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素人だから言えることもある

理屈は感情に勝てぬ(ネットによって加速される公私混同・3)

NHKスペシャル「出生前診断そのとき夫婦は」を見た。解説には、

妊婦が必ず受ける超音波(エコー)検査。ここ数年その機械は飛躍的な進歩を遂げ、これまで‘生まれるまで分からない’とされてきた胎児の病気や障害が、詳細に分かるケースも増えてきた。更に、この秋には、妊婦の血液検査だけで染色体の異常が99%以上の精度で診断できるとされる母体血検査が、日本で始まろうとしている。
実は日本では、胎児の異常(障害)を理由にした中絶は法的には認められていない。しかし、「母体保護」や「経済的困難」という名目で、中絶が広く行われているのが実情だ。
我々取材チームは、日本では珍しい出生前診断専門のクリニック「夫マタニティクリニック」(大阪市)で密着取材の許可を得、昨秋から継続してきた。胎児の異常を、早期に正確に把握し、母体と胎児の健康に繋げるための出生前診断だが、その一方で、障害の「宣告」、出産の「葛藤」、そして「命をめぐる決断」が日々繰り返されている。
いまという時代に障害のある子どもを授かることとは。 親とは、家族とは、命とは何なのか。科学技術の進歩で、妊娠・出産に関わる全ての家族が突きつけられることになった「命の選択」。大阪の出生前診断専門のクリニックを舞台に、命を巡る家族の葛藤と、その意味を見つめる。 (NHKスペシャル「出生前診断そのとき夫婦は」)
出産する前に胎児の障害が見つかった時、8割が中絶をするという。障害児として生まれると、どうしても健常児に比べて家族は様々なリスクを抱え込む。一方で、親の気持ちからすれば、数少ない出産のチャンスを逃したくないと思うのも心情だ。このリスクを考えるというのも、僕に言わせれば理屈である。できない条件を積み重ねて拒否するのも、その中からできることを見出そうと考えるのも、理屈に理屈を重ねることで自分や他人を納得させる。一方、生みたいと思うことは純粋に個人的な感情だ。理屈は他人を納得させるためにつみあげることである。したがって、理屈は公か私かと問われれば、公であり、感情は私である。僕は、男は理屈で動くが、女は感情で動くでこう書いている。
安心と安全の問題もそれに似ている。安心は、感情の問題である。不安がなぜ不安なのかと言えば、それは不安だからというしかない。一方、安全は理屈だ。基準があり、それ以上は安全だとお上が決定する。だから、1ミリシーベルト以下が安全だということが、20ミリシーベルト以下が安全だということに引き上げられた。これは、理屈の改定である。ところが、感情というのは、そうはいかない。個人の感情は、理屈で変えることはできない。
安全だという理屈には、数字がついて回る。それは過去と比較するためだ。感情には、その数字がない。ゼロと言ったらゼロしかない。民主党政府が原発ゼロに傾くのは、その方が国民の感情に近いからだ。しかし、それでも「見えないから安心」と「見えたから不安」の問題はついて回る。
関東各地でも放射能の濃度が高いホットスポットが見つかっているが、これなどは、原発問題が起こらなければ、誰もガイガーカウンターなどを持つこともなかったし、いくら放射能線量が高くても誰も知らないから気にすることはなかったはずだ。見えないのが当たり前だったものが、急に身近に表れることから、不安に感じるのである
見えないために、言い換えれば、知らされないために、安心だと思ってきたことが見えてきたためにかえって不安を増幅するという現実が起こったのである。普通は、「見えないから不安」とはいうが、現在起こっているのは「見えたから不安」ということである。
見えないことはゼロではない。たまたま調査しなかっただけだ。また、この状況は出産前の赤ん坊の診断に似ている。障害者が生まれる確率が一定あるとしても、人はそれほど気にしなかった。というよりも、その検査方法を知らないのであきらめるしかなかった。しかし、出生前診断ができれば、そのリスクを避けることができる。ダウン症の関係者がテレビで言っていたことだが、みんながみんな出生前診断を受けて、障害者の数を減らすことに成功できたとする。そうすると、障害者たちは生まれるべきではない人として差別が起こるだろうという。これは、福島産を毛嫌いする人に似ている。福島も障害者もリスクを抱えて生きているし、無視されるべきものではない。むしろ、健常者の中に当たり前に入ることで、社会全体がバリアフリーになることが必要なのだ。それが、差別を生んでいては、階層社会になってしまう。

テレビのラストでは、胎児が障害を抱えていても、母親が「生みたい」と言って、家族全員が育てることに決定した。これは「理屈」を「感情」が破った大きな決断だが、一方では、その障害者たちを毛嫌いする感情も多いのも実情である。「社会全体がバリアフリーになること」とは、実はみんなの意見を集めた「理屈」だからだ。その「理屈」は一人の「感情」に簡単に負けてしまう。その「感情」に負けぬ「理屈」をしっかり立て直す必要があるだろう。


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