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素人だから言えることもある

あなたは地デジ化が始まった原因をご存知ですか?

誰も原因を知らない

「あなたは地デジ化が始まった原因をご存知ですか?」おそらく、そう聞かれたら、どんな答えが出るだろう。友達に聞いてみるといい。

社団法人デジタル放送推進協会のQ&Aにはこうある。

Qなぜ地上放送のデジタル化を進めるのですか?
Aテレビ放送のデジタル化の大きな目的のひとつに、電波の有効利用があります。電波は無限に使えるように思われるかもしれませんが、放送や通信に使えるのはある一定の周波数のところだけです。日本の現状はもうこれ以上すき間のないほどに過密に使われており、アナログ放送のままではチャンネルが足りませんが、デジタル化すれば、チャンネルに余裕ができます。空いたチャンネルは、今後のさらなる情報通信技術活用社会、情報化社会の進展のために利用することが計画されています。

Q地上デジタル放送は世界ではどのような状況ですか?
A地上デジタル放送は1998年にイギリスでまず開始されました。現在は欧米ではアメリカやドイツ、イタリアなど、アジアでは韓国や台湾、シンガポールなど、世界の20以上の国と地域で放送されており、デジタル放送は世界の潮流となっています。*中国とベトナムはまだ本放送されてません(実験放送のようです)。

Q2011年(平成23年)にアナログ放送が終了するのはなぜですか?
A2001年(平成13年)の電波法の改正により、アナログテレビ放送による周波数の使用は10年以内に停止することになりました。これを踏まえて作成された放送用周波数使用計画(チャンネルプラン)などでは、その使用期限を2011年(平成23年)7月24日、つまり計画変更の公示日の2001年7月25日から起算して10年目の日と規定されました。これによりアナログ放送は2011年の7月24日までに終了することになりました。

総務省なぜ放送をデジタル化するの?には、
多様なサービスを実現
現代の生活のなかで最も身近な「テレビ」もテレビのデジタル化によって、今までにない多様なサービスを実現します。
地上デジタルテレビ放送では、デジタルハイビジョンの高画質・高音質番組に加えて、双方向サービス、高齢者や障害のある方にやさしいサービス、暮らしに役立つ地域情報などが提供されています。
また、携帯電話、移動体向けのワンセグサービスも開始されています。

電波の有効利用
電波は、もう、目いっぱい使われています。
通信や放送などに使える電波は無限ではなく、ある一定の周波数に限られています。現在の日本では、使用できる周波数に余裕がなく過密に使用されています。
デジタル化すればチャンネルに余裕ができます。
デジタルテレビ放送では大幅にチャンネルを減らすことができます。空いた周波数を他の用途への有効利用が可能になります。

世界の潮流
地上デジタルテレビ放送は1998年にイギリスで最初に開始されました。現在は欧米ではアメリカ、ドイツ、イタリアなど、アジアでは韓国、中国、ベトナムなど、世界の40以上の国と地域で放送されており、デジタル放送は世界の潮流となっています。

情報の基盤
地上デジタルテレビ放送対応テレビをネットに接続し、より多くの情報を得ることができます。テレビをデジタル化することで、誰もが情報通信技術の恩恵を受けられるような社会にすることは国の重要な未来戦略であり遅らせることのできない施策です 。

おそらく、友だちは、これらの(1)電波の有効利用(2)世界の潮流(3)ネットの活用などを語るだろう。だが、これらはデジタルテレビの効用であって、原因ではない。しかし、なぜ、世界で一斉にデジタル化が始まったのか。何かの原因がなければ、一斉に始まるはずがないではないか。それは、日本のNHKがアメリカに乗り込んで始まったのである。

僕は、そのことについて、地デジが生まれた本当の理由(読者ブログ版)誰も語らない地デジの歴史などで語ってきた。だが、これらの歴史を語る人はあまりにも少ない。今回、佐々木俊尚氏のツィッターなどで意外に地デジ崩壊は近いかもしれない(ホームサーバの戦い・第77章) がアクセス数を増やしたのに関連して、再び地デジの始まりを簡単に述べてみたい。

いかにして地上デジタル化か始まったのか

1988 年のある蒸し暑い日に米国を襲ったパニックは、映画のスクリーンのように幅広い画面に驚くほど鮮明な画像を映し出す。現実に起こるとは思ってもいなかった新しいテレビの脅威によって引き起こされた。それはHDTV(高解像度テレビ High-Definition Television )と呼ばれていた。この新しい驚くべき発明をしたのは日本であり、日本のメーカーはまもなく製品を市場に出すつもりだったが、米国には、それに匹敵するものはおろか、それらしいものさえ存在していなかった。『ニューヨーク・タイムズ』は「米国がHDTVの競争に加わらないのは、広大な市場を放棄するに等しい。しかし、もうすでに遅すぎるのかもしれない」と、米国の失敗を社説で非難した。(ジョエル・ブリンクリー著/浜野保樹・服部桂共訳「デジタルテレビ日米戦争-国家と業界のエゴが『世界標準』を生む構図」アスキー)(地デジが生まれた本当の理由(読者ブログ版) )
NHK、15代目の島桂次会長は、アメリカの誘いによって、衛星用のアナログハイビジョンを売り込みに来る。アメリカ側にはひとつの思惑があった。
物語は 86 年に始まる。ケーブルテレビに市場を奪われ、さらに未使用だったUHF帯の電波を移動体通信に取られそうになった米国のテレビ業界が、「将来はHDTVという高解像度テレビを放送するのでチャンネルを確保したい」という口実を思いつく。しかし、その時点で、高解像度テレビが証明できるのは日本のハイビジョンだけで、放送業界のお家の事情が説明されないままNHKが招かれる。(ジョエル・ブリンクリー著/浜野保樹・服部桂共訳「デジタルテレビ日米戦争-国家と業界のエゴが『世界標準』を生む構図」アスキー)(地デジが生まれた本当の理由(読者ブログ版) )
アメリカの予想に反して、このアナログハイビジョンの出来がよすぎた。アメリカ側スタッフに、このままでは、日本に市場をのっとられかねないと危機感を植えつけた。しかも、この島会長、FCC(連邦通信委員会)に乗り込み、
島の側近は、FCC委員の一人パトリシア・ディアス・デニスと面会の予定を組んだ。彼女のオフィスで、島はいきなり核心を突いて話し出した。「NHKはもっとも進んだHDTVシステムを持っている」と彼は言い、「もし私たちと取引されないのであれば、私たちはアメリカに友好的ではない政府と取引するつもりだ」と言い放った。(ジョエル・ブリンクリー著/浜野保樹・服部桂共訳「デジタルテレビ日米戦争-国家と業界のエゴが『世界標準』を生む構図」アスキー)(誰も語らない地デジの歴史)
アメリカに友好的ではない政府とは、ソ連のことである。これが鞭なら、NAB(全米放送事業者協会)会長のエディ・フリッツに語ったことは飴だった。
「あなたからのご依頼通りにした。取引をしたい。できるだけ早くMUSEを使った放送を開始してくれないか。MUSEシステムがアメリカで採用されたら、ライセンスやロイヤルティなどの話は一切しない。1セントだって要求しない」と彼は続けた。(ジョエル・ブリンクリー著/浜野保樹・服部桂共訳「デジタルテレビ日米戦争-国家と業界のエゴが『世界標準』を生む構図」アスキー)(誰も語らない地デジの歴史)
島会長は、飴と鞭をたくみに操るMUSE方式のアナログハイビジョンのセールスマンだった。NHKスタッフも数社のアメリカメーカーと何カ月も規格テストを続けていた。
「高精細化」では日本(NHK)がハイビジョン(アナログ)を世界に先駆けて開発した。日本のハイビジョンに脅威を感じたためアメリカ政府は規格案を募集し、NHKもアメリカ向けのアナログハイビジョン案を提出したが、後に却下され、その他のデジタル規格案を元にデジタルハイビジョン規格「ATSC」が決められた。郵政省はアナログ方式に限界を感じてデジタル化を決断し、BSデジタル規格「ISDB」によりハイビジョン放送が始まった。
(デジタルテレビ放送Wikipedia)
この規格テスト、NHKがあくまでも成功したアナログシステムであり、アメリカ側はいまだに成功してないデジタルシステムだった。そして、デジタルでないという理由のみで排除されていく。
「これが我々のやってきたことの結果なのか」と久保田は思った。25年の研究を経て、我々はここに来た。このレースに残っている唯一のアナログシステムだ。(ライバルの)他のすべてのデジタルシステムは試されてはおらず、完成していないし、そしてたぶん動きさえしないというのに、ここでNHKは失格となってしまうのか

(中略)

久保田に話をするマイセナーの声は丁重だったが、断固とした口調だった。「我々はテストのデータを調べました。スペシャル・パネルでナローMUSEはほかと比較にならないだろうと信じます。ワイナリーには再テストにナローMUSEを推薦する気はないでしょう」(ジョエル・ブリンクリー著/浜野保樹・服部桂共訳「デジタルテレビ日米戦争-国家と業界のエゴが『世界標準』を生む構図」アスキー)(誰も語らない地デジの歴史)

日本のMUSE方式は、衛星用だが、ナローMUSEは、アメリカの地上波用に改良したものである。また、NHKのアナログハイビジョンはヨーロッパ方式にも敗れた。
ヨーロッパがテレビ方式の開発でライバル視したのは、ただ日本一国だけだった。
86年にNHKが独自開発したHDTVを国際標準規格とするべく世界各国に働きかけ始めると、ECは急遽ヨーロッパ独自のHDTV方式の開発を目指し、ヨーロッパ各国にまたがる民官合弁企業を設立した。日本のMUSE方式と同様、ウー・パイク(米技術者)がデジタル開発の突破口を見出したころには、ヨーロッパのHDTV研究は相当進んでいたため、技術者たちは(デジタルを)一から研究しなおす気はまったくなかった。(ジョエル・ブリンクリー著/浜野保樹・服部桂共訳「デジタルテレビ日米戦争-国家と業界のエゴが『世界標準』を生む構図」アスキー)(誰も語らない地デジの歴史)
NHKのアナログハイビジョン方式は、各国の技術開発者に危機感を与え、かえってデジタル化を進める結果となった。

NHKがアナログをあきらめ、地上デジタルに変えた理由(追記)

日本国内で生きながらえたMUSE方式のアナログハイビジョンは1994年にある人物に死を宣告されることになった。
アメリカのHDTV計画がぐらつき崩壊しそうな気配をみせ始める一方、日本は94年2月の終わり頃、驚くべき声明の発表で世界をアッと言わせた。郵政省放送行政局の江川晃正局長が、1980年代には圧倒的な強さを誇っていたが、アメリカでデジタルテレビの侵攻で打ちのめされたアナログ方式のMUSEを日本があきらめようとしていると発表した。

「世界の潮流はデジタルだ」と、江川局長は自らが召集した記者会見で認めた。NHKはとんでもなく高価なセットを買った数千人の視聴者のためだけに、MUSE方式の放送をしていた。日本のHDTVシステムが時代遅れでほとんど無意味なものであったことは、誰もが認めるところだった。しかし、日本の誇り高き技術的功績の一つが失敗に終わったことを、日本政府が進んで認めるとは、いったい誰が想像しただろうか。(ジョエル・ブリンクリー著/浜野保樹・服部桂共訳「デジタルテレビ日米戦争-国家と業界のエゴが『世界標準』を生む構図」アスキー

この発言の3年後の97年、ようやくデジタル化が打ち出される。欧米では、98年にデジタル放送が始まっている。日本でもCS(パーフェクTV!)は96年から、BSデジタルは2000年12月から、地上デジタルは2003年12月から始まっている。(誰も語らない地デジの歴史)

この誰も語らない地デジの歴史にこんなコメントが寄せられた。
1994年の「世界の潮流はデジタルだ」発言から実際にデジタル化に舵を切るのに3年もかかったのには、それまでアナログハイビジョン機器を開発して来た家電メーカー達からの反発と抵抗があったからと記憶しております。「散々発破をかけて投資をさせておきながら、試験放送が始まったばかりで投資も回収できていないのにあきらめろとでも言うのか」、と。当時の状況から見てもメーカーが投資を回収できる見込みが既に薄いことは明らかでしたHD-DVD撤退の件のように冷静かつ迅速に決断していたら、世界のデジタル化地図は大きく違っていたかもしれません。(naenae)
このとき、初めて「世界の潮流」なる言葉が登場した。NHKが初めからデジタルで開発していたら、「世界の潮流」を作ったと堂々と地デジ化の理由を言えただろう。それが、仕方なく「世界の潮流」だからと原因を隠して消極的に進めているところが自分たちの優秀な技術を卑下しているように見えて情けない。たとえ、それがアナログであるにせよ、「世界の潮流」のきっかけを作ったのだから、堂々と誇るべきなのではないだろうか。
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