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素人だから言えることもある

クラウドとは記憶の銀行のことである

ウィリアム・ギブスンの小説に「記憶屋ジョニイ」というものがある。ビートたけしが出演した「JM」というものを覚えているかもしれない。あらすじは、

ジョニーは通常のネットワークに晒すことのできない機密情報を脳に埋め込まれた記憶装置に記録して運ぶ不正取引人である。彼は、通常は80ギガバイト、ダブラーを使用することで最大160ギガバイトの情報を運ぶことが出来る。ある日、彼は装置の安全許容値を超える情報を運ぶことになる。それは時間内に取り出さなければ彼の死を意味すると同時に、彼にとって想像を超える金銭的価値のある機密情報だった。そして期限内に情報を運ばなければならないと同時に、情報の持ち主である企業の殺し屋に追われる身となるのだった。(JM (映画)-Wikipedia)
人間は自分の頭に永久に記憶をためておけない。だから、自宅の本棚に本を並べたり、CDやDVDをコレクションしたりする。だが、それにも限界がある。これはパソコンとUSBにつながれた外部記憶装置の関係に似ている。人間も自分の頭脳の他に外部記憶装置を持つことを願ってきた。とりあえず、デジタルデータに変換できるもの、音楽や、映像、電子書籍などをパソコンに取り入れる。それでもいっぱいになれば、次はクラウドの出番である。

クラウドとは「雲」のことである。

「クラウド」(雲)は、ネットワーク(通常はインターネット)を表す。従来より「コンピュータシステムのイメージ図」ではネットワークを雲の図で表す場合が多く、それが由来と言われている。クラウドコンピューティング(英: cloud computing)とは、ネットワーク、特にインターネットをベースとしたコンピュータの利用形態である。従来のコンピュータ利用は、ユーザー(企業、個人など)がコンピュータのハードウェア、ソフトウェア、データなどを、自分自身で保有・管理していたのに対し、クラウドコンピューティングでは「ユーザーはインターネットの向こう側からサービスを受け、サービス利用料金を払う」形になる。(はてなキーワード-クラウドとは)
この仕組みは、銀行に似ている。デジタルデータを銀行に預けて、ユーザーはその手数料を払う仕組みである。なお、銀行には銀行強盗がつきものだから、それを狙ったクラウド強盗も存在する。ただ、銀行強盗の盗んだ金は、汎用性が高いが、クラウドで盗んだデジタルデータは、汎用性が限定される。

「雲」とは言ったもので、雲から先は見えないが、そこには膨大な空間が広がっていると我々は信じている。しかし、それは正しいのだろうか。僕は、星新一の小説「おーい、でてこーい」を思い出す。

ある日突然出来た深い底なしの穴に、生産することだけ考えていて、その後始末は誰も考えていなかった人間たちは、これ幸いとばかりに都会のゴミや工場の排水や放射性廃棄物など、物を生産することで発生した不用なものをどんどん捨てていく(公害、生態系の破壊、大量消費社会)。(星新一-Wikipedia)
この「おーい、でてこーい」という言葉、最初にその穴を見つけた若者が、その穴に向かって言った言葉だ。そして、若者は石を投げ込んだ。その穴は、いくら物を捨てても底なしで、いっぱいにならない。その結末は、
彼は頭の上で、
「おーい、でてこーい」
と叫ぶ声を聞いた。しかし、見上げた空にはなにもなかった。
青空がひろがっているだけだった。彼は、気のせいかな、と思った。
そして、もとの姿勢にもどった時、声のした方角から小さな石ころが彼をかすめて落ちていった。(おーい、でてこーい)
皮肉な見方だが、すべての人類のデジタルデータが、クラウド銀行に入れることができるかという疑問がぬぐいきれないのだ。

さて、クラウド銀行はそのうち、人間の記憶そのものをデジタルデータに変換する方法を思いつくかもしれない。僕は、グーグルライブラリーに目指して欲しい「brain library」でこんなことを書いている。

別に脳髄が陳列してあるわけではない。それは僕のひとつの夢だが、過去の著名人の脳の記憶を知りたいと思ったのだ。もちろん、それは不可能かもしれない。たとえば、天才ダ・ヴィンチの目にしたものとか、宮沢賢治が花巻で見た光景とか、学術的ではなく、彼らの人生を映像として体験したい、どう感じたかを感覚的に知りたいというライブラリー「頭脳図書館 brain library 」があれば、いつでもその時代に戻ることができるし、その感覚を共有することができる。

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