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「たけしの欽ちゃん評」(「新春TV放談2013」後半部分補足情報・5)

前項「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の謎(「新春TV放談2013」後半部分補足情報・4) において、浅草キッドとの対談集「濃厚民族」(スコラマガジン)から引用したが、ビートたけし氏が萩本欽一氏についてどう考えているかの対談があり、これもまた興味深い話があったので引用したい。

水道橋博士(以下博士) 続いて萩本欽一さんも対談に出ていただきました。僕らも浅草フランス座の後輩ということで、初めてお会いしたんですけど。殿との関係は?
ビートたけし(以下たけし) フランス座でいやあ、そりゃあ先輩後輩になるんだろうけど時代が違うよ。クロスしてないし、やっぱりコント55号はテレビで見たよ。出てきたときは面白くてしょうがなかったなあ。その後『欽ドン』でアイドルを使って、ハガキを読み出したところで嫌になったなぁ。毒がなくなったというか、55号をやっていたときは、坂上二郎さんをイジメまくってたのがかなり面白かったな。よく考えりゃあ萩本さんがテレビバラエティを金になる仕事っていうかステータスを上げたのは間違いないんだけど、芸事がテレビに迎合する形を作ってしまったって気がするなぁ。そのあとの漫才(ブーム)ってのは絶対、迎合しなかっただろ。てれびとは関係なく舞台をやったから。その代り萩本さんは長続きしたけど、漫才ブームは長続きしなかった。それはテレビに合せなかったからなんだけど。
玉袋筋太郎(以下玉袋) 殿がのし上がって行く時代に、萩本さんの全盛期に当たって、レギュラー番組の視聴率を足すと「視聴率100%」という時代があって、それを殿が「あんな視聴率取っちゃいけない」と批判していた時期がありましたけど。
たけし 誰にでも受けるようなものじゃしょうがないだろ。大衆ってのは一瞬にして「あいつダメだ」ってことになりかねない。庶民ってのはそういうもんだよ。さんざん持ち上げといて、後で引きずりおろすという。それはごく普通の人たち。それは普通の人たちの特権でもあるんだよ。その怖さを俺は良く知っているから。絶対、一部でいい。一部だったらしっぺ返しは少ないからね。5人で持ち上げてくれたら、落とすときも5人だけど、10万人に持ち上げられて、10万人に落とされたら死んでしまうぜ。
博士 萩本さんとは個人的にお会いしたことはあるんですか?
たけし いや、すれ違ったことはあっても挨拶はしなかったな。会釈する程度だよ。
博士 萩本さんって実は毒気もあるし、性格も強烈な人なんだけど、一時、「24時間テレビの欽ちゃん」というイメージが浸透してしまいましたね。
たけし お笑いは1番暴力的で1番残酷なんだから。そういう人たちが『愛は地球を救う』なんて言っちゃあいけないんだけどな。
玉袋 今年もまた山田花子が24時間マラソンに挑戦しますけど、そういう時代になっちゃったんですね。
たけし 走ってどうするんだって(笑)。アフリカのミルクも飲めないで死んでいく子供たち24時間撮った方がよっぽど感動するだろ。走った後に「やれば何でも出来るんだって思いました」出来るわけないだろ、バカヤロー。ただ走っただけじゃねぇか。走ることが出来ると思うならいいけど、一生懸命やれば何でもできると思いましたって。そういうマヌケな自信を付けさすのはよくない。
博士 萩本さんといえば下ネタ厳禁の「欽ちゃんファミリー」を作って、お茶の間に“デオドラント”された笑いを提供して、その一方で、殿が作った下ネタしかやらない「たけし軍団」っていうのは対照的なんですけど。
たけし 失礼なこというな(笑)。下ネタ以外にも、ネタあるよ。ただ、つまんないだけだけど(笑)。そういう芸事っていうのは意識じゃなくて、持っている生理だから。俺の生理はそっちだというだけで、もともと違う人なんだよ。お笑いに対する感覚が。下ネタが好きだけどやらないということはない。お笑いはいいと思ったことは何でも手を出すんだから。でも萩本さんは下ネタに興味がなかった。逆に俺は萩本さんの最後の方にやっていたネタには興味がなかった。世の中には受けてたけど、それだけだよ。
博士 でも、今回根っこの性格は「欽ちゃん」という感じの人ではないのだなと対談させてもらって感じました。すごく偏執狂的なところがあって、まあ芸人はそうじゃないと売れないとは思うんですが。
たけし 山田洋次さん(大阪府豊中市生まれ)が下町なわけねぇっていうのと同じだろ。要するに自分にないものに憧れたり客観的にみられるんで、そっちのほうが感づくというか、自分の本質的なことはやりたくないんだよ。だから、俺なんて下ネタとか、ガンバルマン的なことをさんざんやってきたから、本質的にはいい人かもわかんない(笑)。自分にないところを求めてるわけだから。
博士 根っこはいい人(笑)。
たけし 根っこは純朴ないい人かも。どうだ!(笑)。
玉袋 「浅草芸人」としての流れは汲んでるわけですよね。由利徹さん、渥美清さん、萩本欽一さんという。
たけし 「浅草芸人」っていうけど、偶然、その時代にそこにいた人たちを指すだけであって、「浅草の芸」なんてあるわけないんだから。本質的には全部、違う芸だよ。萩本さんも相変わらずやってたんだろうし、渥美さんは渥美さんなりの芸だと思うよ。 (浅草キッド著「濃厚民族」スコラマガジン)
ビートたけし氏にしても、萩本欽一氏にしても、「芸人」がテレビによって「タレント」というものに変質せざるを得ない点が興味深い。いわく、
高田 でも、司会の話を切り出したら、萩本さんが怒りだしたって聞きましたけど。
萩本 怒った、怒った。コメディアンに司会進行を頼むのは失礼だって怒ったの。
だって、司会やれなんて、お前はコメディアンとしての価値がないって言いに来たようなものじゃない。ちょうど僕はコント55号で頑張ってた頃だしさ。(高田文夫著「笑うふたり―語る名人、聞く達人 高田文夫対談集」中公文庫)
と言っていた萩本氏が、
極端な話、テレビに芸は要らない。芸はテレビで披露してはいけない。芸は舞台でやるものだという結論に達したの。
それで、ふっと気がついたら、僕はテレビで全く芸を見せなくなっていたんだよね。テレビで大人の芸をやったのは三回だけ。(高田文夫著「笑うふたり―語る名人、聞く達人 高田文夫対談集」中公文庫)
と考えを変えた。
萩本 その通り。テレビを見ている人は誰も僕のことを芸人だって思ってないわけだもん。
初めて園遊会というものに招かれたとき、僕のことは「芸人」じゃなくて「タレント」って書いてあったの。ああ、これが世間の認識なんだと、そのとき思ったわけ。(高田文夫著「笑うふたり―語る名人、聞く達人 高田文夫対談集」中公文庫)
と言ったり、ビートたけし氏が
たけし バブルの時だったから、芸人もバブル、社会もバブルだったから、テレビ局の予算もあったし、だからそれに対応できる番組がある程度出来たけど、今、それが一切ないじゃん。そしたら、演出家も作家もやりようがないよ。だからワイドショーのコメンテーターとかでみんな出てるじゃない。(浅草キッド著「濃厚民族」スコラマガジン)
芸人は芸人として登場することができず、タレントとして出ざるを得なくなった。そして、テレビはネタを見せる番組が減っていった。30分じっくり見せるより、1分で笑わせたり、コメンテーターとして気の利いた発言ができる人間が重宝とされる時代となった。
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