夢幻∞大のドリーミングメディア

素人だから言えることもある

ネットによって加速される公私混同

かつて、公と私は区別されるものだった。公共の場所に行くには、それなりの服を着て礼儀が重んじられた。テレビがなかったころ、映画館が唯一の娯楽であったが、人々は映画館に行くために着飾っていったものだ。映画のスターは、庶民とはかけ離れていた。テレビが、それぞれの茶の間に入ったころから、スターは身近になった。茶の間のアイドルという言葉が生まれ、庶民的なアイドルが生まれた。

このような映画からテレビの流れを、PCからスマホへと読み替えることができる。かつてPCは高価で会社が持っていた。それが各家庭に入り、タブレットやスマートフォンのように各個人が持つものになった。いわば、公から私へと急速に普及していったのだ。問題なのは、映画やテレビのような一方的なメディアではなく、インターネットは双方向的なメディアだということだ。

そうなるとどう変わるか。私的な感情をストレートに公的場所にぶちまけることが可能になった。本来あるべきだった私と公の境目が消滅してしまった。今までは、この境目の間に準備をしたり、研鑽したりして公のために備えていた。たとえば、月刊雑誌などは、編集者の手が入ることで、公的場所にふさわしい形態を整えてきた。ところが、ブログになり、私と公が一緒くたになり、玉石混淆な作品が巷にあふれることになった。

人々は、それぞれの価値を見出すことが難しくなり、より過激なメッセージに振り回されることになる。それができた背景や歴史などに思い及ばず、表面的な過激な言葉に付和雷同する。マスメディアもまた、公のニュースと私のニュースを判断できず、そのまま取り上げるから、火に油を注ぐ。

だから昔に帰って、公私混同をやめるべきだというのではない。今までの論理をそのまま持ってきても役に立たないというのだ。限られた公の人たちの発言をありがたく報じてきたメディアよりも、読者一人ひとりが賢くなって、新たな言論を立ち上げるべき時が来たということだ。
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