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素人だから言えることもある

出来る人の周りは疲れる

アゴラで、石井孝明氏の「頑張らなければいけない」空気に、人が組織で取り囲まれる怖さ-渡辺美樹氏、木村剛氏を観察した私の経験からという記事を読んだ。ワタミの渡辺美樹氏や日本振興銀行元会長の木村剛氏の話である。渡辺社長についてこんなことが書いてあった。

渡辺氏は気配りが細かく、仕事の詳細な報告を求める。苦労する社員に渡辺氏は、正論で諭し、そして励ますそうだ。「頑張れ、君ならできる。俺だってやり遂げたんだ」と。これはきつい言葉だ。そして仮にこの言葉を言っているとしたら、渡辺氏に悪気がなさそうなのが、問題を複雑にする。働く人を追い込んでしまうだろう。

渡辺氏のような、仕事のできる「完璧人間」には、誰もがなれないだろう。辞職の理由をこの2人の退職者は口を濁していたが、おそらく完璧人間と一緒にいて疲弊したのだろう。しかも、相手が「正しい」ので、それを他人に言うと、弁解じみて聞こえるから黙ってしまったのだと思う。おそらく完璧な渡辺氏はこうした普通の人の苦しみを、理解できないのではないか。

このようなケースは、巷にはいっぱいあるに違いない。ソフトバンクの孫社長、ユニクロの柳井会長など、完璧すぎて周りの人間はとてもついていけず、かえって疲れてしまう。思えば、震災から1年、日本人は何を学び何を見失ったかで「我慢」と「頑張る」を取り上げたが、我々日本人は震災の被災者にこれらの言葉を投げかけたが、これもまた被災者の苦しみを本当に理解して投げかけたか。そもそも私たちは、このよく言う「我慢」と「頑張る」を投げかける価値のある完璧人間だったか。完璧人間が、普通の人の苦しみが分からないというなら、普通の人である我々は、被災者の苦しみもわからなかったのかもしれない。石井氏は後段でこういう。
一つ心配なことがある。最近の20代、しかも最良と思える人々と会うと「しなければならない」という言葉を頻繁に聞くようになったのだ。「人生は意義がなければならない」「良い仕事に就かなければならない」。「大企業に就職しなければならない」というのも就活の人に多いそうだ。日本社会に余裕がなくなっているのだろう。将来の不安に満ちる今、「何かに帰属した方がいい」という功利的な意識が強まり、それが同調圧力と合わさって、社会をさらに重苦しくさせているのだ。

理想を掲げ、人々が熱心に働く組織や会社、それを社員に訴える経営者がいてもいいと思う。しかし、それに同調しない人々がいてもいい、余裕のある社会、会社はできないだろうか。そして、もし苦しんでいる方がいれば言いたい。

「あなたは十分頑張っている。手を抜いていいのではないか」と。

この言葉は、若者に言っているのと同時に被災者とオーバーラップして見えるのは、僕の考えすぎたろうか。
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