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素人だから言えることもある

日本のカラクリ魂

  昨日(2/10)、何度目かの再放送、「NHKスペシャル〜万年時計の謎に挑む 江戸時代の天才vs現代の技術者」が放送された。愛知県で開かれた愛・地球博に江戸時代の発明家からくり儀右衛門こと田中久重が発明した万年時計の仕組みを分解し、複製を作るプロジェクト(万年時計復活プロジェクト)を描いたものである。(ニコニコ動画

  田中久重は、東芝の前身(東芝は東京電気と芝浦製作所が合併したもの)、芝浦製作所(1893年に田中製作所を改名)の創業者である。
  田中久重ものがたりによれば、82歳で亡くなるまでに、

開かずの硯箱(1807)弓曳童子・童子盃台(いずれもカラクリ人形)(1820)懐中燭台(1834)無尽灯(1837)須弥山儀(1850)万年時計〔万年自鳴鐘〕(1851)蒸気船〔スクリュー式〕の雛形(1852)蒸気車・蒸気船〔外輪式〕の雛形(1855)アームストロング砲(1863)無鍵の錠(1871)電話機〔試作〕(1878)、年代はわからないが他に製氷機、ネジ切りゲージ、自転車、精米機、写真機、昇水機、改良かまど、旋盤楕円削り機、煙草切機、醤油搾取機械、種油搾取機、報時機
など数限りがない。

  特に、番組で紹介された万年時計はロンドンで初の万国博が開かれた1851年に合わせたものであるという(日本が参加するのは1867年のパリ博から)。まるで、日本のエジソンと思われそうだが、実は日本のエジソンと呼ばれる人間がいる。それは、東芝のもう一つの前身、東京電気(1899年に東京白熱電燈を改名)の創業者、藤岡市助である。市助は、

アーク灯(1878)白熱電球・路面電車・電動エレベーター・発電機(1890)水力発電所・火力発電所(1895)(日本のエジソン電気の父藤岡市助
  田中久重が、機械的なカラクリに重きを置いてるのに対し、藤岡市助は電気に強い。彼が日本のエジソンと呼ばれるのも、27歳のとき(1884)に本物のエジソンと会っている。なお、現在の東京芝浦電気に合併したのは1939年(1984年に株式会社東芝に改名)である。
  番組で田中久重の言葉が紹介されていた。
知識は失敗より学ぶ 事を成就するには 志があり 忍耐があり 勇気があり 失敗があり その後に 成就があるのである
  確かに文明は発達し、精度は向上した。しかし、アイデアは一回りも二回りも落ちているのではないか。現代の100人の技術者よりもたった一人の江戸時代の天才に振り回されている。この発想力の差に愕然とするしかない。
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