが命を懸けてやりたかったのは、故郷・土佐を変えることだったと僕は解釈しています。最初から最後まで、その志は変わりません。土佐の田舎に生まれ、上士と下士とという歴然と身分差がある藩社会の中で、上士を斬り殺したり殿様に訴え出ても、藩という制度は何ひとつ変わらない。そうであれば、脱藩して日本中を旅して回り、根底にある日本のシステム自体を変えるしかない。

日本を変えれば、土佐を変えることができるのではないか。龍馬さんはその発想で、いろんな人に会い、日本を変える行動を遂げていったのではないでしょうか。龍馬さんにとっての最終目的は土佐を変えること。日本を変えることはあくまでも手段だったのではないでしょうか。(文藝春秋2010年12月号 ・福山雅治「龍馬」を語る)(日本は龍馬を待っている)

これは、日本における女子サッカーの地位と同じである。現在のマイナーの地位をメジャーにするには、世界一になるしかない。これが日本国内の女子サッカーの地位が変わる。そしてそれには、自分の夢を信じ、着実に行動することが重要である。
どれほど文明が発達し、情報化社会といわれるような時代になったとしても、インターネットを覗いているだけで現実世界を理解することはできません。多くの情報が入ってくるだけで、決断をしなくなる。やはり自らの足で行動して人と会わなければいけないし、時代の空気を肌で感じなければいけない。今の時代に向けて、僕はそこを強く伝えたいと思っていました。(文藝春秋2010年12月号 ・福山雅治「龍馬」を語る)(日本は龍馬を待っている)
私たちは、「なでしこジャパン」の優勝の流れを見てすごいと思った。一方で、彼女のような行動はできないと思っている。この夢を見る人と夢をかなえる人の差はどこにあるか。
「目の前に壁が立ちはだかっているのは、自分の成長のために大切なことだ。それはこれからも変わらない。いつか世界の頂点に立つ日、その夢の実現までには、まだまだ長い道のりが続くだろう。今はまだ、その通過点だ」(いつか世界の頂点に、澤穂希が迎える“豊作”の時「夢は見るものではなく叶えるもの」)
確かに澤穂希選手や坂本龍馬の立場は特殊である。だが、私たちにも目の前に壁が立ちはだかっている点では何ら変わらない。違っているのは、夢を見ているだけで、何も行動をしていないところである。

夢を叶えるためには必ず夢を実現する友人が必要

夢を見る人は多い。だが、前項「夢は見るものでなく叶えるもの」で書いたように、夢を信じない人が大多数である。また、その夢を信じていても、こもってしまったり、あまりにも非現実だったりして、誰もそれを信じなかったりする。僕は、「アップル・ソニー・ディズニーの共通点」でこう書いている。
世の中には、夢を語る人は多い。だが、その中から大成したものはまれである。それはなぜか。彼らの多くが、独創的な夢を追いかけるがゆえに、現実離れしており、コストや過程を無視しているからだ。この現実を直視しながらも、彼らの夢を実現するために努力する、現実と夢の間に橋渡しをするパートナーが必要だ。たとえば、ウォルト・ディズニーは兄のロイ・ディズニーが、銀行家としてのつてを使って、さまざまな資産家から資金援助に奔走したからウォルトの夢を成功に導いた。
また、スティーブ・ジョブズの夢もまた、スティーブ・ウォズニアクとの出会いがなければ、まったく違ったものになっていただろう。ウォズニアクが天才的なプログラマーとしてジョブズの様々な発想に答えていったから、アップルが生まれたのだ。
井深大も、盛田昭夫との出会いがなければ、小さな町工場で終わっていたかもしれない。(アップル・ソニー・ディズニーの共通点)
僕は、こうして「なでしこジャパン」でも監督やチームメイトたちが、彼女の夢の実現に協力したと考えている。
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