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素人だから言えることもある

福島漂流と日本沈没(悲しみが希望に変わるとき・3)

このエントリーは、「大切な人を亡くすということ」、その続編「悲しみが希望に変わるとき」「誰もが大切な人に (悲しみが希望に変わるとき・2) 」の福島編である。

震災後2年の中折れ現象

今日、東日本大震災から2年目の3月11日である。しかし、なかなか復興のイメージが湧いてこない。それはなぜか。原発問題を抱えているゆえに、過去の震災と比較することができないからだ。だが、それが特殊だからと言って言い訳にしてもしょうがない。そこで、福島の現状からどうすれば希望を持てるか、それを探ってみよう。3月7日に放送されたクローズアップ現代「被災地1000人の声~震災2年アンケート~」で、兵庫県立大学准教授の木村玲欧氏がこんなことを言っている

木村さん: 「中折れ現象」というふうにいいまして、非常に頑張ってこられたわけですけれども、2年たって大体、頑張りもなかなか続かなくなってしまう。
こういう中折れ現象というのがありますと、意欲が低下してしまったり、コミュニケーションがあまりうまくいかなくなってしまう。
今回の調査でも、家族との会話の量が減ったですとか、大切なことを話せなくなった。
これは1人暮らしの方も、大家族の方も、仮設の方も、普通の自宅の方も違いはなく、大きなそういう傾向があったんですね。
やはり非常に難しい立場にあるんだというふうに思います。(被災地1000人の声~震災2年アンケート~)

2年たてば、希望が見えてくるものだが、先が見えてこない。それではどこまでがんばったらよいかわからない。地域の人と別れ、家族と別れ、級友と別れるにしたがって孤立感が深まっていく。それがアンケートの『戻りたいけど戻れない』という答えに表れている。まさに福島漂流とでも言えるのではないだろうか。

地域に残る者と地域から出て行く者が現れる話で思い出したのが、小松左京の小説「日本沈没」である。

日本沈没は日本漂流だった

小松左京氏は、「日本沈没 第二部」のあとがきでこう書いている。

そもそも昭和48年(1973年)に出版された『日本沈没』第一部を書きはじめたのは、昭和39年(1964年)、東京オリンピックの年だった。悲惨な敗戦から20年もたっていないのに、高度成長で浮かれていた日本に対して、このままでいいのか、ついこの間まで、「本土決戦」「一億玉砕」で国土も失いみんな死ぬ覚悟をしていた日本人が、戦争がなかったかのように、「世界の日本」として通用するのか、という思いが強かった。そこで、「国」を失ったかもしれない日本人を、「フィクション」の中でそのような危機にもう一度直面させてみよう。そして、日本人とは何か、日本とはどんな国なのかを、じっくりと考えてみよう、という思いで、『日本沈没』を書きはじめたのである。
(中略)
したがって、国を失った日本人が難民として世界中に漂流していくことが主題だったので、当初はタイトルも「日本漂流」とつけていた。しかし、日本を沈没させるまでに9年間もかかり、出版社がこれ以上待てない、ということで、「沈没」で終わってしまった。そして、「第一部 完」としたのである。(小松左京・谷甲州著「日本沈没 第二部」小学館・あとがきより)(追悼・小松左京(現実がひっくり返る年・5 )

小説の中で渡老人はこう言っている。

「いわばこれは、日本民族が、否応なしにおとなにならなければならないチャンスかもしれん……。これからはな……帰る家を失った日本民族が、世界の中で、ほかの長年苦労した、海千山千の、あるいは蒙昧で何もわからん民族と立ちあって……外の世界に呑み込まれてしまい、日本民族というものは、実質的になくなってしまうか……それもええと思うよ。……それとも……未来へかけて、本当に、新しい意味での、明日の世界の“おとな民族”に大きく育っていけるか……日本民族の血と、言葉や風俗や習慣はのこっており、また、どこかに小さな“国”ぐらいつくるじゃろうが……辛酸にうちのめされて、過去の栄光にしがみついたり、失われたものに対する郷愁におぼれたり、わが身の不運を嘆いたり、世界の“冷たさ”に対する愚癡や呪詛ばかり次の世代に残す、つまらん民族になりさがるか……これからが賭けじゃな……。」(小松左京著「日本沈没・下」光文社文庫

小説「日本沈没」では、第二部で、国土を失った日本を浮島として立て直す派と、海外に移住する派に分かれる。

一つは、日本人には国土という集約されたよりどころが必要だとする中田首相の国家主義(ナショナリズム)。渡老人が言う「小さな“国”」とは、メガフロート(人工浮島)計画として実現されようとすることを暗示している。メガフロートでは500万人規模の日本人を沈没した日本列島の上に築こうというものである。たしかに、国土を失った日本人にとって新たな国土は希望の土地となるかもしれない。だが、しょせん、7000万人の難民に対して500万人では、結局混乱のもとになりかねない。
 もう一つは各地に分散した今こそ、それぞれの場所で日本人の本来持っている経験則から国家や土地に縛られない生き方を模索する世界市民主義(コスモポリタニズム)を主張する鳥飼外相。(ケータイホームレス・さまよえる日本人論(3) )

僕は、そのエントリーで、こう書いている。

 「ホーム」を作るには二種類の考え方がある。(この場合、家族と言う「ホーム」ではなくて、所属する会社や国という大きなイメージだが)既存の大きな「ホーム」に所属するのか、自分が「ホーム」の核になるのか。世界中に散らばった日本人が、再びかつての日本の海上に浮島を作る。これは確かに壮大な計画だが、結局、また同じように従順な日本人が集まってくるに過ぎないだろう。それよりも、一人ひとりが世界各地に「ホーム」を作ることこそ、大切なのではないか。
  大企業に属することも、ブランドや外見にこだわっている点で、国家や土地に縛られている中田首相の考え方と同じである。多くの「愛国心」が陥っているのは、「誇り」とは取り戻すことだと思っていることだ。過去の栄光に依存し、過去のよい面だけを見て、悪い面だけは見なかったことにする。はたして、それで「ホーム」を築くことができるのか。むしろ、過去の「誇り」は捨て去り、新たな 「誇り」を自ら作り出す必要があるのではないか。(ケータイホームレス・さまよえる日本人論(3) )

クローズアップ現代でも、木村氏がこう結論付けている。

やはり発想の転換というのが大切だと思います
1つは10年という長いスパンで、阪神・淡路も復興が続いたんですね。
まず住まいが戻り、地域が戻り、経済が戻り、そして最後に生活が戻っていく。
毎日毎日、もちろん目先のことで非常に大変な毎日なんですけれども、10年という、ちょっと引いて考えたときに、自分の人生をどんなふうにして立て直していけばいいだろうか。
その10年の中で考えると、毎日の苦しみの中で、少し戻ってくるんじゃないかと思います。
もう1つは、今回の田中さんのように頑張って地域でけん引されている方もそうなんですけれども、ああいう商圏みたいなものを、例えばインターネットみたいな形で、今後いろんな支援の方が増えてきますので、住まいだけじゃない、そういう地域とか経済の支援の方を上手に使って、戻ったそこの土地でもいいので、新しいお客さんや顧客層を達成しながら、なんとか生活を、日常生活を取り戻していってほしいと思っています。
新しいつながりが大切だと思います。(被災地1000人の声~震災2年アンケート~)

希望は人のつながり

希望学」の存在を知ったのは、2009年9月14日のクローズアップ現代である。そのことについては、「イチローと『希望学』」で書いた。改めて読み返すと、玄田教授のこんな言葉が目を引いた。

玄田教授は、「幸福は持続することが求められるのに対し、希望は変革のために求められる」の例をこんなエピソードで語った。「ある会社で何人雇っても、すぐ辞めてしまう」その理由は、2つある。ひとつは、「いくら仕事をしても仕事が終わらない。先が見えないから辞める」、もうひとつは、「この調子じゃ先が見えてるから辞める」というものだ。先が見えていても、見えていなくても辞めてしまう。どちらにしても、現状のままだと変革されない。変革することで、ようやく見えてくるものが「希望」なのだという。漫然と待っているだけでは、「希望」は現れない。「具体的な何かを行動によって実現しようとする願望」があって、初めて「希望」が生まれる。(イチローと「希望学」)

これなどは、いくら頑張っても復興できない福島の現状に重なっていないか。誰かが変革してくれるのを待っている間は希望が生まれない事を示している。自分たちが行動している中からしか希望は生まれないのだ。そして、「希望」のある人については、

 希望があると語る人には、自分には友達が多いという認識を強く持っている場合が多い。友達が少ないと答えた人に比べると、友達が多いと答える人は、希望があると答える確率がおよそ3割高くなっていた。友人という自分にとっての身近な社会の存在が、希望の自負に影響をしている。友達が少ないと自己認識している人は、希望も持ちにくいのだ。
 友達の存在はどのようなプロセスで希望に影響を与えるのだろうか。その詳細な道すじは、今のところ、まだわからない。ただ、友達という自分にとっての他者の存在が、希望を発見するための重要な情報源になっている可能性は高い。なかでも社会学者のグラノヴェクーが「ウィークタイズ」と表現したような自分と違う世界に生き、自分と違う価値観や経験を持っている友だちからは、自分の頭で考えるだけで得られなかった様々な多くの情報が得られたりするものだ(『転職』1998年)。友人・知人と希望の関係は、希望学のなかでこれから深く追求していきたいテーマだ。
 もう一つの希望に大きな影響を与える背景は、家族の記憶だ。子どもの頃、自分は家族から期待されていたという記憶がある人ほど、希望を持って生きている人が多くなっていた。親や家族からの進学や就職への期待がプレッシャーとなって、将来に思い悩み、希望を失ってしまうといった事例も多いのではないかといわれたりもする。しかし、データが語る事実は、逆だ。むしろ家族から期待されたという過去の記憶を持っていない人は、未来への希望も見出しにくい状況が起こっている。
(玄田有史編著「希望学」中公新書ラクレ) (家族の期待は、子供の人生を変える)

友達、家族などの人間関係が「希望」に大きな影響を与えていることがうかがわれる。したがって、今回の震災で離ればなれになることで、希望を失うのは理解できることだ。だが、先ほど書いたように、

既存の大きな「ホーム」に所属するのか、自分が「ホーム」の核になるのか。(ケータイホームレス・さまよえる日本人論(3) )

によって十分復興が可能なのではないだろうか。

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