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素人だから言えることもある

抜き書き「新春TV放談2013」後半部分(2)

大ヒット番組はこうして生まれた!

千原 大ヒット番組はこうして生まれた!
(拍手)
NA まず最初は、第8位にランクされた萩本欽一さん。代表作「欽ちゃんのどこまでやるの!」で共演した関根勤さんに話を聞きます。
関根 私は一応ね、3年ぐらい前に、「弟子という事で、いいですか?」と言ったら、「いいよ」と言ってくれたの。
千原 師匠が番組を作られてるのは、ずっと見てはった訳ですよね。
関根 僕、リハーサルから、ずっとやってました。
千原 どういう作り方なんですか? 萩本さんは。
関根 すべてにおいて全責任者です。それで「欽どこ」の場合は、欽ちゃんのどこまでやるのですよね。台本が出来がよくないと思ったんでしょうね。萩本さん、気に入らないんですよね。「これ、捨てて。今から、作るから」って言って、マフラー、こんな風にやりながら、「う〜ん…見栄晴、出てきて。見栄晴、ここ」って、口づてで全部作っちゃうんですよ。
千原 それ、完成するんですか?
関根 完成して、面白いんですよ。
上田アナ その「欽どこ」…
(字幕) 欽ちゃんのどこまでやるの!(1976年〜1986年 テレビ朝日系)
最高視聴率42%を記録。萩本欽一真屋順子のもとを毎回いろんなゲストが訪れるホームコメディー
上田アナ 最高視聴率42%を取っているんですね。萩本欽一さんと真屋順子さんのホームコメディーの映像、ご用意できました。
関根 すごいな。NHKさん、流しちゃうの? すごいね。60年だからね。
<VTR「欽ちゃんのどこまでやるの!」(1983年6月22日放送)>
千原 さあ、関根さん。緊張してはるんですか。
関根 これ、緊張してますね。かなり、前半の方ですね。ものすごいプレッシャー、かかってましたね。
素人いじったのも、欽ちゃんが初めてじゃないですか?
あの、「欽ちゃんのドンとやってみよう!」って(手を振り上げる)あるじゃないですか。あれ、3つ言うと、素人って、分かんなくなるんですって。
「欽ちゃんのドンとやってみよう!」と言って下さい。これが1つ目ですよね。
「おとうさん、元気よくね」って、元気よく言わなきゃいけない。…で、本番の寸前に「右手、上げようか」って言うんですって。
そうするともう、「どんと欽ちゃん!」って…。それを使ってたんですよ。
秋元 わざと? テンパらして?
関根 わざと。そうです。
上田アナ 萩本さんって、浅草でコント55号って大人気だった訳じゃないですか。テレビのゴールデンで、何としてもバラエティーをという思いはすごく…。
関根 あったみたいですよ。
上田アナ 悔しかったんですか?
関根 悔しかったんですって。「どうして、お笑いがドラマとかに負けるんだ」「人気あるのに、何でスポンサーつかないんだ」って。
これ、萩本さんに聞いて、ホントかどうかというのは…。まあ、ホントだと思うんですけども、萩本さんが、最初、フジテレビで、「何で、今、調子いいのに、7〜9時のゴールデンタイムをやらせてもらえないんだ?」って言ったら、当時、「この7〜9時はバラエティーはダメです。スポンサーがつきません」と。歌番組かドラマかドキュメンタリーでなきゃダメだと。それで、萩本さんが悔しがって、「ふざけるな」と。「俺、バラエティー、7時からやる」って言って。そのために萩本さんは浅草で、突っ込んでる時って、浅草ってべらんめえなんですよ。「てめえ、この野郎!」とか、「何やってんだ!」って突っ込みだったんですけども、これだと、お年寄りと子どもが怖がるからっていうんで、それで「やめなよ〜」とか「○○だよ〜」って柔らかくしたんです、わざと。
上田アナ 欽ちゃんの、今、しゃべってらっしゃる言葉は、わざと。
関根 そうなんです。ゴールデンやるスポンサーがOKするために。そうやって、ゴールデンに進出したのが、萩本さんなんです。
上田アナ スポンサーサイドとか、徐々に変わっていった感じですか?
関根 多分、「欽ドン」だと思うんですけども、そこでいったら、一気ですよね。「欽どこ」「週刊欽曜日」、全部、バラエティーになっちゃいました。ただ、プロデューサーたちは、大変だったみたいですよ。
ある時、萩本さんがどうも視聴率が上がらないと。「何か幸せになったやついないか?」と。何か、運が出てってると。
(一同-笑い)
関根 そしたら、「何か、ないか?」って言ったら、皇(すめらぎ)さん(欽どこプロデューサー)って人が「将来、結婚しようと思ったんで、マンションを買った」って言うんですよ。「それ、ダメだ」って言うんですよ。「分かった。欽ちゃん、俺、そのマンション、住まない」と。それで、証人を呼んで、川のとこ行って、その鍵を、バッと…。「俺は、住まない!」って言って。
千原 「どこまでやるの!」ですよね。
テリー いい時代だね。
関根 ただ、まあ、合い鍵はあるから。
(一同-笑い)
関根 そのマンションは、手放してないんですけども、一緒に暮らそうとした恋人は、失ったらしいですよ、やっぱり。それで、こっちに運が来たっていう、そういう、ちょっとね…、あのー、不思議なこと、言う方だったんで。
(一同-笑い)

NA 続いては、15位にランクされたテリー伊藤さん。代表作「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の話を聞きます。

(字幕)<代表作>「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」「ねるとん紅鯨団
千原 テリーさんは、どんな感じで「元気」は?
(字幕)天才・たけしの元気が出るテレビ!!」(1985年〜1996年 日本テレビ系)
日曜よる8時の放送 名も無い一般の人々にスポットをあて、様々な人気者を生み出したドキュメントバラエティー

テリー 僕は、初めての仕事、「オレたちひょうきん族」が、やってたじゃないですか、バラエティーとして。僕は、日曜の夜8時を頼まれて、「コントはもう勝てないな」って。「ひょうきん族」の、たけしさんのああいうの、勝てないなと思って。じゃあ、何をやろうかなというんで「元気」みたいの、考えたんですよ。
千原 むちゃくちゃ やったんですよ、テリーさん、あのころは。
関根 すごかったですよね「元気が出るテレビ!!」は。
鈴木 僕、小6だったんですよ。まず、見方が分かんなかったんです。「元気が出るテレビ!!」って。
『商店街を盛り上げよう!』今となっては、バラエティーの定番ですけれど、「商店街を盛り上げるってどういう事?」っていうのとか、いきなり『半漁人が現れる!』ってやつあったじゃないですか。「どういう事?」って。1個はリアルなのに、『半漁人が現れる!』とか、10分ごとにやってる事が違うんで見方が分からなかったんですが、だんだん時間かけて、僕らも見方が分かってくる面白さが、こういう事なんだというのが、もう、たまんなかったですよね。「元気が出るテレビ!!」の前に、テレビ東京でずっとやってたんです。
鈴木 ああいう事をですか? 
テリー むちゃくちゃな事を。それこそ、ライオンを虎にしたり、スプレーで塗って。
小島慶子 ひどい…。
テリー 多分、また、カットされちゃうんですね、こうやって、しゃべってると。
僕、人と接するのが、好きでね。特に、素人の人と。そういう人なんかと、番組をやりたいなって。自分の演出能力だけで、やってると限りがあると思ったんですよ。柔道の投げ技みたいに、その人の力を利用して、遠くへ飛ばそうというのが、どっかにあったのかもわかんないですね。
千原 そんな「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」。すごい映像を手に入れました。NHKで、まさか、この番組を見れる日が来るとは…。
<VTR「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」早朝バズーカ(1987年10月18日放送)>
テリー やってますね〜。
小島 ひどい…ひどい。
テリー ひどいなあ。コンプライアンスないですね。
(一同-笑い)
千原 あれ、何年前ですか?
テリー これは…「元気」始めて…。そうですね。もう、30年ぐらい前ですかね。「早朝バズーカ」っていうんですけど。
大根仁 毎回、たけしさんとの勝負だったという話を聞いたことがあるんですが。
テリー やっぱり、たけしさんは、あの当時、日本で一番シビアなバラエティーを見る人でも、ある訳じゃないですか。だから、これ考えたのは、ある日、家、帰る時に、電車で夕刊紙読んでて、「早朝ソープ」って書いてあったんですよ。「早朝ソープが、今、はやってる」って。うわ〜すごいなっていって。早朝ソープ…そうか、朝からソープランドかっていって、本来は、一番、爽やかな朝に、ソープランドって面白いなと思って、じゃあ「早朝」にミスマッチで合うもの何かなと思ってたら…、じゃバズーカだと。
(一同-笑い)
千原 そればっかり、ずっと考えてはるんでしょ?「ダンス甲子園」もいろいろ何とか甲子園ないかって、最終的にテリーさん、「『野球甲子園』どうや!」って言うたらしい。
(一同-笑い)
千原 普通じゃん。
上田アナ それ通常。
関根 でも、ボクシングで世界チャンピオン出しましたからね。
千原 だって、放送作家さんもね。
上田アナ こちら。いろんな企画が、めじろ押し。
おかま競歩 ダンス甲子園 100人隊が行く 失恋傷心バスツアー 平成口ゲンカ王決定戦 放送作家予備校 勇気を出して初めての告白 なりきりポエム集会 幸福の黄色いハンカチ どっきり!すべり台雪見風呂
上田アナ 懐かしい?
小島 懐かしいですね。
関根 「口ゲンカ王」くだらなかったな〜。
秋元 僕、ほとんど、テリーさんと放送作家としては、やってないんですけど、1回だけ、あるんですよ。番組を。その時に、テリーさんが毎回、会議に来る度に、「くだらない事、やろうよ」これが口癖だったんですよ。で、くだらない事っていうのが、つまり、バラエティーの中で、ここに宝があるんだっていうのを、見つけたのは、テリーさんだと思う。それまでは「シャボン玉ホリデー」でも、それまでは、例えば「ゲバゲバ」でも、あるいは「全員集合」でも、「ひょうきん族」でも、みんなやっぱり、何かくだらなくないものを作ろうとしてるんですよね。でも、テリーさんのは、気付く事なんだよね。なるほど、それ、面白いなっていう。
千原 あれは、どんな感じだったんですか? 「おかま競歩」。
(一同-笑い)
テリー 面白いですから。内股で歩くの。
関根 そうですね。
テリー 例えば、今日なんかもね。来年…っていうか今年、どんなバラエティーがいいかなと思ってると、スケベな犬とか探したいじゃないですか。
(一同-笑い)
千原 いるでしょうね。犬の中でも、性欲強い犬と、弱い犬はいますから。
テリー やっぱり、スケベな犬が、いい女の人の匂いを嗅ぎに行くところだとか。そういうのは、面白いでしょ? だから、突然、面白い犬は、いないかなとか。いるんですよ、探せば。
鈴木 でも、テリーさんって、くだらない事もありますけど、僕「元気」って見てて、例えば「黄色いハンカチ」とか、「告白」とか泣きとか胸キュンもあったじゃないですか。この振り幅は何だったんですか? 
テリー これはね、あの、年配の方にも見てもらいたいというのが、すごくあって、バラエティーって、独りよがりでも、ないじゃないですか。やっぱり、ゴールデン…、「元気が出るテレビ!!」っていうのは、次の日、会社に行くとか、学校行く時に、「あれ、面白かったな」って日曜の夜、「あ〜、よかった。くだらなくて。今日は寝ようか。明日から、また1週間頑張ろう」というような事の提案でもあるんですよ。だから「黄色いハンカチ」にしろ「勇気を出して」も、俺が青春の時、あんな事やったよなっていうような事を、感じ取ってもらえばいいなというふうに。
千原 これ、企画、バ〜ッと考えますよね。考えて、たけしさんのところに、持っていくんですか?
テリー うん。
千原 それで、たけしさんが、ノーの場合もあるんですか。
テリー ありますね。でも、たけしさんも、分かんない事はあるんですよ。
千原 やってみないとね。
テリー たけしさんは、正直言って、例えば「勇気を出して初めての告白」とか、
(字幕)勇気を出して初めての告白
好きな人に告白したい視聴者がタレントの応援を得て勇気を出して告白するコーナー
テリー あんまり、たけしさん自身はいい青春送っていないと思ってるの。例えば、ミッション系の学校に行ってる訳じゃないし、若い頃に浅草のストリップ劇場にいた訳じゃない。だから、意外とそういう爽やかなものに対して、結構、抵抗感があった。
千原 なるほど。
テリー 例えば「ねるとん」なんかやってたのは、
(字幕)ねるとん紅鯨団(1987年〜1994年 フジテレビ系)
司会 とんねるず 素人参加型の集団お見合いバラエティー
テリー 「元気」で一回やったんですよ。そうすると、たけしさんは、「何だよ、あんな若い奴が出てイチャイチャして」って言うんだよ。でも、これ、絶対面白いよな。だったら、もう、とんねるずでやろうと思う訳ですよ。
千原 へえ〜。
テリー だから、そういうのは、ありますね。

NA 次は、16位にランクされた秋元康さん。放送作家として参加した.「ザ・ベストテン」の話を聞きます。

(字幕)<代表作>「ザ・ベストテン」「夕やけニャンニャン」「とんねるずのみなさんのおかげでした
千原 さあ、秋元さん。「ザ・ベストテン」の放送作家をされてたそうですが。
(字幕)ザ・ベストテン(1987年〜1994年 TBS系)
黒柳徹子 久米宏が司会。
毎週独自のランキングをカウントダウン形式で発表し、歌手が生放送で曲を披露する音楽番組。
上田アナ 先ほどもお話に出ましたけれども、こんな感じでしたよね。(写真フリップ)
関根 見てたな、毎週。
秋元 でも、これは別に、僕が作った番組でもないですし、僕は放送作家として、一番若い放送作家として参加してたんですけど、面白かったですね。つまり、ここでヒット曲っていうのは、どうなんだろうとか、どうやってできるんだろうというのを、ここで学んだような気がするんですね。
上田アナ 毎週ヒット曲をランキングでカウントダウン形式で。
秋元 だから1回目の放送の時の会議が一番大変で、その週の一番売れている人たちが来る訳じゃないですか。テレビの常識からいうと、オープニング、全員いた方が、数字、いいんじゃないのっていうのが、あったんですよ。だから、先に全員紹介して、後からその人が何位かというふうにするか、やっぱり隠してるか、どっちかにしようというのが、どっちかにしようというのが、ずっと、あったんですよ。でも、結局隠してる方にしたんですけどね。
テリー 正解でしたね。
秋元 ねえ。
関根 ワクワクしますもんね。
秋元 だから、例えば、「誰々さん、お越し頂けません」っていうのを、言う歌番組なんかなかった訳ですから。
上田アナ 確かに、「お仕事で、今日は」とか。
関根 そうですね。
大根 「テレビに出たくない」っていう人もいましたもんね。
千原 あ〜。
上田アナ 中島みゆきさんとか。
秋元 そうですね。松山千春さんとか。
関根 「出演交渉したんですけども、出て頂く事がかないませんでした」ってはっきり言いましたもんね。
秋元 それが後に「夕やけニャンニャン」で、国生さゆりが「今日は、新田恵利ちゃんは、中間テストのため、お休みです」って。これもすごいなと思った。
(字幕) 夕やけニャンニャン」(1985年〜1987年 フジテレビ系)
平日の夕方5時の生放送バラエティー 男子中高生に人気を博した素人女子高生
アイドルグループ「おニャン子クラブ」はこの番組から誕生した。
秋元 なめてるのかと。テレビって、絶対的なもので、みんな出たいものだったじゃないですか。
テリー それはまた、新鮮ですよね。
秋元 新鮮でした。だからこの2つは、テレビですごいなと思ったんですよね。
上田アナ 「ザ・ベストテン」といえば…。全国どこからでも生中継。
秋元 これ、専門的に言うと、昔は、生放送、生中継とかだと。2段で飛ばしてたんですよ。これは、すごい大変な事なんだけども、見てらっしゃる方は、全然そんなこと…。ねえ。
昔は、電話回線も、ず〜っと、つないだりしてたんですけど、やっぱり、技術が、今のように進んじゃうと、こういう緊張感がなくなってくるんですよね。
上田アナ やっぱり、かなり緊張?
秋元 それはもう、だって、松田聖子さんが歌って、新幹線に乗って帰る訳だから。
上田アナ 時々、新幹線が発射しちゃったりする時も…。
秋元 ありました。
上田アナ え〜歌が途中なのにみたいな。
テリー そういうハプニングも、楽しんだんでしょうね。
秋元 そうですね。さっき、テリーさんがおっしゃったけど、気合がすごかったな。山本譲二さんが、「みちのくひとり旅」を生中継で歌う。その時にね、僕らはサブにいると、こっち側のモニターで、ナイアガラみたいな花火が、パ〜ッと落ちる仕掛けになってるんですよ。本番で「第何位 山本譲二」って言ったところに、もうナイアガラ、火付けちゃってる。そしたら、もう、サブから、「止めろ! 止めろ!」って言って、ADが素手ですよ、素手で…。
(一同) え〜!
千原 気合いですね。
秋元 気合い。ああいうのは、やっぱり、テレビなんですよね。
上田アナ え〜すごい。
関根 「ザ・ベストテン」って、当時、マネージャーが、アイドル同士、絶対、つきあっちゃいけないっていうから、話しかけられないんですよ。携帯電話もないし。ところが、あの裏のセットの所だけで、渡してたっていうのを、後で、聞きましたよね。
テリー い…いいですね。
関根 ところが、マネージャーいないじゃないですか。
小島 次の順位の人と、一瞬だけ、入れ替わる時に?
千原 あのころの、諸星君の話とか、聞いたら、すごいですよね。
ザ・ベストテン」最終回1位、光GENJIやったらしいんです。最終回1位やったら、あのドア、持って帰っていいって言われて、家、持って帰ったんですよ。諸星君。ホンマに「ザ・ベストテン」に出てくるアイドルの人たちを、ホンマの自宅の、あの回転扉から出してたっていう。
(一同-笑い)
テリー 今度、呼びましょうよ。
千原 あの人、ホンマに、すごいですよ。
「誰と、そういう一戦、交えてるんですか」って言ったら、「ジュニアさん、当時のアイドル、想像して下さい」。「はい」。「その人もです」って。
(一同-笑い)

NA 最後は、10位にランクされたSMAPの皆さん。代表作「SMAP×SMAP」を生み出した、鈴木おさむさんに話を聞きます。

(字幕)<代表作>「SMAP×SMAP」「笑っていいとも!」「いきなり!黄金伝説」「お試しかっ!」「ほこ×たて
上田アナ この「SMAP×SMAP」がアイドルのイメージを変えていったなという気が…。
(字幕)SMAP×SMAP」(初回放送 1996年 フジテレビ系)
人気アイドルグループ「SMAP」の冠バラエティー番組。
鈴木 いや〜もう、それは大きいと思います。その時まで…僕が、当時23歳でしたけど、16〜17年前ですよね。アイドルが、今でこそ、みんな、冠番組やってますけど。ゴールデンプライムで、アイドルがメインで番組をやって、そして視聴率を取っているという歴史がなかったんですよね。
それまで、SMAPは、テレ東で、よくジャニーズの人が歴代やってるじゃないですか。6時とか7時に。SMAPは、そこの直前までテレ東でそういう番組やってるんですよ。視聴率4%から5%。だからゴールデンにフジテレビでやったところで、取る訳がないと思っていた人がすごくいっぱいいますし、すごく言われました。
千原 また、コントをするっていうのがね。
鈴木 そうですね。ちょっと一個、そこが刺激もありましたけど。
上田アナ 今回、16年前に放送された「SMAP×SMAP」の第1回のお宝映像を入手致しました。すごく貴重な映像です。じっくりと、ご覧ください。
<VTR「SMAP×SMAP」第1回(1996年4月15日放送)>
鈴木 これ、ちなみにあれですね。「ロングバケーション」の1回目と同じ放送日だったんです。
(字幕) 「ロングバケーション」(1996年 フジテレビ系)
木村拓哉の連続ドラマ初主演作 瞬間最高視聴率43.8%“ロンバケ現象”なる社会現象を巻き起こした。
千原 へえ〜!
鈴木 だから「ロングバケーション」が終わって、もうすぐ10分後ぐらいには、木村拓哉君が…。
千原 コントしてるんですね。ネタ振り、めちゃくちゃ利いてるんですね。
テリー これ数字どうだったんですか?
鈴木 初回、20を超えたという。
上田アナ 初回で、もういきなり…。
千原 それは、ネタ振り利いてますわ。男前の恋愛やっといて、その直後にコントやるって。
鈴木 でも、すごかったですよ。本人たちの意気込みも。やっぱり、バラエティーをゴールデンでやるという事においてのなめられちゃいけないという気持ちが。
だから、その前に一個「いいとも!」に入ったじゃないですか。関根さんが、ずっと見てましたけど。
関根 ええ。
鈴木 当時って、光GENJIが大ブレークしたあとに、ジャニーズ冬の時代って、いわれていたんですね。だから、バラエティーで、ジャニーズの人が来ると、何だったら売り込まれるというか。「え〜? SMAPなんか要らないよ」っていう時代ありましたよね。
だから「いいとも!」に最初に中居君とか慎吾君が入った時も、何となくお客さんもそんなに、まだウエルカムじゃないというか…。
上田アナ 「何?」っていう。
鈴木 その中から、すごくバラエティーで頑張って、トンネル掘ってる感じとかはしましたけどね。
テリー 事務所偉かったよね。
鈴木 すごかったですね、確かに。
テリー 事務所が、いろんなところに売り込みに行ったというね。あれは、やっぱり偉かったな。
関根 たのきんにしても、光GENJIにしても、短命だったんですよね、アイドルの時代が。もう20代中盤ぐらいで終わるんですよ。
鈴木 解散してたんですね。
関根 ところが、SMAPからですね。もう30代の後半になっても、まだアイドルだという。
テリー 奇跡だよね。
関根 昔は、ありえないですよね。30代後半でアイドルってね。
テリー なかったですね。
上田アナ 「SMAP×SMAP」のネタ出しはSMAPのメンバーも、参加してるんですか。
鈴木 やってます。自分がちゃんと、アイドルとしてというか、「ここはできる」とか「ここはやれない」とか、そういう事をやりながら、すごい細かいですけどね。
千原 ホンマ気合い入ってるんですね。「BISTRO」でも、全部一回作りはるんでしょ?
(字幕) BISTRO SMAP
SMAPのメンバーが料理で対決するコーナー
鈴木 そうです。
千原 作って、自分らで食べて。もう一回、本番で作るってね。
鈴木 いまだに「BISTRO SMAP」で、「勝者 誰々」ってあるじゃないですか。木村君は、負けるとホント機嫌悪いですからね!
(一同-笑い)
上田アナ いまだに?
鈴木 そうですよ。だから、みんな、勝ちたいんですよ。特に、自分と関係性のあるゲストの人とか来て、負けることもあるじゃないですか。「何でだよ!」って。でも、だから、いいんでしょうけどね。
テリー 目が違うよね。
鈴木 そうですね。
上田アナ やっぱり、本気、根性とかって重要なんですね。テレビの中においては。
鈴木 そうですね。今は、アイドルが、いろんな事をやるの、当たり前ですけど。でも、そろそろ、アイドルで新しいの、出てくるかもしれないですね。
SMAPが今までに作った形の中での、いろいろパターンを変えてたので、もしかしたら、アイドルで、バラエティーやる人も、そろそろ、また何か、大きく変わってくるかもしれない。
テリー 女性がやるかも。
鈴木 確かに!
テリー 女性アイドルが、番組を。
千原 どうなんですか、秋元さん。
秋元 う〜ん、まあ、だから、SMAPの成功というのは、要するに、アイドルって、ファン向けに作っちゃうんですよね。ファンではない人たちに広がった時にブレークする訳ですけど、SMAPとかは、やっぱり、ファンではないじゃないですか。
あれを見ても、ファンじゃない人も楽しめるようになっている。ここがテーマですからね。
テリー そこだよな。
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