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素人だから言えることもある

ストリート・ビューとプライバシーの終焉

衆人監視時代の始まり

 ぼくは、「現代社会に完全なプライバシーなどは存在しない」で、こう書いた。
 検索するということは、ある面では、他人のプライバシーを暴くことである。なぜなら、その人物のことを書くのは、本人ではなく、知人だからである。ユーザーはまずその人を知りたいと思う。そこでグーグルを検索して情報を得る。顔を見たいと思えば、画像検索を使う。動いてる姿を見たいと思えば、YouTubeを検索する。どこに住んでいるか見たいと思えば、Google MapやStreet Viewが役に立つ。Street Viewなんかいらないと思っても、使いたいという人がいれば必ず普及する。
 法律的に行き過ぎたサービスであっても、それを求める人間がいる限り、それを最初に行った企業が必ずその業種で勝利する。Googleがやらなくても、マイクロソフトやYahooが始めるだろう。このエントリーで、エリック・シュミット氏の
 同氏は「人々は、記録が残る世界で生活しているということについて、今よりもはるかに注意深くなるだろう」と述べた。いたるところにカメラがある、ということにも気を配る必要があるだろう。

Schmidt氏は「常に、何らかの形でメディアに露出していることになる。誰もが携帯電話を持つようになり、携帯電話にはカメラがついているわけだから、誰もがカメラを持っているということになる。誰もがデジタル写真のカメラマンなのだ」と説明した。

 ケータイにカメラが当たり前についている時代になっていることを示し、この発言が「Street View」の必要性を意味づけることを示唆している。そして、アンドロイド携帯の披露で「Street View」を積極的に使っているのが象徴的である。(モバイルインターネットはPCを救う?(ホームサーバの戦い・第21章) )

見る権利と見られない権利の逆転

MIAUでは、8月27日に「Google ストリートビュー"問題"を考える」というシンポジウムが開かれた。その中でも、プライバシー問題について
 この問題にはプライバシーに対する意識の変化が絡んでいる。「この20年でプライバシー意識が変わった。昔の人はタウンページに名前を載せていたし、通販業者は名簿を売っていた。当時名簿を売るということは当時は違法視されていなかったが、今やると問題だ」(壇さん)

 河村さんによるとGoogleの担当者は「米国の高級住宅地では表札は出さないものだ」と話し、日本人はプライバシーに対する意識が低いと指摘したという。「『表札を出しているからプライバシー意識などないはず』と言い放ったことに対して反感を覚えた。アメリカの高級住宅地の方々の感覚でなぜ日本の地域社会の人を測るのか」

 八田さんは「アメリカの家は前庭があるから、道から撮影しても表札や家の中は見えづらい。そのあたりを汲んだサービス設計をすべきだったのでは」と指摘する。その一方で「プライバシーを言う人は若干自意識過剰ではないか。『気持ち悪い』という意識は、明治時代に『写真を撮られると魂を抜かれる』と言っていたのと同じに聞こえる」と皮肉った。
(「Googleストリートビュー」は何が問題か——MIAUがシンポ)

また、法律の面からは、
 ストリートビューが社会的・法律的に受け入れられるかどうかについて壇さんは「まだコンセンサスがない」と話す。

 「例えば、根拠なしに人の家を盗撮するのは社会的にも法律的にもアウトだが、犯罪行為を行っている人を見つけて証拠保全するための撮影はOK——という基準になっている。だがストリートビューは機械的に撮っており悪意はない。何の意図もないものについて、どうするかのコンセンサスは、おそらくない」(壇さん)

 プライバシー侵害などの犯罪は、加害者の故意が必要だが、このように何の意図もない場合、取り締まるべき法律はない。また、日本人はプライバシー問題は、有名人の間で起こるものと思って、外から眺めていたのではないか。しかし、ストリートビューが自分たちの間でふってわいたので驚いたのではないだろうか。しかし、私たちが、インターネット社会を受け入れた瞬間から、このプライバシーは終焉したという意見があった。

 「現代社会に完全なプライバシーなどは存在しない」で、神戸大学工学部の森井昌克教授の「プライバシーの終焉と個人情報保護」の論文を引用した。今回は、「森井教授のインターネット講座」から引用したい。

現実の社会では、一時、一箇所に数多くの人を集めることは非常に困難です。ネットワーク社会ではそれが可能であり、時間と距離が圧縮されていることから、現実の社会以上に集団意識の大暴走が起こり得るのです。

集団意識とは、共同体の大多数の共通意識のことです。現実の社会では、無名の個人が有名になるまでには、長い時間もしくは広い空間(地域)に影響を及ぼす力(パワー)が必要でした。


20世紀の産業革命は交通手段の発達を促し、広い空間の中の意識を左右できる可能性を生み出しました。特に20世紀後半の放送という手段はそれを顕著にしたわけです。

ネットワーク社会では、その究極な形を現実化しています。一瞬にして多くの個人の意識に問いかけることが可能となったのです。

集団意識の暴走はプライバシーの在り方をも変えようとしています。「プライバシーを暴く」という言葉があるように、プライバシーとは私生活そのものであり、「暴く」という積極的な行為を行わなければ侵されることはなかったのです。

ネットワーク社会では、この敷居が下がり、暴くと言う積極的な行為がなくとも個人のプライバシーを露呈することが可能になりました。現実の社会での、プライバシーを侵されないという受動的な姿勢から、プライバシーを守ると言う積極的な姿勢がネットワーク社会では要求されるのです

つまり、プライバシーは誰かが守ってくれるなんてものではなく、積極的に守るという行動が必要になってくるという。インターネット社会では、誰もが発言する権利を持つと同時に、誰もが覗かれる可能性もあるという社会なのである。

グーグルが悪に変わるとき

ストリート・ビューの話題で、ひとつの短編小説を思い出した。それは、「グーグルがCIAになったら」で紹介した、「グーグルが悪に変わるとき」という小説だ。作者は、コリイ・ドクトロウだという。その小説にこんな箇所がある。
大局的には、街中にウェブカメラをはりめぐらせるのはグーグルにとって大した出費ではなかった。人々の座った場所に応じて広告を提供する能力と比べるならばなおさらだ。すべてのアクセスポイントにカメラがあることが公にされたとき、グレッグは、さほど興味をひかれなかった——ブログ界はまるまる1日にわたって騒然となり、あちこちの売春婦の巡回エリアにズームするなどのお祭り騒ぎだったが、ほどなく興奮はさめていた。
 これなどは、ストリート・ビューで変な写真を探す「Google Maps Street Viewで発見されたヘンなものいろいろ」を思い出す。ともかく今度は、「グーグル、人工衛星「GeoEye-1」の画像を購入へ--「Google Maps」が高解像度化」なのだそうである。
 「人工衛星GeoEye-1は、民間利用できる中では最高の解像度を持つカラー地上画像を撮影し、きわめて正確な地理情報が付加された非常に高品質の画像を作成できる」と、Googleの広報担当、Kate Hurowitz氏は説明した。同氏によれば、現在利用できる商用衛星画像の大半は60cmの解像度だという。さらに同氏は、「われわれの目標は、世界中のできるだけ多くの場所の高解像画像を表示することで、GeoEye-1はこの目標に向けた取り組みに役立つだろう」と語った。
こうして、私たちのプライバシーは、上から横から覗かれていくのである。
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