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ホームサーバ化とマスメディア消滅(ホームサーバの戦い・第45章)

テレビとインターネット、そして総合雑誌はなぜ消えたのか

 最近のテレビは、インターネットとつながっているものが多い。もともとは、パソコンのために引いたものをテレビで様々なコンテンツを楽しむために使われている。ここで注目していただきたいのは、インターネットやパソコンは、リビングのテレビとまったく違うものだということだ。パソコンをリビングに置く人よりも、書斎や個人部屋においている人が多いのではないだろうか。一方、リビングは家族が集まる共有スペースだ。パソコンがパーソナルの象徴であるのに対し、リビングのテレビはマス(大衆)の象徴である。

 当然ながら、テレビで放送されるのは、ワイドショーのようないわば「総合番組」であり、個人の趣味に合わせた「専門番組」は数少ない。新聞も同様である。新聞は、いろんな世代に気を使った総合雑誌なのだ。ところがインターネットが普及すると、その世界の広さと内容の深さに引き込まれる。どうしても、総合雑誌のような内容では、視聴者の興味を引くことはできない。よく、総合雑誌が廃刊になるとき、読者の趣味の多様化に対応できなかったというが、これもインターネットのおかげである。

 そして、総合雑誌に自分の読みたい記事のために、金を払うのは馬鹿らしくなってくる。新聞も同様である。なぜ4000円も払って、テレビの新聞読み番組と同じものを手に入れなくてはならないのか。つまり、視聴者は、ニュースに金を払っているのではなく、新聞紙に金を払ってきたのだ。インターネットは、新聞よりもっと早く、もっと深くニュースを手に入れられるのに。

世界的不況がホームサーバ化を加速する

 僕は、「ホームサーバの戦い」で、主に「映画配信」に着目して書いてきた。しかし、電子書籍も扱うとなると、メディア全体も視点に入れなくてはならないだろう。とりあえず、日本では書籍のスキャンが一時止められているため、電子ブックリーダーは普及しないかもしれない。だが、欧米では、むしろ新聞や雑誌メディアが積極的に参入するのではないだろうか。なぜなら、不況で新聞を刷るより、電子ブックならば、安くつくからである。しかも、ノートパソコンや自宅のデスクトップでは、持ち歩きが不便である。電子ブックでダウンロードしてくれれば、大変ありがたい。

 コンテンツが電子化するということは、テレビのコンテンツも売れるということだ。かつて、放送と通信の融合はありえないといっていた放送局も、積極的にオンデマンドを売り込んでいる。過去の資産は、再放送してもそれほど広告がつかない。有名な番組ならDVD化することもできたが、それでも売れ残りは負債になる。オンデマンドはDVD化するための資金が要らない。不況でスポンサーが、広告費を渋っている世の中、放送局としては、背に腹を代えられないのだ。

世の中はどんどんパーソナルになる

 インターネットは、パーソナルの象徴である。ニュースも、自分の関心のあるニュースしか興味がない。ゲームが売られれば、一斉に攻略サイトがアクセスを伸ばすのが当たり前の世の中だ。テレビで、芸能人のニュースが流れると、たちまち、芸能人のブログが検索される。そうなると、巨大なインフラを抱えた巨大メディアは太刀打ちできない。芸能記者たちは、いつもインターネットの噂を見張らなければならないことになりかねない。それで、芸能誌が売れるとしたら、インターネットに無縁な読者だけだ。

 やがてマスメディアは、自分たちの輪転機などの巨大なインフラが重たくなる。だが、それを下ろすことは今までのブランドを引き摺り下ろすことだ。どんどん、範囲は狭く、深くなるだろう。そうなると、メディアが取り組む範囲を越えている。当然ながら、読者も少ない。もちろん、ニュースの書き手は必要だ。その世界で一番の物知りに頼むことになるだろう。それは、どこかのブロガーであるかもしれない。
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