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素人だから言えることもある

「三丁目の夕日’64」と「麒麟の翼」をつなぐテーマ「コミュニケーションのない家族」(ネタバレあり)

不器用な父子

映画「ALWAYS三丁目の夕日’64 」と「麒麟の翼」を続けて見た。コメディとミステリー、形式は違うが、メインテーマが似ていると思う。家族の中で、子供が何を考えているかわからない、親が何を考えているかわからない。三丁目の夕日では、その食い違いからコメディになり、麒麟の翼は事件に変わる。
三丁目の夕日では、主人公の一人、茶川(吉岡秀隆)の父が登場する。茶川は、父に勘当されたと思っていた。茶川の叔母(高畑淳子)によれば、
林太郎さん、よう言うてたもん。小説家なんて厳しい世界だ。背水の陣でのぞまねばならねえってな。だで、勘当するふりしたんだぇな。(湧井学著/西岸良平原作「ALWAYS三丁目の夕日’64」小学館文庫)
茶川は、自分の養子、古行淳之介(須賀健太)が、小説家志望なので、小説家をあきらめさせようとするが、あきらめないので、結局父を見習って追い出す。観客から見れば、そこまでする必要がないし、同じ家で執筆すればいいと思うのだが、茶川は結局自分が淳之介に頼ってしまうだろうという弱い心があることを知っているので、不器用ながらも父の真似をしてしまう。何で茶川はこんなに不器用なのか。監督の山崎貴氏は、こういう。
毎回物語がひとつ終わっていますから、そこからの継ぎ足しが大変なんです。継ぎ足しに見えないように物語を継ぎ足していくんですけれど、2作目は特に難産でした。今回は鈴木オートの六ちゃんもそろそろ嫁に出さなきゃいけないし、茶川さん家の淳之介も独立する時期だし、何となく“巣立ち”をテーマにしようと思っていたんです。その方向性を決めるのにも紆余曲折はあったんですが、六ちゃんのエピソードに関しては現在の流れがわりと素直に決まりました。

悩んだのは茶川さんのほうです。2作目で茶川さんも、ちゃんとした人になっただろうと。だから最初は、結構まともな人間として茶川さんを書いていったんですけれど、これが面白くない。それで前とあまり変わらない、ダメな奴にしていったら勝手にキャラクターが動いてくれました(笑)。雑誌で自分の連載小説の人気がないと分かるとファンレターを偽造したり。今度も最低の男なんです。

最後もどうすれば茶川さんらしいんだろうと悩んで、答えが出ずに寝て起きたら、勝手にイメージの中で茶川さんが走ったんです。最後に走るというのは1作目でもやった手なので、映画的には良くないことなんです。でもキャラクターが動きたいように脚本を書き進んでいったら、見た目は前と同じく走っているんですけれど、走る意味がまったく違っていると気がついて『茶川さんは、こうしたかったのか』と思いました。

鈴木オートの則文さんに関しても、彼を怒らせるにはどうしたらいいかと思うと、勝手にキャラクターが動いてくれて。舞台装置を作って、あるフラグを立ててやると彼らが自ら無茶苦茶やってくれるんです。そのフラグの立て方が決まってしまえば、本当に自動書記をしている感じで物語が生まれていくんですよ。(キネマ旬報2012年2月上旬号「インタビュー 山崎貴監督 リアルな時代ではなく、記憶の中の昭和を」キネマ旬報社)

観客は、前作までのイメージで出演者を見ている。茶川をまともな人間として描くと、ドラマが成り立たないというのはよくわかる。たとえば、「寅さん」のシリーズは、まともな人たちを寅さんがかき回すというパターンがある。観客は、寅さんが今度は何をやってくれるかと期待している。

48年後の家族

一方、「麒麟の翼」は現代の物語である。昭和39年の頃は、茶の間に家族揃ってテレビを見るという習慣があった。現代では、それぞれ個室が与えられ、子供たちはそれぞれの部屋にPCがあるのであまり会話がない。被害者となった父親も息子が何を考えているのが分からなくて、たまたま開いていた息子の部屋のPCからブログを覗くことで初めて行動を知るというエピソードがあった。いわば、家族がそれぞれの世界に断絶した状態なのだ。また、父親は、直接息子と会話をすることなく、友人を呼びだしている。

48年前の家族と現代の家族はどう違うか。それは生の人間と直接会話するより、ケータイやPCという機械を通してのつながりである。1991年の中島梓氏の「コミュニケーション不全症候群」では、その定義をこう書いている。

コミュニケーション不全症候群、とここでは仮に私は名付けてみたが、それは決して特殊な精神的症状のことではなくて、むしろ現代にきわめて特徴的な精神状況のことである、とはあらかじめいっておかなくてはならない。それは端的にいうと、

一、他人のことが考えられない、つまり想像力の欠如。

二、知り合いになるとそれが全く変わってしまう。つまり自分の視野に入ってくる人間しか「人間」として認められない。

三、さまざまな不適応の形があるが、基本的にそれはすべて人間関係に対する適応過剰ないし適応不能、つまり岸田秀のいうところの対人知覚障害として発現する。


—といった特徴がある。それは必ずしも精神病の範疇に入るほどれっきとした病態を示すわけではなく、むしろ程度の問題だけで、「あなたも私も病気」とでもいった状態を呈するのである。(中島梓著「コミュニケーション不全症候群」筑摩書房)(言語力低下とおタクと「コミュニケーション不全症候群」

中島梓氏は、いわゆるおタクについて、
「おタク」の亜種たちは、これまでの長い人間の歴史の中で、ありとあらゆるバリエーションとスケールで繰り返されてきたように、人間を自分の仲間と、非・仲間の二種に分類し、出会う人間をそのどちらかにたえず移行させるという、社会的生物存在としての人間の本性による行動を取らないのである!


—どうするのか、というと、彼らは人間を仲間と非・仲間に分ける代わりに、「仲間である非・人間」と、「仲間でない人間」とに分けてしまう!

つまり彼らは、人間でないもの、モノ、創作物、フィクションの登場人物、機械、数式、人工頭脳、ゲーム、それらに自分の自我の根拠を求め、自分の場所を作り、共感と共鳴と共同幻想の共有を求めてゆく。かれらにとって、人間よりモノ、機械のほうがはるかに大切な「友達」であり、機械との親密な融合をこばんだり、さまたげる人間はすべて「敵」でしかないだろう。実際にはまだそれが社会全般にしれわたり、問題化するほどは一般化していないから、一部の専門家の中で論議の対象になっているにすぎないが、いずれはそれは社会全体にとってのとてつもない巨大な問題となるだろう。(中島梓著「コミュニケーション不全症候群」筑摩書房)(言語力低下とおタクと「コミュニケーション不全症候群」

生な人間の付き合いを嫌うあまり、機械に向かうというのは言い過ぎだろうか。実際、山田洋次氏も、映画「おとうと」のパンフレットの中で、
——対話ができる人たちは、ぶつかりながらも円滑に生き、対話できない関係はダメになってしまいます。小春の元夫の「向き合って何の話をするんですか」という台詞が象徴的でした。

あれはイプセンの「人形の家」のなかの有名な台詞なんです。「何を話し合えと言うんだ」「ちゃんと向き合って、真面目な事を真面目に話したい」というのはノラの台詞。小春と結婚した医者の卵にはまったく理解できないことで、夫婦の間には真面目な問題なんてないのではないかと思っている。彼は生活者としての知的レベルはかなり低いと思うんですよ。夫婦に話し合うことなんて必要ないと思ってるんだから。そうじゃないんですよ、夫婦だからこそ、きちんと真面目に話し合わなきゃいけないということは19世紀のイプセンがすでに語っていることでね。(「おとうと」パンフレットより)( 映画「おとうと」に見る家族内コミュニケーション)

夫婦間に対話はいらない、家族間に対話はいらないという関係が高度経済成長期以降の現代に家族内の寒々しい光景を作っているのではないか。

幸せとは何でしょうな

「ALWAYS三丁目の夕日’64」で宅間医師(三浦友和)がこんなセリフを言う。
幸せとは何でしょうな。

今は皆が上を目指している時代です。医者だってそうだ。みんななりふり構わず出世したいと思っている。しかし、菊池君はそれとは違う生き方をしている。(「ALWAYS三丁目の夕日’64」パンフレット)

その違う生き方とは何か。六子(堀北真希)の結婚相手、菊池医師(森山未来)は無料診療をしていた。宅間医師はこういう。
「貧困や、いわれなき差別により医療を受けられない患者にも分け隔てなく医療を提供する。それが無料診療の考え方です。だから、孤児や浮浪者、ときには娼婦のような人たちも診ます。(菊池)孝太郎君は、その活動が知られて前の病院を首になったのです」(湧井学著/西岸良平原作「ALWAYS三丁目の夕日’64」小学館文庫
その話の続きは、茶川とヒロミ(小雪)の会話に続く。
「あの菊池ってお医者さんね。無料診療をしてるって言ってたでしょ? 宅間先生ね、不思議に思ったんだって。自分みたいなロートルがそういう活動に参加するのは理解できるけれど、菊池先生みたいな若者がどうして無料診療なんかに賛同するのかって。無料診療は病院から嫌われる。そしたら医者としての出世は望めないし、診る患者は貧しい人ばかりだから、自分の生活だって苦しくなる。その上、表に出ない活動だから名声も得られなきゃ、誰かに褒めてもらうこともない。なのにどうして、そんな損ばかりの活動を続けるのかって」

そしたらね、ヒロミが続ける。

「菊池先生はね、『嬉しいから』って答えたんだって」

茶川は思わず聞き返した。意味がわからなかった。

「嬉しい? 何が?」

ヒロミがどこか悲しそうに微笑む。

「『お金持ちになるより、出世するより、人の安心する顔を見る方が幸せなんだ』って。そう答えたんだって。

「………」

茶川はお茶を啜る。ヒロミが呟いた。

「わたし……、それを聞いて、なんとなくわかるって思った」

「……幸せも、人それぞれってことか」(湧井学著/西岸良平原作「ALWAYS三丁目の夕日’64」小学館文庫)

この菊池医師の行動は、幸せの価値を人と人とのつながりに重きを置いている。お金より、人の笑顔がうれしいというのは、ボランティア精神にも通じる。さらに、映画「おとうと」で登場した民間ホスピス「みどりのいえ」のモデルとなった「きぼうのいえ」の施設長の言葉に通じている。
「きぼうのいえは、生きる場です。残りの時間に、その人らしく生き直すのをお手伝いできればと思っています。優しい人は優しく、怒りっぽい人は怒りっぽく、自分の生涯を振り返り、和解をしてゆく空間にすることが大事なんです」(「おとうと」パンフレットより)( 映画「おとうと」に見る家族内コミュニケーション)
人間らしく生きるとは何か。たとえば、病院長から責められたというエピソードの菊池医師の言葉も。宅間医師はこういった。
「君は医者である前に凡天堂病院の医療従事者だ。病院の利益につながらない行為は慎むべきだ」

病院長はそういって菊池を責めたらしい。孝太郎さんはこう答えた。

ぼくは、医師である前に人間です。人間だから、人間を助けたいんです」(湧井学著/西岸良平原作「ALWAYS三丁目の夕日’64」小学館文庫

この「幸せとは何でしょうな」の言葉について、山崎監督はこういっている。
「撮影が終わりかけていましたから、内容的に震災の影響はまったくありませんでした。ただ出来上がったものを観たとき、おこがましいかもしれませんけれど“この時期を選んで、この映画は生まれてきた”と感じました。

三浦友和さん演じる宅間先生が『幸せとは何でしょうな。今は皆が上を目指している時代です。医者だってそうだ。みんななりふり構わず出世したいと思っている。しかし、彼はそれとは違う生き方をしている』と語る場面があります。あそこは震災の前に撮っていて、ここで語られる幸福観は非常に“生”の言葉だと思っていたんです。でもそれはいろんな人に伝わって欲しいから『まあ、いいか』と。

それから震災が起こって、原発のことも含めて僕らも東京にいられなくなるのではないかという不安の中で撮影を続けていたんです。そのとき撮影したところを見直していたら、宅間先生のセリフが胸に短刀を突きつけられたくらい、強い言葉になっていました。東京にいる僕らが、これほど強く感じるんですから、被害にあっている人には、暴力的な言葉に聞こえてしまうのではないかと。

同時に、だからこそ今こそ幸せということをもう一度考えなくてはいけないんじゃないかと思って、そのままにしたんです。

日常的な暮らしが続いていくことに幸せがあるんだけれど、子供たちはそのことに気付かないじゃないですか。でも震災後の不安な日々の中で、子供たちもその幸せを実感したと思うんです。大事なことを知ったような気がするけれど、それって何だっけと思っている子供たちのモヤモヤした思いを、『幸せとは何でしょうなあ』と宅間先生が言葉にしたことで、それが助けになるかもしれない。

またその言葉は今後彼らが生活をしていく中で、自分の幸せを選択していくときの道標になるかもしれないと思ったんです。そういうことを含めて、この映画はこの時期に生まれるべくして生まれた気がしているんですよ」(キネマ旬報2012年2月上旬号「インタビュー 山崎貴監督 リアルな時代ではなく、記憶の中の昭和を」キネマ旬報社)

震災後、人間のきずなの大切さを叫ばれているが、現実はどうか。主に、「ALWAYS三丁目の夕日’64」について考えたが、48年の間に家族のだんらんがなくなり、「麒麟の翼」の家族の光景が現代社会そのものであることを思うと、幸せは家族内のコミュニケーションにあると思わざるを得ない。
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