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素人だから言えることもある

「踊る大捜査線」の作り方

踊る大捜査線」はリアル警察物

 映画「踊る大捜査線 THE MOVIE 3 ヤツラを解放せよ! 」を見てきた。映画としては3作目。主人公の青島俊作はヒラから係長に進級した。パンフレットで織田裕二氏にこんなインタビューをしている。
―――今回は青島が係長に昇進していてビックリしました

それは僕もです(笑)。“え? 青島って出世を望むヤツだったの?”って。ノンキャリアだし出世するといってもたかが知れているのにと。で、これは君塚さんに聞いた答えではないんですが、僕流の解釈では、昇進したのは趣味のものを買うお金が欲しかったからではないのかと(笑)。(踊る大捜査線 THE MOVIE 3 ヤツラを解放せよ!パンフレット)

 もちろん、この理由は織田氏の冗談だが、脚本の君塚良一氏はこう答えている。
初期の頃に、『踊る』は寅さんなのか、島耕作なのかって話をしたんです。寅さんなら青島はずっとヒラでいいし、全員が部署を異動する必要はない。だけど島耕作はリアルな時間軸で出世する。だからリアル警察物、つまり島耕作タイプで行くと決めた以上は青島は係長に出世しなきゃならなかった。でも彼は性格的には変わらないんです。階級は変わっても。リアルな配置変えをしているだけでキャラクターの変更はないんですよ。(踊る大捜査線 THE MOVIE 3 ヤツラを解放せよ!パンフレット)
 リアルな警察物の発想はどこからきたか。「踊る大捜査線」の始まりから調べてみた。

踊る大捜査線」のネーミングの秘密

 「踊る大捜査線」のネーミングについて、いかりや長介氏の「だめだこりゃ」(いかりや長介著/新潮文庫)でこんな文章が出てくる。
 この企画そのものの生みの親は亀山千広というプロデューサーで、足繁く現場に顔を出して、やわらかい空気を作ってくる。
 最初、亀さんが持ちかけてきたとき、私は思わず、
「なんだよ、その“踊る”、“大捜査線”ってのは」
 と聞き返した。凡そ刑事もののタイトルとは思えないからだ。すると亀さんは、
「映画でさ『夜の大捜査線』ってのがあったよな」
「あった。シドニー・ポワチエの出てたヤツだ」
 と私が答えると、亀さんは続けて尋ねた。
「それでさ、『踊る大ニューヨーク』って映画もあったよな」
「ああ、ジーン・ケリーの映画だ」
「それを合わせたんだよ。景気よくていいじゃない。妙に長いところがいいだろう
?」
 うーん。この感覚が成功の大要因と私はみている。(いかりや長介著「だめだこりゃ」新潮文庫)
 この亀山プロデューサーと脚本家の君塚良一氏の話が「テレビ大捜査線」(君塚良一著/講談社)に載っていた。
 このKプロデューサーは、ドラマのヒットメーカーとしてテレビ界では有名だが、マーケティングから論理的にドラマの企画を立てていくタイプの人間ではない。まず、自分がそのときやりたいもの、観たいものを直感的に選択し、そのひらめきを優先して企画を立てるタイプだ。何だって、
「夏はやっぱり海だろう!」
 の一言で、それがそのまま企画意図となり、『ビーチボーイズ』というドラマをヒットさせてしまう男なのだ。その彼が今度は刑事ものをやりたいと言い出したのである。
 会議はしばし、みんなが好きだった刑事ドラマの話で盛り上がる。
 Kプロデューサーは、映画『夜の大捜査線』が好きだという。アメリカ南部の保守的な街で起きた殺人事件を捜査する叩きあげの白人刑事とエリート黒人刑事の対立と和解。この作品の、男と男がぶつかるヒート感がたまらないのだと言う。
 わたしはと言えば、やはり世代的にはテレビ映画『太陽にほえろ!』である。毎週目が離せなかったのは、刑事ドラマでありながら、青春ドラマでもあったからだ。何より、当時としては映像も音楽もポップだった。
「刑事ものって、男の脚本家なら、一度は挑戦したいですよねえ」
 と、わたし。
 乗ってきたと見えたプロデューサーは、ここでさらに私の心をくすぐる。
今までに観たこともないような、まったく新しい刑事ドラマを作りましょうよ
 わたしはドキッとし、胸が高鳴る。
 何かわたしをくすぐったかといえば、「新しい」という部分だ。わたしは、「新しい」という言葉に弱い。それには理由がある。(君塚良一著「テレビ大捜査線」講談社)

君塚良一萩本欽一

 さて、君塚良一氏といえば、萩本欽一パジャマ党出身である。パジャマ党の中にもサラダ党と言うのがあり、君塚氏はサラダ党に属していた。
パジャマ党は、萩本欽一の番組に関わる構成作家集団で、「欽ドン!」などのヒットにも貢献したブレーンでもある。構成員のうち、鶴間・大倉・益子・君塚の4名は「サラダ党」と称していたこともある。萩本自身も「秋 房子(あき ふさし)」の筆名で番組構成にも関わっていた。(萩本欽一-Wikipedia)
 君塚氏と萩本氏との出会いを彼のWikipediaにはこう書かれている。
学生時代は映画界を志していたが、東宝撮影所でのアルバイト経験で、次第に映画への興味を失う。当時倉本聰などのシナリオライターが脚光を浴びているのを見て、テレビドラマの世界に関心を抱くようになった。大学の指導教官の紹介で、大学卒業後は萩本欽一に弟子入り(これは、萩本が教授に成績が1位と2位の学生を紹介してくれと頼んでいたらしい。ちなみに萩本いわく「君塚は2番目のほう」)し、萩本お抱えの放送作家集団であるサラダ党に在籍して『週刊欽曜日』『欽ちゃんのどこまでやるの!?』や初期の『ごきげんよう』などバラエティ番組に携わる。当初シリアスなドラマ脚本を志向していた君塚は、バラエティ番組の台本を手がけることに消極的だったが、萩本に「ドラマを書くためには、いろいろなことを経験しておけ」と言われたという。現在の仕事は脚本がメインであるが、現在でも『欽ちゃんの仮装大賞』に構成作家として参加しており、完全に放送作家の仕事からは身を引いた訳ではない。(君塚良一-Wikipedia)
 さて、どうして日芸の大学教授はなぜ、君塚氏に萩本欽一氏を紹介したか。それについては、「テレビ大捜査線」(君塚良一著/講談社)でこう書かれている。
 今思えば失礼なことだが、わたしは少し首をかしげて教授の研究室をあとにしていた。わたしはドラマを作りたいのだ。お笑いじゃない。正直、お笑いをドラマの下ととらえていた。ばりばりの映画青年だから仕方ない。
 数日後、わたしは、何でぼくがお笑いの人のところなんかにと思いつつ、欽ちゃんのもとを訪ねた。

 世田谷の住宅街の中に、萩本氏の事務所兼合宿所があった。ここで彼は、一緒に番組を作る構成作家集団パジャマ党の面々と週末以外は泊り込みながら仕事をしていた。ここにいるときは、みなパジャマ姿でリラックスしている。だから、パジャマ党と呼ばれている。
 萩本氏がやはりパジャマ姿で広い応接室に現れた。わたしは目の前の大スターに緊張しながら、いくつかの質問を受けたあと、
「ぼくはドラマを書きたいんです」
 と正直に気持ちを伝えた。この事務所は、バラエティ番組を作っているシンクタンクだ。ドラマではない。ここでは私のやりたいことができないと言ったようなものだ。わたしは、いやなことを言ったなと自己嫌悪におちいった。追い出されるだろうな。仕方ない。明日、一番で教授のところへ謝りにいこう。
 すると、ジッとわたしの目を見ていた萩本氏は、
うちは、お笑いとかドラマとかじゃなく、テレビを作ってるんだよ
 静かな目をして、そう言った。
 意味が判らなかった。テレビを作る?
テレビっていうのは、ジャンルでものを作っていないの。テレビはテレビなの。だってそうでしょ。野球中継だって、ニュースだってテレビは流すんだよ。そういう全部ひっくるめたものをテレビと言います
 まだ意味が判らなかった。テレビ?
「ドラマをやりたいのは判った。でも、その前にテレビのことを少し知っときなさい。うちにいれば判るから」
「……はあ……」
 と曖昧にうなずくわたし。
そのうちさ、ドラマだお笑いだなんて分けることなんかなくなっちゃうよ。ドラマと笑いがくっついた番組がいっぱいできるような時代が来るから
 預言のような言葉。
それにさ、道は一本じゃないでしょ。山登りするとき、きみは麓から真っ直ぐの道を登って頂上をめざすの? それもいいけど、どうせ頂上に行くんなら、一本道を真っ直ぐじゃなく、くねくねと回り道しながら遠回りに歩いた方がいいんじゃないの? いろんな物を見ながらさ
 哲学のような言葉。
「ここで寝泊りしたかったら、してもいいから。すぐに仕事なんかないから、先輩たちのあとにくっついて、あとは遊んでいればいい。きみの好きなようにしなさい」

(中略)

 そして、その中で、テレビのさまざまなことを学んだ。
 どんな番組でも、野球中継と戦わなければいけないこと。
 視聴者は移り気であること。
 バラエティ番組だろうが何だろうが、どんなテレビ番組でも、自分の伝えたいメッセージを入れることかできること。
 作り手のセンスが番組にもろに出てしまうこと。
 テレビでやっていけないというさまざまな制約は、逆に創作のエネルギーになること。
 笑いは、温かいということ。
 テレビには、可能性がいっぱい潜んでいること。(君塚良一著「テレビ大捜査線」講談社)

プロデューサーに振り回される「踊る大捜査線

 さて、話を「踊る大捜査線」に戻す。君塚氏は、亀山プロデューサーの「新しい刑事ドラマ」と言う言葉に心をくすぐられた。
 わたしの師匠は、萩本欽一である。彼はコメディアンとして、また放送作家として、『欽ドン! 良い子悪い子普通の子』『欽ちゃんのどこまでやるの!?』『週刊欽曜日』など、大ヒットしたテレビバラエティ番組を作ってきた。
 彼の口癖が、「つねに冒険せよ、つねに実験せよ」なのである。
 テレビは始まってまだ五十年にすぎない、と彼は言う。
「もしも五百年後、テレビの歴史という本が出たとき、今はまだ第一章の創成期の項だろう? 創成期に立ちあえた幸運をみすみす逃す手はない。テレビにおいては、シェークスピアが確立したドラマツルギーのようなものさえまだできちゃいないんだ。だから、テレビは何をやってもいいんだ。まだやっていないスキ間はいっぱいある。何でも試してみるべきだ。テレビってやつは実験しなきゃ、もったいないよ」
 こうして彼は数々の実験的なテレビ番組を作ってきた。実験作だから観客に受け入れられなかった番組もあるが、まったく新しいタイプのヒット番組を数多く作った。視聴者からもらったハガキでコントをやったり、一般人をテレビカメラの前に引きずり出してハプニングの笑いを作ったり、音楽バンドを作って、彼らが成長していく様をドキュメントで見せたりもした。
 師匠から何度も言われ、頭に刷り込まれてしまったのが、「実験と冒険」という二つの言葉だった。
 新しい刑事ドラマを作りましょうというプロデューサーの提案に共鳴したわたしは、どこにあるか判らないそのドラマを探して、冒険の旅に出た。(君塚良一著「テレビ大捜査線」講談社)
 思えば、「欽ちゃんは悪くない」で触れた実験番組の数々は、素人をテレビに参加させることは面白いということであった。いつの間にか君塚氏が言う「実験と冒険」が「発明と発見」に変わってしまったけど。

 さて、君塚氏は、『太陽にほえろ!』こそ実験作だと気がついた。

 それまでの刑事ドラマは、『七人の刑事』に代表されるように、事件の要因は社会であった。貧困や差別。『太陽にほえろ!』はそれとは一線を引いて、事件に対して刑事がどう感じ、どう悩むのかを描いた。
『太陽にほえろ!』のヒットによって、それ以降の刑事ドラマがこのスタイルを踏襲し、いつの間にか刑事もののスタンダードになっていたのだった。(君塚良一著「テレビ大捜査線」講談社)
 プロデューサーは、こう答えた。
「なら、それ全部、禁じ手にしちゃいましょう!」
 プロデューサーから脚本家に対する挑発である。刑事にニックネームは付けない。音楽に乗せての聞き込みシーンを作らない。刑事と犯人の心情をリンクさせない。禁じ手を作って、そこに逃げ込まずに新しい事を考えましょうと言うのである。
 余計なことを分析して、余計なことを言ってしまった。わたしは、自分の首を絞めてしまった。
なら、リアルな刑事ものにするしかないですね」(君塚良一著「テレビ大捜査線」講談社)
 しかし、警察は簡単に取材に応じない。そこで、プロデューサーは、局内の事件記者をアシスタントプロデューサーに、警視庁記者クラブの記者をスタッフに加えることでよりリアルな刑事ものを作ることができるようになった。ところが、一回目の脚本を提出したとき、
 次のミーティングで、Kプロデューサーは開口一番、
「この脚本は、われわれがめざしているドラマに到達していません」
 と言い切った。
「どの辺がでしょうか?」
 怪訝な顔のわたし。
 すると、プロデューサーはこう言うのである。
主人公に、犯人を逮捕させないでください
「は!?」
今までの刑事ドラマは、どれも主人公の刑事が犯人を逮捕して終わるでしょ。なら、このドラマはそれも禁じ手にしましょう
 そこまで言うか。
「でも、一応刑事ドラマなんですから」
 と、わたしは少しふくれる。
「それだと、物語が成立しませんよ」
 プロデューサーは、会議室の窓外のレインボーブリッジを眺めながら、またいつもの邪気のない声で言い放った。
なら、新しい物語を作りゃいいじゃないですか!」
「!?」
 そんな簡単に言うなよ。(君塚良一著「テレビ大捜査線」講談社)
 しかし、このような制約があるからこそ、見えないところが見えてくる。
 すると、しだいに警察という組織全体が見えるようになってきた。組織の縦割りの二重構造が見えてきたのだ。本庁と所轄署。この二つが、まるで一般企業の本店と支店のような構造を持っていた。
 さらに、警察官には、キャリア組と言われる国家公務員のいわゆるエリートと、ノンキャリアの刑事たちが行う。調べていくと、捜査は所轄の刑事が進め、犯人逮捕の瞬間は、本庁の捜査員が手錠をかけることが判った。
「おいしいとこはみんな上がもっていって、わたしら現場の刑事はただの兵隊でした」
 と最初の取材で聞いた元刑事の言葉がやっと理解できた。
 組織論という見方をすれば、主人公が犯人を逮捕しない物語を作れる。
 こうして、本庁の捜査一課のエリート管理官が新たな登場人物となる。捜査するだけで逮捕できない所轄の主人公と、本庁の官僚候補との対立と友情という、このドラマの中心を貫くテーマができあがったのである。(君塚良一著「テレビ大捜査線」講談社)
ところが、このプロデューサの無理難題は続く。君塚氏は、一回目の視聴率が悪かった場合のために、恋愛の伏線を入れていた。
 第一話の放送のころ、わたしはすでに第五話の脚本を書いていた。第五話では、事件を描きながらも、青島刑事が、退院した雪乃のために新しいアパートを探してあげ、すみれ刑事とキャリアの室井が初めてデートする。そんなシーンを書いていた。(君塚良一著「テレビ大捜査線」講談社)
 第一話の視聴率が18%と発表され、プロデューサーは君塚氏にこんな事を言った。
「ぼくはね、『踊る大捜査線』だけをプロデュースしてるなんて思っちゃいません。全部のドラマをトータルで考えるのがテレビ局のプロデューサーの仕事ですから」
「……そうなんですか……」
 だから、つまり?
「恋愛ものは月九がやって、高視聴率を取ったんです。それはとってもいいことです。素晴らしい。ちょっと悔しいけど。でも、だからって、他のドラマで同じ恋愛ものをやっても、お互いの番組を食い合うことになっちゃう

(中略)

決めた! ラブラブなし!
「……!?」
 またまた突然の決定である。この人に真ん中はない。直感を信じて即決する。
「四話まで引っ張ってたラブラブの線はおしまい! もうやめ! ぜーんぶ、やめ!」
 と大声で言って高らかに笑った。それから、今度は小声で、
「ラブラブやろうって言ったの、ぼくでしたっけ?」
 と真剣な顔で聞いてきた。(君塚良一著「テレビ大捜査線」講談社)

映画化の第一作の製作発表の記者会見のときも
 Kプロデューサーはマイクを取るや、突然、そうまたも突然言い出すのである。
映画のテーマは、愛と死です!」
 報道陣の顔に興味が沸きあがった。それよりも早く、会見に同席していたわたしが驚いた。
 愛と死? いつ、そんな話をしたっけ?
 並んでいたスタッフや出演者たちも驚いた。そんなことは打ち合わせていない。初めて聞いたという顔を隠す余裕もない。
 織田裕二さんがびっくりした声をあげた。
「え!? ぼく、死んじゃうんですか!?」
 しかし、プロデューサーはひるむことなく続ける。今度は悲しげな顔を装った。
「……愛と死がテーマなんです……」


 会見が終わるや、控え室に戻ったスタッフと出演者たちがプロデューサーを犯罪者のように取り込む。
「さっき言ったのは、本当のことなんですか!?」
「本当に青島くんは殉職するの?」
「そうなの?」
「君塚さん、そうなんですか?」
 わたしは目をそらす。まさか、ぼくも聞いてませんなどとは言えない。
 すると、Kプロデューサーはこう答えた。
「まだ脚本はできてません」
「!?」と言葉を失う一同。
 思いつきでしゃべったことは、身内だけの秘密となった。
 翌日、スポーツ新聞に、「織田裕二 映画で殉職!?」の文字が躍った。それは、とても大きくセンセーショナルに。
 風が変わったのである。(君塚良一著「テレビ大捜査線」講談社)

 君塚氏は、この映画のラストシーンを何度も書いたという。結果は、最近、放送されたので見た方も多いと思う。彼らが戦った相手は、本庁のキャリアではなく、プロデューサーであったかもしれない。だが、そのような無理難題が降りかかったからこそ、どこもまねのできない傑作が生まれたのも事実である。


追記

ビジネス誠ブログ突破口を開く一日一言踊る大捜査線はなぜ成功したのか?(#105)で、この記事が引用されました。
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