夢幻∞大のドリーミングメディア

素人だから言えることもある

例えば雑誌のように

昨日、翼のミーティングが開かれた。そこで、オピニオンの確立ということがテーマになった。翼が単なるブログの集まりだったら、そこまでする必要はない。翼としての特色を持たせ、PVを稼ぐためには、ある方向性が必要になる。僕は、「例えば雑誌のような役割を持たせたらどうか」と提案した。

雑誌には、スクープ記事などの取材中心のものと、コラムや連載小説などの継続する読み物のようなものがある。一人一人のブロガーが、ライターとなってそれぞれ得意な分野を連載する。評判になれば、そのライターに読者が付く。一方、取材は、手間がかかる。マスコミが目をつけない分野の専門家を訪ね、取材し、記事にする。

僕はもう一つ、その月のエントリー作品からめぼしいエントリーを見つけて持ち回りで批評するというのを提案した。だが、やはり仲間内ではそれは無理というので却下された。完全に外部の者でなければ冷静に見ることはできないのかもしれない。

取材はともかく、得意な分野を連載するのも、実は結構難しいものだ。初めは、予定していても、ネタがつまったり、どこかの誰かがすでに書いている。所詮、素人の集まり、読者もそこまでは要求していまい。新しいネタでなくても、ブロガー独自の切り口があればいいのではないか。そこまで考えた時にふと気づいた。

実は、帰ってきたときに、ミッション・インポッシブル「ラビットフット」の謎のPVが急増して500を超えている。調べてみると、ミッション・インポッシブル3が、昨夜テレビで放送されていた。やはり、映画の中で正体のわからない「ラビットフット」について検索されたらしい。

同じように、「テレビと記憶」で書いたように、ドナルド・キーン氏の来日の報道が、検索を促した。NHKのマイケル・サンデル氏の「究極の選択」第二弾・第三弾が放送されたときも、抜き書き・マイケル・サンデル 究極の選択「大震災特別講義〜私たちはどう生きるべきか〜」(1) などがPVを増やした。

紙の雑誌とネットの違いはここにあった。紙の雑誌は、いつかは捨てられる。ネットのブログは、記憶のタグとして読者の心に刻まれる。それが放送されたり、報道されたりして再びネットの過去のエントリーに結びつくことができる。

マスコミが放送・報道する知らない言葉の何割かはすでに過去のブログに残っている。その言葉と読者をつなぐのが私たちのブログの役割なのではないか。もし、そのような貴重な言葉が翼にはいっぱい詰まっているといわれれば、PVが増えること間違いない。そのためには、継続していかなければならない。そして、あらゆることに興味を持って、数を書き続けることしかない。
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