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素人だから言えることもある

新聞の中の「マジョリティ憑依」

今日の朝日新聞から

今日、6月20日付けの朝日新聞を読んでいると、新聞の端々から日本人の持っている「マジョリティ憑依」が浮かび上がってくる。たとえば、1面は、「民主、党内調整打ち切り」「増税修正案、3党提出へ」

しかし、日本の政治家は相手を説得しようとする者はいない。政治家であれば、自分たちの案のいい点、悪い点を率直に議論し合ってよりましな法案を作ろうとすべきなのだが、いくら長時間かけても自分たちの意見を言いっぱなしで議論など成立しない。結局は、数合わせなのだ。民主党内で採決できそうもないなら、野党案を丸呑みしてもということになる。そこには、議論はない。自分の立場がマジョリティに属しているかどうかのみが気になるから、消費増税なんかしたら、もっと巨大なマジョリティの有権者たちにノーと言われるに違いないと思うからだ。したがって、彼らには正論がない。彼らにとっては、マジョリティな意見こそが「正論」なのである。

30面の「オウム事件知らぬ子ら どう教える」にしてもそうだ。記者たちは高橋容疑者が潜んでいた川崎の教員や中高生に聞いたという。たとえば、市立中学の教諭は、

「オウムは、今の子にとって日露戦争くらい距離がある」と話す。事件当時、「あいつの家、サティアンじゃないの」「サリンをつけてやるぅ」と級友をいじめた生徒を指導したのを遠い昔のように感じる。
「信教の自由もあり、教室で宗教に絡む話をするときはつい身構えてしまう」。でも、サリンという猛毒で事件を起こした宗教集団があった事実を教え、命の大切さを話した。
とある。生徒の半数以上は無関心だったという。17年前の話である。知らなくて当たり前と言えば当たり前だ。でも、最初のころ、新聞をはじめとしたマスメディアはオウムに対して興味半分に取り上げた。事件を起こして、「オウムは怖い」「宗教は怖い」となり、ほかの宗教までも忌避するようになった。これこそ、「マイノリティ憑依」から「マジョリティ憑依」に移り変わったのではなかったか。そこには、なぜオウムに入ったのかという個人の視点がない。今でも、オウムの後のアレフに入る人も多いという。レッテル貼りだけでは事件は防げない。当時は世紀末で終末思想が蔓延していた時代である。現代も長引く不況で希望が見えない時代である。そういう時こそ、より過激な思想が生み出される下地になる。

38面の「67年前、私は沖縄の戦場にいた」「日本国籍取得のドナルド・キーンさん」67年前にドナルド・キーン氏は、沖縄に米軍として駐留していた。

主に普天間に駐留し、捕虜を尋問した。前線ではスピーカーで日本兵に投降を呼びかけたが、「日本軍の兵隊や民間の防衛隊は、勝ち目がないのに爆弾を背負って突撃してきた。自殺する女性や子どももいた」。
沖縄で見た日本軍の文書にも「捕虜になると女性は強姦され、子どもは殺される」とあった。「だから、死ななくていい人たちが命を絶った。日本軍がしたことは許せない」と語気を強めた。
沖縄戦で、県民の犠牲者は12万人以上、米軍の死者も1万2500人に上った。キーンさんの沖縄駐留は7月中旬まで続いた。
日本の美を愛し、日本人の美徳を尊ぶその目に、戦地の日本人はどう映ったのか。「人間はマス(集団)の一部になると性格が変わる。戦争下、日本人にもそういうことがあった」。しばらく考えてこう話した。
僕は、日本軍の行動にオウムの行動を重ねあわす。軍国主義で日本人の心をつかんだように、オウムはその思想で信者の心をつかんで離さなかったのではないのか。3人の逃亡者は日本という敵国の中の逃亡者なのだ。麻原の書物を持って逃げる高橋容疑者こそ、純粋な最後の軍人なのかもしれない。僕は、日本人の血の中に、マスやマジョリティを求める「マジョリティ憑依」が脈打っているような気がしてならない。
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