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素人だから言えることもある

あらゆる知識・アイデアはクロス・カップリングである

キュレーターと無用知識

2010年の流行語にノーベル化学賞を受賞したクロス・カップリング技術がある。本来、結びつかなかった有機化合物が、パラジウムを使って結びつけるというアイデアである。これは、アイデアの作り方と同じである。アイデアというものは、2つの違ったアイデアを組み合わせて作るからである。

そのことについて書かれた本にジェームス・W・ヤングの「アイデアのつくり方」」(阪急コミュニケーションズ)というものがある。僕は、1億総キュレーター時代にはセレンディピティが重要になるで引用している。ただ、このときは、本書は図書館に予約中で読むことはできず、Wikipediaを引用したのみである。

ようやく、今回手に入れたので、それを使って、知識について考えていく。さて、「無用知識と無用人生」で、僕はトフラーの言葉を引用して急速に知識が陳腐化し、高齢者の経験が役にたたない時代になったことについて考えた。そして、僕は、未来の高齢者の役割とは、

無用知識を処理するビジネスが出てくるだろう。物置に入って行って整理したり、いい知識を探し出したり、古い知識をリサイクルして新しいものに変えたりするようなビジネス(未来学者アルビン・トフラーが予測する今後の40年を左右する「40の変化」)
ではないかと書いた。

高齢者はどんどん無用化して、若者の役割ではないかと思う人がいるかもしれない。その無用知識からいい知識を選び出すには、比較すべき過去の知識を知っていることが重要なのである。僕は、佐々木氏の言う「キュレーター」も当然ながら過去の知識との比較が必要だと思う。佐々木氏は、

インターネットのキュレーターは膨大な数の情報の海から、あらかじめ設定したテーマに従って情報を収集し、それらの情報を選別する。そして選別した「これを読め!」という情報に対してコメントを加えるなどして何らかの意味づけを行い、それをブログやTwitterSNSなどのサービスを使って多くの人に共有してもらう。(キュレーション・ジャーナリズムとは何か)( リスクゼロ社会の幻想)
と書いている。膨大な情報の中から必要な情報を手に入れるには、経験と技術が必要である。そのためには、幅広い知識を持つ中高年に向いている。

世界を構成する二種類の人間

さて、このキュレーターに向いている人とはだれか。
「アイデアのつくり方」(ジェームス・W・ヤング著/今井茂雄訳/阪急コミュニケーションズ)では、イタリアの社会学者のパレートの言葉を紹介している。
パレートは、この世界の全人間は二つの主要なタイプに大別できると考えた。彼はこの本をフランス語で書いたのでこの二つのタイプをスペキュラトゥール及びランチェと名づけた。

この分類によるスペキュラトゥールとは英語の<投機的>というほどの意味の言葉である。つまり、ザ・スペキュラトゥールとは投機的タイプの人間ということになる。このタイプの顕著な特徴は、パレートによれば、新しい組み合わせの可能性に常に夢中になっているという点である。

(中略)

パレートはこの投機的タイプの人間の中に企業家、つまり財政や経営の計画に携わる人々ばかりでなく、あらゆる種類の発明や、パレートが<政治・外交的再構成>と名づけている活動に従事する人々をも含めている

端的にいえば、(たとえばわが国のルーズヴェルト大統領のように)もうこの辺で十分だとうち切ることができないで、どうすればまだこれを変革しうるかと思索するあらゆる分野の人々がすべてこのタイプに含まれているわけである。

パレートがもう一つのタイプを説明するのに使ったザ・ランチェという言葉は英語に訳すと株主(ストックホルダー)ということになる。どうも私にはストックホルダーよりはむしろ<鴨にされる人(バッグホルダー)>のように思えるのだが―――。この種の人々は、彼の説によると、型にはまった、着実にものごとをやる、想像力に乏しい、保守的な人間で、先にいった投機的な人々によって操られる側の人々である。 (ジェームス・W・ヤング著/今井茂雄訳「アイデアのつくり方」阪急コミュニケーションズ)

パレートのザ・スペキュラトゥールは「もうこの辺で十分だとうち切ることができないで、どうすればまだこれを変革しうるかと思索する」タイプであり、ザ・ランチェは「型にはまった、着実にものごとをやる、想像力に乏しい、保守的な」タイプである。言い換えれば、前者は「バカ者」であり、後者は「コリコウな人々」にあたる。「バカ者」とは、
「ばか者」は、いわゆるアイデアマンです。突拍子もないことを言い出すため周囲からは異端児扱いされることもありますが、実は心の底から誰よりも地元の将来を案じている。その地元愛から来るアイデアに耳を傾ければ、活性化に大いに効果的なものが多く、誰も気がつかなかった大胆な企画が生まれることもあります。(NBオンライン情報発信する自治体)
「コリコウな人々」とは、
このようなタイプは、細かいことによく気がつき、大きな失敗はしない。だが、大局に立つことは苦手だ。ほどほどに知能が高く、常識を守り、保守的だ。常識を打ち破る人間に対して、抵抗したり、足を引っ張る。官僚的、組織的ともいえる。また、目の前しか見えないので、自分の今の地位や生活を守ろうとする。「バカ」なら、先に不安を感じないが、「コリコウ」ゆえに、あらゆる情報から不安の種を見つけ出してくる。今、日本人の大半はこのタイプだ。(コリコウな人々)
画期的なアイデアを出す人間は、「バカ者」であり、キュレーターにも向いている。つまり、膨大な情報から読むべき情報を見つけるためには、「もうこの辺で十分だとうち切ることができないで、どうすればまだこれを変革しうるかと思索する」必要があるからである。

アイデアとセレンディピティ

僕のエントリーを批判して、他人の文章の引用ばかりだという。もちろん、その通りだ。そのことは否定しない。あらゆる知識は、過去からの知識の積み重ねであり、どれほど、自分独自の考察を加えても、それからは抜けられない。それなら、学んだ知識を引用の形に残しておいたほうがいいのではないかと思っている。

「アイデアのつくり方」では、アイデア作成の基礎となる原理として2つを挙げている。

そのうちの一つには(中略)アイデアとは既存の要素の新しい組合せ以外の何ものでもないということである。

(中略)

関連する第二の大切な原理というのは、既存の要素を新しい一つの組み合わせに導く才能は、事物の関連性をみつけ出す才能に依存するところが大きいということである。アイデアを作成する際に私たちの心の働き方が最も甚だしく異なるのはこの点であると思う。個々の事実がそれぞれ分離した知識の一片にすぎないという人もいる。そうかと思うと、一つの事実が一連の知識の鎖の中の一つの環であるという人もいる。この場合一つの事実は他の事実と関連性と類似性をもち、一つの事実というよりはむしろ事実の全シリーズに適用される総合原理からの一つの引例といった方がよさそうである。(ジェームス・W・ヤング著/今井茂雄訳「アイデアのつくり方」阪急コミュニケーションズ)

ひとつひとつの情報が単なる断片にすぎないか、全体の一部なのかという問題である。これは、それに関してのかなりの知識を要求する。難しいことは言わないで、一挙に結論を求める人は、試験問題で合格しても全く新しいアイデアを生むことはできない。重要ポイントは覚えられても、その重要ポイントは、他の誰もが思索尽くしているからである。もし、新たなアイデアを生みたかったら、その重要ポイント以外に目を向けなければならない。

「アイデアのつくり方」では5つの段階を踏むという。

第一 資料集め―――諸君の当面の課題のための資料と一般的知識の貯蔵をたえず豊富にすることから生れる資料と。

第二 諸君の心の中でこれらの資料に手を加えること。

第三 孵化段階。そこでは諸君は意識の外で何かが自分で組合せの仕事をやるのにまかせる。

第四 アイデアの実際上の誕生。<ユーレカ! 分かった! みつけた!>という段階。そして

第五 現実の有用性に合致させるために最終的にアイデアを具体化し、展開させる段階。(ジェームス・W・ヤング著/今井茂雄訳「アイデアのつくり方」阪急コミュニケーションズ)

第一段階。著者のヤングは、アイデアをカードに記入してファイルボックスを作ることと資料のスクラップブックをつくるべきだと推奨している。僕は、このブログエントリーで集めた資料を引用し、発表している。僕は、これによって索引は、googleによって代用される。また、ほとんどの資料は図書館から手に入るので、金はかからず、もう一度読みたいと思ったら、googleの索引を活用する。そうすれば、僕のブログエントリーはデータベースとなり、同時に巨大なスクラップブックでもある。当然、これらのエントリーには第二段階も含まれる。資料のどこを引用するか、どの順番で並べるか、手を加えることでエントリーとして成り立たせる。

そして第三段階。このときは、僕は放っておく。二三日たって、前に書いたエントリーを読み返し、また、全く違う資料を集めることで、過去のエントリーを別の方面から考えることができる。

第四段階はセレンディピティの時でもある。1億総キュレーター時代にはセレンディピティが重要になるの中で


さて、第4のステップです。ここがとくにセレンディピティと関係するところです。第3のステップまでの準備が十分になされ、しかも折に触れ問題を考えていると、ふとしたきっかけでアイデアが生まれてきます。普段であれば見逃してしまうような偶然が、気になったりします。常に問題を考えていると、そうした偶然が偶然ではなく、新しいアイデアや発見の糸口になるのです。まさに「幸運な思いつき」「偶然のひらめき」です。すなわちセレンディピティが現れる瞬間です。(宮永博史著「成功者の絶対法則セレンディピティ」祥伝社)
この偶然のひらめきが現れるときを「アイデアのつくり方」ではそれをこう表現している。
どこからもアイデアは現れてこない。
それは、諸君がその到来を最も期待していない時―――ひげを剃っている時とか風呂に入っている時、あるいはもっと多く、朝まだ目がすっかりさめきっていないうちに諸君を訪れてくる。それはまた真夜中に諸君の目を覚ますかもしれない。(ジェームス・W・ヤング著/今井茂雄訳「アイデアのつくり方」阪急コミュニケーションズ)
急速に知識が陳腐化する時代になってもアイデアの作り方は変わらない。それはなぜか。それは知識が何かではなく、アイデアを作る原理だからである。「アイデアのつくり方」ではこう書いている。
知っておくべき一番大切なことは、ある特定のアイデアをどこから探し出してくるかということでなく、すべてのアイデアが作り出される方法に心を訓練する仕方であり、すべてのアイデアの源泉にある原理を把握する方法なのである。(ジェームス・W・ヤング著/今井茂雄訳「アイデアのつくり方」阪急コミュニケーションズ)

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