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素人だから言えることもある

日本にジャーナリズムが育たない理由

報道しないニュースが多すぎる

 たとえば、今回の毎日新聞の「WaiWai」問題がそうだ。7月20日に「おわび」が載っただけで、他の新聞は上っ面をなぞっただけ。インターネットを持ってない読者には、何があったかすらもわからない。

 ぼくのエントリーでもまともに報道されないニュースもある。たとえば、「アメリカ年次改革要望書」の存在。「著作権法の「非親告罪化」とアメリカ年次改革要望書」「著作権者たちのいらだち」「今年のアメリカ年次改革要望書から」など、三度にわたって、日本の政治がアメリカの要望にそって動いていることを伝えた。しかも、この「アメリカ年次改革要望書」、秘密でもなんでもない。アメリカ大使館のホームページを見れば、誰でも読める。そして、これから数年後の日本の政治がどう動くが見えてくるのだ。(東龍氏によると「夕刊フジ」(引用はZAKZAK)には載っていた)

 さらに、トヨタの過労死裁判についても、「責任感が強い人ほど長生きできない日本のシステム」「「ジャスト・イン・タイム」方式への疑問」「偽装大国ニッポン」などでとりあげたが、スポンサーが降りることを恐れてか、テレビ(在京の民放)で報道されることはなかった。(当時、時間をかけて報道したのは大阪の毎日放送だけだった)恐らく、マスコミはその存在は知っているはずだが、とりあげようとしないのはなぜだろうか。

 「マスコミはなぜ「マスゴミ」と呼ばれるのか」(日隅一雄著/現代人文社)には、マスコミには「日本独自の三大規制システム」が存在するという。それは、(1) 独立行政委員会の不存在(2)系列化(3)広告一業種一社制の不採用だという。それぞれについて考えていこうと思う。

(1)独立行政委員会の不存在

マスコミはなぜ「マスゴミ」と呼ばれるのか」(日隅一雄著/現代人文社)では、その説明がある。
 放送行政において、独立行政委員会が設置されておらず、政府(総務省)が直接免許を与えるため、政府・与党による直接的な圧力が可能となっていることだ。

 そもそも、放送に使用できる電波に限りがあるため、放送局は電波を利用するための免許を受けて放送事業をしている。先進諸国では、放送の影響力の大きさから、放送事業は政府から独立した独立行政委員会が司っている。

しかし、日本では、この免許を直接、政府(総務省)が与えるなど、放送行政を司っているため、政府が免許の更新をしないという無言の圧力をかけたり、行政指導の形による圧力を直接放送局に加えることが可能になっている。(日隅一雄著「マスコミはなぜ「マスゴミ」と呼ばれるのか」現代人文社)

 たとえば、「あるある大事典Ⅱ」の場合の行政指導の内容は、
放送法3条の2第1項3号(報道は事実をまげない)、および同法3条の3第1項(番組基準)に違反したと認められ、また他の8番組について同法違反が疑われるものと考えられ、放送の公共性と言論報道機関としての社会的責任に鑑み誠に遺憾、として警告。再発防止に向けた必要な具体的措置の1カ月以内の報告、およびその実施状況の3カ月以内の報告を要請。(日隅一雄著「マスコミはなぜ「マスゴミ」と呼ばれるのか」現代人文社)
 このように不祥事のたびに総務省の行政指導を受けているうちに、放送局は、番組制作の意欲が萎縮していく。そして「おバカの時代」の、
あるある大事典Ⅱ」のヤラセ問題以来、世間の目が厳しくなってきているので、情報番組や健康番組はどうしても作りづらいんですよ。その点、クイズ番組はF2層(女性35〜49歳)やF3層(女性50歳〜)がターゲットなので、スポンサーからのウケがいいんです」(タレント争奪戦は? 珍回答の“仕込み”は? ブームはいつまで?… 4月から週28本!! テレビ業界「クイズ番組バブル」の“おバカ”な裏側/週刊プレイボーイ4/7号)
という結果を招く。本来、「お笑い」には政治風刺というジャンルがある。ところが、「ニュースペーパー」など政治風刺を専門にするタレントは少なく、テレビに出るチャンスがほとんどない。まして欧米のような辛らつな政治風刺の番組など作りようもないのは、放送局が常に政府の顔色を窺っているからである。

 一方、新聞にも「特殊指定」問題がある。

新聞特殊指定、正式には公正取引委員会告示「新聞業における特定の不公正な取引方法」では、次のように定めている。

1、新聞社が地域又は相手方により多様な定価・価格設定を行うことを禁じる。(但し、学校教材用や大量一括購入者向けなどの合理的な理由が存在する場合を除く。)

2、新聞販売店が地域又は相手方により値引き販売を行うことを禁じる。(※上記のような例外は無い。)

3、新聞社による押し紙行為を禁じる。

これによって新聞は都市部から僻地まで全国一律価格となっている。 ただこれは新聞社が長期購読者向け割引、口座振替向け割引、前払い向け割引、学生・高齢者向け割引など多様な定価を設定することを禁じる趣旨ではない。(特殊指定Wikipedia)

 問題は、2010年にこの特殊指定を公正取引委員会が見直しを求めることが予想されるため、新聞協会が政府に働きかけていることだ。
自由民主党は新聞販売懇話会(会長代行・中川秀直 事務局長・山本一太)やその下部組織である「新聞の特殊指定に関する議員立法検討チーム」(座長・高市早苗)を設置し新聞特殊指定維持のため公取委に圧力をかけている。

が、新聞社や新聞販売店で組織する日本新聞販売協会の分身である日販協政治連盟から多額の献金を受けている者もおり、業界の既得権益を議員が献金をもらって守っていることに対して、新聞の公正な報道の観点などから疑問を投げかける声も強い。(特殊指定Wikipedia)

 新聞と政治が利害関係で直接結びついていることは、新聞の政府批判に腰が引けている理由のひとつでもある。

(2)系列化

 系列化とは、読売新聞=日本テレビ、朝日新聞=テレビ朝日、毎日新聞=TBS、産経新聞=フジテレビ、日経新聞=テレビ東京という新聞とテレビのネットワークのことである。「マスコミはなぜ「マスゴミ」と呼ばれるのか」(日隅一雄著/現代人文社)では、この関係は、世界的にも極めて異常だという。
 新聞、テレビ、ラジオなどのマスメディアは、それぞれが営利企業であり、当然、各業界としての利権がある。たとえば、新聞社は、再販制度、特殊指定で全国一律横並び価格でも独禁法違反を免れているし、政府からの広告収入の不透明さなどの問題を抱えている。テレビは、そもそも免許制度だし、本格導入された地上デジタルも巨額の税金が投入されている。ラジオも免許制度だし、政府広報の収入などの問題がある。

 だからこそ、海外先進諸国では、異業種メディアの所有(クロスオーナーシップ)は原則として禁止されている。一般的に、クロスオーナーシップ規制の目的は「言論の多様性の確保」といわれる。しかし、さらに突っ込んで考えると、この利権構造によって政府と密接な関係ができてしまうことによって、言論の多様性が失われることが問題だ。(中略)政府ときちんと立ち向かうためには、新聞、テレビ、ラジオが互いに監視し、批判しあわなければならない。それによって、政府との「甘い」関係を断ち切ることができる。

 ところが日本では、3つのメディアが一つの資本によって支配されているから、互いに批判することができなくなっている。結局、メディアは政府に財布を握られたままとなっている。そんなメディアに、政府を監視することを期待できるだろうか?
(日隅一雄著「マスコミはなぜ「マスゴミ」と呼ばれるのか」現代人文社)

 思えば、「あるある大事典」の問題をスクープしたのは、朝日新聞系列の「週刊朝日」だった。系列違いの週刊誌という別ジャンルだからというのは思い過ごしだろうか。毎日新聞の「WaiWai」について
「毎日の低俗記事事件をきちんと報道すべきという声は部内でも多かったし、僕もこの問題はメディアとして重要な事件だと認識している。でもこの問題を真正面から取り上げ、それによって新聞社に対するネットの攻撃のパワーが大きいことを明確にしてしまうと、今度は自分たちのところに刃が向かってくるのではないかという恐怖感がある。だから報道したいけれども、腰が引けちゃってるんです」(毎日新聞社内で何が起きているのか(上))
という他紙の記者の発言は、ひょっとしたら自分の紙面でも同じ事が起きているかもしれないという疑心暗鬼ではないのか。「あるある大事典」の問題を産経紙面はおろか、他の放送局で報道しないのは、ひょっとして自分の局でもという思いがあったに違いない。それほど、自分のメディアを信用できないのである。政府はこの三すくみ状態を巧みに操り、影響力を及ぼしている。この系列化を持ち出したのは1950年代郵政大臣であった田中角栄氏であったという。
 当時37歳だった田中氏は、テレビの力および弱点に気づき、地方紙と系列化させることで、新聞への影響力を行使しようとした。そのため1957年、各県から(地方局の放送免許を)申請した者を一同に呼び出し、複数の申請人の間で持ち株率を調整して30数局もの免許を交付した。そして、そのなかには必ず新聞社を入れるようにしたのだった。

 さらに、初期のキー局は必ずしも新聞社と系列化されていなかったが、系列化を完成させたのも当時首相となっていた田中氏だった。(日隅一雄著「マスコミはなぜ「マスゴミ」と呼ばれるのか」現代人文社)

 池田信夫氏の「電波利権」(新潮新書)にこんな言葉がある。
 ネットワークの拡大に伴って、(新聞とテレビが系列化されたように)政治家も系列化された。地方民放は「政治家に作られた」といってもよいため、経営の実権を握っているのが経営者ではなく、政治家である例が多い。

政治家にとって見れば、地方民放は資金源としてはたいしたことはないが、「お国入り」をローカルニュースで扱ってくれるなど宣伝機関としては便利なのである。各県単位で地方民放の派閥ごとの分配が行われ、政治家も系列化された。(電波利権)(地デジが生まれた本当の理由(読者ブログ版)

 マスコミは、こうして政治の宣伝機関と化していく。「WaiWai」も「あるある」もあまりに低レベルな事件なのは、政治家の資質かそれとも視聴者の資質ゆえなのか。

 (なお、近年、先進諸国でも、クロスオーナーシップ規制は緩和される傾向がある。だが、他の国は、独立行政委員会が管轄しているので、その弊害は対処できる。日本のように政府が主導で系列化をするのは極めて異常である。)

(3)広告一業種一社制の不採用

マスコミはなぜ「マスゴミ」と呼ばれるのか」(日隅一雄著/現代人文社)では、この制度をこう説明している。
 外国の広告業界では、原則として、広告代理店は1つの業種について、1社からしか受注できない。(1業種1社制)トヨタと契約したら、日産やホンダとは契約を締結することができないという原則だ。同業者はライバルなので、同じ広告代理店と契約したら情報が相手方に漏れるなどのおそれがあるし、自社が支払った費用で考えたネタが他社で使われる可能性もあれば、最大の得意先のために2位以下の得意先については手を抜く可能性もある。したがって、先進国では、この1業種1社制がとられている。


 しかし、日本では、常識からは考えにくいことだが、1業種1社制が採用されていない。このため、電通などの巨大広告代理店が存在し、マスメディアはその巨大代理店が存在し、マスメディアはその巨大代理店に財布を握られた格好となっている

(中略)

 なぜ、日本ではこのような広告代理店事情となったのか、それは、欧米の広告会社は広告主の代理として出発し、日本の広告会社は媒体社とりわけ新聞社、雑誌社の代理としてスタートしたからだという。(「広告月報」2003年2月号)。だからこそ、「利益相反」という概念がなく、海外では当然のこととされる1業種1社制が採用されてないらしい。確かに、メディの広告受付業代理店であれば、同じ業種から複数の会社の広告を受け付けるのも当然だ。(日隅一雄著「マスコミはなぜ「マスゴミ」と呼ばれるのか」現代人文社)

 日本のマスメディアは、電通、博報堂などが寡占しているのが現状だが、それはどのような弊害を生むだろうか。
(1) 広告代理店もメディアも広告料金を下げたくはないので、値下げ競争が生まれない。そのため、消費者が高い広告料金を加算した商品を買わされる。

(2) メディアが大企業の不祥事などをスクープしようとした際に、大企業が広告代理店を通じて圧力をかけることができる。

(3) 政府与党も、広告代理店に政府広報などを依頼することで利益を与え、広告代理店を通して、政権の人気を回復させるためのニュースを流させるなどの圧力をメディアに加えることができる。(日隅一雄著「マスコミはなぜ「マスゴミ」と呼ばれるのか」現代人文社)

ここに「トヨタ過労死裁判」が報道されない理由があったのではないだろうか。

市民メディアと情報通信法

以上述べたように、日本のマスメディアが政治や企業の利権にズブズブにまみれていることはよくわかった。日本のジャーナリズムを復活させるためには何か方法がないのだろうか。同書には、インターネットの市民メディアが有効だという。著者によれば、現状のズブズブのマスコミでは希望がないらしい。ところが、2010年にはインターネットを規制する「情報通信法」なるものが上程されるという。その特徴は、
(1) 独立行政委員会ではなく総務省が管轄する、(2) 規制対象が欧米に比べ格段に広い、�名誉毀損表現も規制対象とする、(3) フィルタリングソフトのあり方に政府が関与するという点で、日本独自のものといえる。さらに、(4) 政府による包括的かつ直接的な規制が行われないうえ、(5) 名誉毀損表現について罰則を付与されかねないという独裁国家なみの規制も用意されている。(日隅一雄著「マスコミはなぜ「マスゴミ」と呼ばれるのか」現代人文社)
確かに、現在のインターネットは何でもありの状態なので、それを規制したいという気持ちもわからないではない。だが、それを政府に要求するのは問題ではないだろうか。それでは、結局かつての大本営発表となんら変わりのないことになるのだから。

訂正

テレビで報道されることはなかった。→テレビ(在京の民放)で報道されることはなかった。(当時、時間をかけて報道したのは大阪の毎日放送だけだった)

最近、新聞とテレビが系列化している国が増えているという指摘があり、系列化の項目に (なお、近年、先進諸国でも、クロスオーナーシップ規制は緩和される傾向がある。だが、他の国は、独立行政委員会が管轄しているので、その弊害は対処できる。日本のように政府が主導で系列化をするのは極めて異常である。)をつけた。

また、アメリカ年次改革要望書のところに、(東龍氏によると「夕刊フジ」(引用はZAKZAK)には載っていた)と入れた。
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