トンネル事故が示す効率主義に潜むプロ意識の劣化
今回の笹子トンネル事故で思い出したことがある。かつての耐震偽装事件である。トンネルの天井なんて誰も関心を持たない。だから、こんな事故など起こることを予想していなかった。だが、この安全性を担うプロたちは、それを意識して常に点検しなくてはならない。僕は、ジェットコースター事故から見える安全の不確かさでこんな言葉を引用した。
建築主は「見える場所」には金をかけても、鉄筋という「見えにくい場所」には金をかけることを嫌った。そして購入者は「見える場所」のみを判断して「見えにくい場所」は見なかった。だが、乗客が「安全に命を守る」ことはあたりまえであるとして乗ったように、マンションが「地震から命を守る」のはあたりまえであるとして購入したはずである。しかし、いつの間にか「命を守る」ことが「見えにくい場所」に追いやられてしまったのだ。どこかで点検業務を軽んじている。そして、この点検こそプロの経験が必要なことを。また、流れるプールで事故が起こった時、それを監視していたのが非正規のアルバイトだった。今回の点検業務も担当した社員は、簡単だからと非正規社員に任務を任せた可能性もある。
私たちは、「命を守る」という根本常識を再び「見える場所」に引き上げなければならないのである。それしか、本来の安全な鉄道、安全なマンションに入ることはできないのである。 (ジェットコースター事故から見える安全の不確かさ)
長年、事故が起こらないと、見えない場所の管理はどんどんおろそかになってくる。特に不況になれば、その責任は、他の管理会社に任せたり、非正規社員に任せたりして、責任の所在が見えなくなる。点検の業務は、大変地味で長年の勘や経験が必要なのだが、それが他人任せになれば、その経験の承継ができなくなる。最近、書いている「素人発想」と「玄人実行」で言えば、この「玄人実行」を「素人実行」でごまかしていることになる。ジャーナリズムの「素人発想」と「玄人実行」でも、こう書いた。
例えば、「裏取り」という地道な調査、これは「玄人実行」と言えるのではないだろうか。「裏取り」は地道だが、生半可な素人では到底知りえないノウハウと長年の勘が必要だ。一方、スクープは、プロを驚かすよりも素人を驚かす方が衝撃的だ。しかも、プロを驚かすには専門的知識がいるが、素人を驚かすには専門的知識はいらない。つまり、そこに「素人発想」の本質がある。(ジャーナリズムの「素人発想」と「玄人実行」)このような見た目の派手さに関心が行き、勘の必要な地道な任務を嫌う傾向がある。また、戦場取材というもっとも過酷な取材が、フリージャーナリストに頼っていることを書いたジャーナリストの死とジャーナリズムの死でもこんな言葉を引用した。
大手メディアの戦争報道は、フリーランスの人達によって成り立っていたということ。また、フリーランスにならないと、現場には行けないということ。不況になればなるほど、危険な業務や勘の必要な業務は切り離される。いわばアウトソーシングが増え、それぞれの小さな下請け会社が生まれて大手の会社と契約する。これらの会社は消耗品であり、年功を重ねて本社を退職した人たちがこれらの下請け会社に雇われる。彼らは、決して本社に戻らないから、彼らの勘は承継されない。
大手メディアの支局員、特派員は、その近くまでは肉迫したとしても、最前線には行かせない、行かないということ。(からから亭日乗“フリージャーナリスト”の死に思う)