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「8時だョ!全員集合」の謎(「新春TV放談2013」後半部分補足情報・2)

(1)視聴率50.5%の謎

抜き書き「新春TV放談2013」後半部分(1) で、上田早苗アナが最高視聴率が50.5%であることが発表されたが、その最高視聴率をたたき出した番組が何だったかを僕はすでに調べている。それは、欽ちゃんの笑いから全員集合の笑いへ(NHK「そのとき、みんなテレビを見ていた」第二部より)(3) のエントリーである。
この50.5%の番組は何かと思って調べてみた。Wikipediaによれば、

平均視聴率27.3%、最高視聴率は1973年4月7日放送の50.5%(ビデオリサーチ調べ、関東地区にての数値)。最盛期には40〜50%の視聴率を稼ぎ「お化け番組」「怪物番組」と呼ばれ、土曜8時戦争と呼ばれる視聴率競争にあっても絶対王者として君臨する存在であった。(8時だョ!全員集合-Wikipedia)

とあり、1973年4月7日の番組は、

(第158回:1973年4月7日) 前半コント「嵐を呼ぶリング」
・ゲスト:水前寺清子「昭和放浪記」/欧陽菲菲「恋の十字路」/三善英史「少年記」
・特別ゲスト:輪島功一
・演出:東 修
・会場:文京公会堂(東京)
◆番組最高視聴率50.5%を記録。この回よりアシスタントがゴールデン・ハーフからキャンディーズに交替。
◆ボクシングジムを舞台とした前半コントの特別ゲストに、当時WBCスーパーウェルター級の世界チャンオンであった輪島功一が特別出演。(Ryu's Diary 〜MUSIC・TV・LANDSCAPE〜)

(2)1時間番組に5日かけたの謎

テリー 週1の1時間番組じゃないですか。5日かけてましたからね。
千原 5日かかってるんですか。へえ〜。
秋元康 火曜日に「全員集合」会議だったんですよ。「ザ・ベストテン」も火曜日に会議だったんですよ。終わるのがお互い、朝の4時くらいですよ。
6時からですよ。夕方の18時から会議始まって終わるの朝4時なんですよ。ず〜っと会議やるか、「全員集合」はリハーサルもやってましたけど。だからやっぱり、それぐらい気合いですよね。(抜き書き「新春TV放談2013」後半部分(1) )
本番は、毎週土曜日の生放送である。火曜から土曜まで5日間もドリフターズを独占するとしたらすごい事だと調べてみた。当時プロデューサーの居作昌果氏によると、
「8時だョ!全員集合」の制作にあたって、私はドリフターズのスケジュールを、木曜、金曜、土曜と週に丸三日押さえていた。土曜日は生放送の日だから当然として、木金の二日間を拘束したのは、たっぷり時間をかけて、番組の中身を作り上げていきたかったからである。スタジオからスタジオへと、笑いのタレントたちが時間に追われるように駆け巡っていたこの時代に、一つの番組で丸三日のスケジュールを確保するのは、全く特異なやり方だった。土曜日のゴールデン・アワーの一時間、それも生放送の舞台を作ろうというのだから、ドリフターズも所属の渡辺プロダクションも、それなりのスケジュールを渡してくれたのだ。その木金の二日間を、前半のコントの徹底的な練り上げに、ほとんどを費やしたのだ。
木曜日は、その翌週のコントの内容を作り上げ、美術デザイナーにコント・セットの作製を依頼し、また必要な小道具から作り物の道具類を、美術に発注する。

(中略)

この木曜日の“ネタ作り”は、午後三時から深夜にまで及ぶ。担当ディレクターと担当の作家が、台本は用意してくる。だがそれに肉をつけていくためには、まずその台本を、ばらばらにしていく作業から入る。時には、用意された台本そのものが、却下されてしまうこともある。いかりやと作家の、なぜ面白くないかの議論が始まると、弁当を食い出す者や、畳を引っ張り出して寝転がったりしている者がいる。やがて作家が、プイと部屋を出て行ってしまったりする。

(中略)

小休止とギャグ作りの繰り返しで、リハーサル室は、深夜となる。ギャグがふくらみ、コントの大筋が見えるまで終わらない。いや、終われないのだ。来週何をやるのか。生放送である。この木曜日に決定しなければ、コント・セットの製作が間に合わない。このネタ作り、ギャグ作りの産みの苦しみが、「全員集合」の面白さの“根っこ”だったのである。

放送前日の金曜日、前週の木曜日に、“一応”まとまったコントの台本を前に、リハーサルが始まる。始まるとはいっても、その台本に、とりあえず目を通すだけである。コント・セットの絵図面を見ながら、ギャグのひとつひとつを台本から拾い上げて、考えていくのだ。

(中略)

いかりやを中心に、作家たちとメンバーのまたまたギャグ作りが始まる。リハーサルが始まるわけではない。リハーサル室のテーブルを囲んで、延々と沈黙の時間が過ぎていく。やがて、弁当を食ったり、そば屋から出前を取ってみたり、床に畳を敷いて寝転がってみたりと気分転換をしながら、新しいギャグをひねり出すまで、動かない。この新しいネタ作りに時間をかけるだけかけて、「それじゃあ、立ってみます」とのディレクターの声で立ち稽古が始まるまでには、七、八時間が過ぎている。これでやっとリハーサルの始まりとなる。ドリフターズが動き始めて、やっと笑い声がリハーサル室に広がる。加藤の動きに、志村のセリフに、いかりやのやりとりに、リハーサル室の空気がなごむ。前週の木曜日のネタ作りからこの日の立ち稽古が始まるまで、二十時間近い、笑い声の聞こえない難産の時が過ぎている。

(中略)

「8時だョ!全員集合」放送前日の金曜のリハーサルは、前半のコントの立ち稽古に始まり、この後、体操コーナーとか合唱隊とか他の部分のネタの確認を済ませて、深夜零時頃に、なんとか「オツカレサマ!」となる。

(中略)

朝九時に会場に到着したドリフターズが、まず最初にやることは、コント・セットの点検である。いかりやが、セット全体をチェックしている。各自が、それぞれのギャグの仕掛けのテストをする。ギャグに使う衣裳類から小道具類を確認する。特別に発注した特殊なものばかりだから、出来上がってきたものを手にしてみなければ、使えるかどうかわからない。気に入らなければ、細かい注文をつけて、美術に直しに入ってもらう。セットと道具類のチェックが終わって、衣裳を着け、持ち道具を持って、コント・セットを使ってのリハーサルに入る。頭の中で考えてきたことが、ここでやっと具体化されてくるわけだ。だが、実際に道具を使い、セットの中で動いてみると、どうにも面白くないところが出て来る。またまた試行錯誤の始まりとなる。舞台に座り込んだり客席に座ったりと、新しいアイデアがまとまるまで、リハーサルは止まってしまう。しかし、生放送の当日である。

(中略)

やがて数々の小直しが入って、オープニングからエンディングまでの、ランスルー・リハーサルに入る。このランスルー・リハーサルが全部できたのは、番組がスタートして半年間ぐらいだっただろうか。当日の内容変更やギャグの作り直し、セットの直しなどと、直しにつぐ直しに時間をとられ、ランスルーをやる間もなく客入れの時間が来てしまうのだ。中継をするカメラや技術関係者にとっては、たまったものではない。常識的には、ランスルーのないテレビ番組など考えられない。ぶっつけ本番状態で、一時間の生放送をすることになるのだ。だが中継クルーも、文句は言わない。「全員集合」に、「常識」はないのである。結果としてコントが受ける、満員の観客が笑い転げてくれる。これが最優先であることを、スタッフ全員が納得しているのだった。(居作昌果著「8時だョ!全員集合伝説」双葉社)

木曜から土曜までの流れを居作昌果氏の著書「8時だョ!全員集合伝説」から省略しながら追ってみた。しかし、ここから分かったのは、ネタをまとめコントに練り上げる会議が木曜日だという事だ。秋元氏の火曜の会議というのがあてはまらない。そこで関係者の著書をあたってみた。いかりや長介氏が書いた「だめだこりゃ」によると、
「全員集合」の作り方について少し。
水曜と木曜にディレクターと作家さんと私の三人でやる3ロビ会議というのがあった(のちに木曜だけになった。人間、一度楽を覚えると元に戻らないもので、再び水曜日の会議が復活することはなかった)。

まず水曜日に翌週の土曜日にやるコントをおおざっぱに決める(主として冒頭の22分コントを固める)。項目に分けて明日までに考えてきてもらったり、調査をお願いする。例えば、舞台でパトカーを走らせられるか、業者に調べてもらったりするわけだ。

木曜日にはメンバー、スタッフも集まり、調査の結果を聞き、動きやギャグを相談し、煮詰め、練っていく。この日に一番時間をかける。午後三時に始めて、一、二時間で終わることもあれば終わるのが深夜を過ぎることもあった。しばらく沈黙が続いたり、雑談したり、煮詰まるとメンバーはやがて隣の部屋に移り、ありとあらゆる暇つぶしを考案しては遊んだ。将棋・ポーカーは言うに及ばず、上半身裸の新井のお腹に十円玉を投げてくっけるゲームまでした。ここでコントの設定を決定し、必要なセットを発注しておかないと、来週の土曜の本番までに装置が間に合わない。この会議のおかげて、「いかりやは作家の台本をまるで採用しない」「ディレクターを信用しない」「全部一人でやりたがる独裁者」「鬼だ、蛇だ」「金をかすめとってんじゃねえか?」という風評が立った。何をかいわんや、である。私はいつでもネタに追われていた。追いまくられていた。ゼエゼエいっていた。フーフーいっていた。ネタを書き、舞台にのせるまでつくりあげる作業を他人にやってもらえるなら、こんなに楽なことはない。

だが、作家の書いてくる本、ディレクターのつける演出は、それぞれよく考えられてはいたが、やはり「頭で」考えられたものにすぎない場合が多く、そのまま客の前にかけられるものではなかった。だからどうしても、一度分解し、再構築する作業が必要になったのだ。(いかりや長介著「だめだこりゃ」新潮文庫)

木曜の午後3時という点では、居作昌果氏の証言と共通している。しかも、新たに分かったのは、その後なくなってしまったが水曜にも会議があったことだ。だが、秋元氏の言う火曜の午後6時ではない。たとえ、勘違いであっても、秋元氏がついていたザ・ベストテンの初回は1978年であり、「8時だョ!全員集合」は1969年に始まりすでに9年は立っている。どうしても、折り合えないなら、ここで考え方を変える必要がある。ドリフターズやプロデューサーが出席しない会議が火曜日に開かれた可能性である。そのヒントは、それぞれの資料に書かれている。
担当ディレクターと担当の作家が、台本は用意してくる。(居作昌果著「8時だョ!全員集合伝説」双葉社)

だが、作家の書いてくる本、ディレクターのつける演出は、それぞれよく考えられてはいたが、やはり「頭で」考えられたものにすぎない場合が多く、そのまま客の前にかけられるものではなかった。だからどうしても、一度分解し、再構築する作業が必要になったのだ。(いかりや長介著「だめだこりゃ」新潮文庫)

つまり、木曜の会議に用意される台本の中身を作るための会議が、担当ディレクターと作家によって火曜に開かれたという可能性である。それならば、毎週火曜の6時であってもかまわない。
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